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『火の女神ジョンイ』の裏にあった「やきもの戦争」日本へ渡った朝鮮陶工の運命

  • 2026.8.11

『火の女神ジョンイ』の主人公のモチーフになったとされる百婆仙(ペク・パソン)は、朝鮮半島に生まれながら、日本でその生涯を終えた女性陶工である。

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では、なぜ朝鮮王朝時代の陶工が日本へ渡ることになったのか。

その背景には、豊臣秀吉による朝鮮侵攻がある。1592年に始まった文禄の役と、1597年の慶長の役である。韓国では、それぞれ「壬辰倭乱(イムジン・ウェラン)」「丁酉再乱(チョンユ・ジェラン)」と呼ばれている。

朝鮮半島へ侵攻した日本の大名たちは、戦乱のなかで多くの朝鮮人を日本へ連れ帰った。農業などに従事させる労働力の確保だけでなく、高度な技術を持つ職人を各地へ連れて行き、その技術を活用しようとする狙いもあったとされる。

なかでも重視されたのが、陶磁器を作る陶工たちだった。

当時の日本では茶の湯が盛んになり、朝鮮半島で作られた茶器が高く評価されていた。大名たちにとって、優れた技術を持つ陶工を連れ帰ることは、自らの領地で陶磁器産業を育てることにもつながった。

この時期に日本へ渡った朝鮮人陶工の代表的な人物として知られているのが、李参平(り・さんぺい)である。

李参平は、肥前国佐賀藩主・鍋島直茂の軍によって朝鮮半島から連れてこられたと伝えられている。その後、佐賀の地で陶工として活動し、有田焼の始祖の一人として語り継がれることになった。

(出典=陶祖 李参平窯 https://toso-lesanpei.com/)

有田周辺で良質な陶石が発見され、日本で本格的な磁器生産が始まったとされるなか、朝鮮半島から渡った陶工たちの技術は大きな役割を果たした。

李参平と並び、有田焼の発展に関わった人物として知られるのが、深海宗伝(ふかうみ・そうでん)である。

深海宗伝の本名や朝鮮半島での詳しい経歴には不明な点が多い。「深海」という土地にゆかりがあり、その地への愛着から深海氏を名乗ったという説も伝えられている。

日本へ渡った深海宗伝は、肥前国武雄の領主だった後藤家信から土地を与えられ、陶磁器の製作に携わった。作った器を藩や寺院へ献上したという記録も残されている。

そして、この深海宗伝の妻が、『火の女神ジョンイ』の主人公のモチーフになった百婆仙である。

日本の陶磁器文化の発展は、日本人の職人だけで築かれたものではない。戦乱によって故郷を離れざるを得なかった朝鮮半島の陶工たちが、その技術を伝えたことで新たな歴史が始まった。

華やかな有田焼の背景には、海を渡った陶工たちの苦難と、異国の地で技術をつないだ人生が刻まれているのである。

文=森下 薫

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