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創る人は、おもちゃを愛する人。プロダクトデザイナー・柳宗理

  • 2026.7.15

時代に残るクリエイションを生み出した人たちが大切にしたのは、子供のような遊び心かもしれません。真似のできない仕事術を支え、刺激し続けたおもちゃと巨匠の話。

photo: Keisuke Fukamizu / text: Mikado Koyanagi

〈柳工業デザイン研究会〉のアトリエ
BRUTUS

デザインを考え続けた巨匠が、おもちゃに見出した“用の美”

柳宗理といえば、「バタフライスツール」や「ステンレスカトラリー」などで知られる、20世紀の日本を代表するインダストリアルデザイナーであったことは言うまでもない。ところが、柳がおもちゃにも並々ならぬ関心を示し、そのコレクターでもあったことは、あまり知られていない。

実際、柳はこけしで有名な宮城・鳴子で、自分でデザインした《亀車》や《鳩笛》のようなおもちゃの制作を依頼し、商品化してもいた。

柳は、自著の『柳宗理 エッセイ』でも、ブラウン社の電卓やハンス・ウェグナーの椅子など、名作デザインを取り上げたページで、ドイツのケラー社の車のおもちゃを紹介し、「売らんがための、きざっぽいデザインの影は更々なく、幼児用の遊び道具として、真面目に造られた美しい玩具」と絶賛している。柳は、「用の美」の最も理想的な姿をおもちゃに見ていたのかもしれない。

柳がいつ頃からおもちゃに興味を持ったのかはわからないが、古くは、『美術手帖』の1965年の「おもちゃ」特集号で、「たのしいおもちゃ」と題した記事を寄せている。そこには、柳が世界中で収集したおもちゃが紹介されているのだが、その多くが、柳亡きあとも活動を続ける〈柳工業デザイン研究会〉で大切に保存されている。

そこで紹介されたおもちゃの中には、スイスのネフ社やイタリアのダネーゼ社のモダンなものもあるが、民藝運動を起こした柳宗悦の息子ゆえか、素朴な民藝玩具や郷土玩具も交じっているのが柳らしい。また、正規の商品名がないようなものには、例えば、《じたばたお嬢さん》のように、おそらく柳自ら茶目っけのあるネーミングをしているのも楽しい。

ロシア製の木製馬車
『美術手帖』で紹介されていたロシアの木製馬車。御者の動きに合わせ馬が首を振りながら走る。
木製おもちゃ《じたばたお嬢さん》
『美術手帖』でも紹介された《じたばたお嬢さん》。紐を引っ張ると手足が上下に動く。
〈柳工業デザイン研究会〉事務所内観
〈柳工業デザイン研究会〉の事務所の内観。柳亡き後も、室内やスタッフにその精神が息づいている。

ブルーノ・ムナーリと柳宗理。おもちゃが深めた2人の仲

65年といえば、日本で最初にブルーノ・ムナーリの個展が開催された年だが、後に柳が愛し、パッケージのデザインまで買って出た山中組木の立体パズルは、ムナーリが柳に紹介したものだという。逆に、ムナーリは、柳から日本の折り紙を教わったようだ。

〈柳工業デザイン研究会〉のアトリエ
柳がパッケージデザインを手がけた箱根の山中組木の立体パズルが器用に積まれている。
〈柳工業デザイン研究会〉のアトリエ
世界中で収集した、民藝、郷土玩具が並べられた棚。ほぼ生前の状態のまま残っている。

ムナーリは、グラフィックデザイナーの福田繁雄にも影響を与え、福田はその後、おもちゃや絵本を数多く制作したが、おそらく柳がおもちゃに興味を持ったきっかけの一つがムナーリだったのは間違いあるまい。2人は、国際的なデザイン会議などの場で親交を育んだ。

その精神は、柳に師事した戸村浩のような造形作家にも受け継がれている。その幾何学的な原理から生み出された一連のおもちゃは、柳からも高い評価を受けていた。

現在、〈柳工業デザイン研究会〉の主な活動は、柳製品の管理・復刻・紹介などだが、事務所には、柳が愛したおもちゃと同様、生前の柳の精神がそこかしこに漂っていることが、若いスタッフの話からも感じられる。きっと、若い世代によるクリエイティブなおもちゃも、ここから生まれていくだろう。

〈柳工業デザイン研究会〉のアトリエ
〈柳工業デザイン研究会〉のアトリエの一角。柳の写真の左には、スイスのアントニオ・ヴィターリの犬、鶏、ひよこなどのおもちゃ。右下は、晩年に構想していた作品の下絵。

profile

柳宗理(プロダクトデザイナー)

やなぎ・そうり/1915年東京生まれ。父は民藝運動の創始者・柳宗悦。日本を代表するインダストリアルデザイナー。代表作にバタフライスツール、ステンレスカトラリー。東京・札幌オリンピックのデザインにも関わる。2011年逝去。

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