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「そんな仕事で食べていけるのか」祖父は一度も私の進路を認めてくれなかった

  • 2026.8.9
ハウコレ

玄関先で祖父が口にしたのは、労いとも皮肉ともつかない一言でした。認めてほしいと言えないまま、私は頭を下げて門を出ます。内定の報告を終えた食卓に、祖父が箸を置く音だけが残りました。

進路の話になると、会話が終わる

高校で美術系の専門学校に進みたいと伝えたときから、祖父の反応はいつも同じでした。「そんな仕事で食べていけるのか」母がとりなしても、祖父は湯のみを持ったまま庭のほうを向いてしまいます。進学してからも、帰省のたびに課題の話をしかけては、途中でやめました。祖父がテレビの音量を上げるからです。卒業制作の招待状も、結局は仏間の棚に置いたまま帰りました。祖父に作品を見せたことは、一度もありません。見せる前に、話が終わってしまうのです。

祝いの席と、閉まる襖

菓子メーカーのデザイン部門に決まった日、実家に集まった食卓で私は報告しました。「デザインの仕事に内定をもらったの」母は手を叩いて喜び、父は「そうか、よく頑張ったな!」と言ってビールで真っ赤になった顔で笑っていました。祖父だけが箸を置き、何も言わずに自分の部屋へ戻っていきました。廊下の奥で襖の閉まる音がして、母が取り皿を替えながら、気にしなくていいと笑いました。私は残りのごはんを、味のわからないまま口に運びました。祝いの席で欠けていたのは、祖父の言葉1つだけでした。

玄関先の、たった一言

入社して最初の商品が店に並んだころ、届け物を頼まれて祖父の家へ寄りました。仕事の話は出さないと決めていました。廊下の奥の部屋は襖が閉まったままで、顔を見せた祖父も、湯のみを出そうとはしませんでした。帰り際、玄関先で祖父は「体だけは壊すなよ」とだけ言いました。労いなのか、皮肉なのか。判断のつかないまま、私は頭を下げて門を出ました。角を曲がるまで、一度も振り返れませんでした。

そして...

認めてほしい、という一言を、私はいまだに祖父へ言えずにいます。それでも次の新商品が決まったとき、祖父の好きな豆大福に合いそうな包み紙の案を、こっそり1枚多く描きました。渡せる日が来るのかは、まだわかりません。

(20代女性・デザイナー)

本記事は、ハウコレ読者への独自アンケートに寄せられた実体験をもとに制作していますが、個人が特定されないよう、一部設定を変更しています。

(ハウコレ編集部)

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