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『火の女神ジョンイ』のモデル・百婆仙とは何者だったのか? 日本の磁器文化に残した足跡

  • 2026.8.17

『火の女神ジョンイ』の主人公ジョンイのモチーフになったとされる女性陶工・百婆仙(ペク・パソン)。その生涯は、ドラマとは異なる形で波乱に満ちていた。

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百婆仙は、陶工の深海宗伝の妻である。夫とともに朝鮮半島から日本へ渡り、肥前国、現在の佐賀県周辺で陶磁器作りに携わったと伝えられている。

深海宗伝は、李参平と並んで有田焼の始祖の一人に数えられる人物だ。肥前国武雄の領主・後藤家信から土地を与えられ、その地で陶磁器を製造したという。

その夫を支えた百婆仙もまた、陶工としての技術を備えていた。

深海宗伝が亡くなると、百婆仙は夫から受け継いだ技術を絶やさないため、息子の平左衛門とともに陶磁器作りを続けた。優れた技術だけでなく指導力もあったとされ、同じ集落で暮らす陶工たちから厚い信頼を寄せられていたという。

その後、百婆仙は一族や陶工たちを率いて有田へ移住したと伝えられている。

朝鮮半島から肥前国(現在の佐賀県)へ渡った百婆仙は、夫の没後、その技術と情熱を受け継いだ。そして1623年(元和9年)頃、百婆仙は夫の遺志と技術を守るため、一族や陶工たち約960人を率いて武雄から有田(稗古場)へと移住し、新たな窯を開いたと伝えられている。

詳細には慎重な見方が必要だが、百婆仙が有田の陶磁器生産に深く関わり、朝鮮系陶工たちをまとめた人物として語り継がれていることは確かである。

百婆仙は1656年、96歳で亡くなったと伝えられている。晩年まで陶磁器作りに携わり、夫から受け継いだ技術を後の世代へ伝え続けた。

現在、佐賀県有田町の報恩寺には、百婆仙を顕彰する「萬了妙泰道婆之塔」が残されている。異国の地で陶磁器作りに生涯を捧げた彼女の存在は、今も有田焼の歴史の一部として受け継がれている。

(出典=有田焼 Web Tourism https://ictstage.com/ ) 

『火の女神ジョンイ』では、ジョンイが朝鮮王朝の宮廷で沙器匠を目指し、光海君との愛に揺れる姿が描かれた。もちろん、こうした物語の大半はドラマのために作られたフィクションである。

しかし、男性中心の陶工の世界で技術を磨き、自らの力で道を切り開いた女性という核には、百婆仙の生涯が重なる。

戦乱によって故郷を離れ、日本で陶工として生きた百婆仙。その技術と存在は、朝鮮半島と日本の陶磁器文化を結ぶ一つの象徴となった。

『火の女神ジョンイ』を見たあとに百婆仙の生涯をたどれば、華やかな宮廷ロマンスの向こう側に、海を渡った女性陶工のもう一つの物語が見えてくるのである。

文=森下 薫

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