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行き過ぎた推し活は「依存症」? 娘が推し活のためバイトに明け暮れ、大学生活が破綻。現代に溢れる依存症への正しい理解を促す一冊【書評】

  • 2026.7.29
溺れながら生きる 依存とケアのあいだで 信田さよ子 / 文藝春秋
溺れながら生きる 依存とケアのあいだで 信田さよ子 / 文藝春秋

「依存症」とは心の弱さが原因で生じるものだと考えている方も、多いのではないだろうか? だからこそ当事者は罪悪感を持ちながらも依存を止められず、その家族は「恥ずかしい」存在として彼ら彼女を隠す。

では無関係の他者はどうだろう? 「軟弱なんだねぇ」なんて呆れている方もいるかもしれない。

『溺れながら生きる 依存とケアのあいだで』(信田さよ子/文藝春秋)は、依存症への理解が格段に深まる一冊である。これほどまでに自分は、いや、日本という国は、依存症というものに対する理解が浅かったのかと、思い知らされるはずだ。

(※本書では「アディクション」と「依存症」という二つの単語を用い、「より精神科医療に近いものを」依存症、「社会問題に近いもの」をアディクションとしている)。

人はなぜ依存症になってしまうのか

著者は臨床心理士として長年の経験を持つ信田さよ子さん。信田さんのこれまでの知見をもとに、アルコール、ギャンブル、性交渉、摂食障害、OD(オーバードーズ)、推し活など、「下り坂の日本」の、あらゆるところに巣食うアディクション(依存症)について語られている。各個別の事案について、実例を交えながら詳細に紹介されているのだが、一貫して綴られているのは「依存症への正しい知識や理解」だろう。

そもそも依存自体に良い悪いはない、と信田さんは語る。依存した結果、いいことも悪いことも起こるからだ。一方、依存「症」とは「デメリットのほうが大きいにもかかわらず、特定の物質の摂取や行動をやめたり、頻度を減らしたりすることができない状態」なのだとか。

人はなぜ依存症になってしまうのか。それは依存という行為が「人生において耐え難い現実と出会った時(中略)とりあえず苦痛から解放されたい」という願いを叶えてくれるものだからだ。言わば延命処置であり、トラウマを癒すための「セルフケア」の一つなのだという。

なるほど。セルフケアという見解、かなり納得してしまった。それと同時に、今まで「依存症は弱い人がなるもの」と、なんの知識もなく切り捨ててしまっていた無関心さを、薄情に感じた。

また「行き過ぎた」推し活は依存症であるという指摘も、大変興味深かった。信田さんのもとに相談に来たのは、推し活を止められない娘さんを持つ母親だ。

「手のかからない娘」は、大学進学を機に一人暮らしをしてから一変する。服装や髪型をはじめ、部屋の中は荒れ放題。更に大学の単位がほとんど取れていないことが発覚する。その原因は、推し活だった。推しのグッズを買い、海外ツアーにも参加。旅費や宿泊費を稼ぐためバイトを掛け持ちし、一般的な大学生として「破綻した」と言える生活を送っていたのだ。

彼女のような推し活の例も、アディクションの一つと言えるのだが、これは個人的な性格や状況だけが原因ではない。彼女が入っていたファンクラブの仕組み――今現在、多くの「推し活」に類似したシステムが組み込まれている――にアディクション化する要素が内包されているのだという。

ファンクラブにおいて「ファンは貢献度に応じて細かく階層化され」「投資するお金に応じて貢献度が計られる」。ここで重要なのは、推しのためにお金を使うことは、ファンにとって「充実感」を得られることであり、一方で「いつか他のファンに出し抜かれるかもしれない」という競争意識を煽るものでもあるということだ。

もちろん、推し活の全てがアディクションにつながるわけではなく、適度な距離を保って「自分のできる範囲で、楽しんで」推し活をしている方もたくさんいる。しかし推し活のビジネス構造に、アディクションにつながる要因がある(もちろん、全てではない)のは確かなのだ。

総じて依存症には正しい知識と理解が必要だと身に染みて感じた。そのために必要な知見が、この一冊に詰まっている。

文=雨野裾

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