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杉本博司「絶滅写真」が問うもの

  • 2026.8.6

林 信行の視点

廃墟劇場
映画一本分の光で劇場を撮るシアターシリーズの新作として2015年に制作された「廃墟劇場」。《パレス・シアター、ゲーリー》(2015)。

もともとテクノロジーやデザインを追ってきた私が、本格的に現代アートの取材へ足を踏み入れるきっかけとなったのは、2005年、森美術館で開かれた「杉本博司:時間の終わり」展だった。

 

いま大きな注目を集めるAIもそうだが、テクノロジーの世界は、とにかく移り変わりが激しい。今年はじめて名を聞いた技術が、わずか2〜3年で世界を左右する巨大企業を生むこともあれば、誰にも気づかれないまま、いつのまにか消えていくことも多い。次から次へと新しいものが現れ、少し前のものは猛烈な速さで消費され、無価値なものへと追いやられていく。そんな潮流のなかでは、時代を超えて残るものを作ろうという気概も芽生えにくく、人は刹那的になりやすい。

 

そんな思いを抱えていた頃に観た2005年の展覧会は衝撃だった。写真という、絵画などに比べ複製が容易で、存在としては希薄になりがちなメディアを用いているのに、一点一点が、観る者を引き込む強いオーラを放っていた。

 

その理由のひとつは、杉本が写真という表現の本質を因数分解し、「時間」や「光」といった、より普遍的な要素を描き出す装置として用いている点にあるのだと思う。

 

しかし、解説文で、そうした難しい概念を読み解かなくても、まず何よりも一点一点が圧倒的に美しいからこそ、これだけ多くの人を惹きつけるのだと思う。

幽玄を漂わせる水平線や、命なきはずの蝋人形の視線が放つ圧倒的な存在感。こうした魅力は、たやすく生まれるものではない。綿密に構想され、幾度もの試行錯誤という時間に研磨されて、はじめて生まれる。

 

杉本作品にもうひとつ感じる魅力は、見た目は西洋的な美しさと、かっこよさをまとっているのに、その根には「もののあはれ」に通じる日本の美意識が流れており、それを、現代の数寄者らしく、解説文や展示の妙をもって、そっと差し出してみせていることだ。

 

近年の杉本は、写真にとどまらず、建築、能楽、古美術、茶の湯にわたる多彩なプロジェクトを手がけている。私自身、自らの遺作と位置づけて築く江之浦測候所はもちろん、ヴェルサイユやニューヨークでの展示、舞台の演出、杉本がキュレーションした古美術の展覧会まで、その仕事を折にふれて追ってきた。

 

その杉本博司の、写真作品を中心とする大規模回顧展が、いま東京国立近代美術館で開かれている。「杉本博司 絶滅写真」——写真作品を中心に構成される国内の美術館個展としては、森美術館「杉本博司:時間の終わり」(2005年)以来、実に21年ぶりだという。

 

「絶滅」とは、なんだか穏やかでない言葉だ。だが、多くの人々をなぜか惹きつける終わりゆくものへの郷愁、儚さ、美しさの表現において、杉本博司を超える人物はなかなかいない。その杉本が「絶滅」そのものを主題に掲げたとなれば、期待は高まるばかりだ。

銀塩写真の、そして人類文明の葬儀

 

 

「回顧展というのは作家が死んでからやるものだと思うんですけども、僕の場合『もうそろそろ終わりかな』と感じられて、やらせてみようというのがお国の立場だったんですね」。開会に向けての説明会で、杉本は自虐的にこういって来場者の笑いを誘った。

 

「絶滅写真」というタイトルには、銀塩写真の終焉というメディアのレベルと、人類文明の絶滅という大きなレベルの、二重の意味が込められているのだという。

 

「銀塩写真の技術のための感材はどんどん消えていきますから、フィルムそのものもいつ消えてしまうかわからない」。

 

その銀塩写真に代わって台頭したのがデジタル写真だが、杉本は昨今増えているAIによる画像を含むデジタル画像を「脳内風景のイラストレーター」と酷評する。

 

「もし(デジタル技術だけを破壊する)サイバー原爆が落とされたら、今のデジタルインフラは全て消えてしまう。記録も消え、水道も電気もコントロールできなくなり、人類は石器時代に戻ってしまう。そうなれば21世紀のデジタルの記憶はすべて消え去る」。

 

本展が企てているのは、デジタル技術の台頭によって事実上の終わりを告げつつある「銀塩写真」というメディアの、そしてもしかしたらデジタルという信頼に足らず儚い存在に依存し、絶滅を控えている人類の、杉本自らが喪主を務める大がかりな「葬儀」でもある。

 

ジオラマ
杉本博司のデビュー作ジオラマシリーズ。今回、新作としてこの《ホモ・エレクトス》(2025)を含む数点が初披露された。左は杉本博司氏。

半世紀のキャリアを振り返る展覧会

 

 

展覧会では杉本博司の初期から現在に至る半世紀のキャリアを、銀塩写真約60点に、数点の立体作品を加えた全13シリーズで総覧する。

 

ほぼ年代順に沿った3章構成で、冒頭は構想から半世紀を経て、ようやく全点での展示が可能となった初期作品「ジオラマ」シリーズを含む初期三部作で、人類の意識の始まりへと遡る。第2章では、その意識が築いた「観念の形」をテーマにした作品。そして終章では、光そのものを定着させた作品群を経て、一生分の光を一枚に凝縮しようとする最新作「CAMERA MAN」へと至る。この3章構成を組んだのは、本展を担当した同館主任研究員・増田玲(ますだ・れい)だ。

 

海景
杉本博司の代表作《海景》のシリーズが並ぶ部屋は本展覧会のハイライト。ベンチが置かれじっくり作品と対峙できる(サテライト会場には国立近代美術館所蔵の《海景》も展示されている)。

なんと言っても圧巻は代表作「海景」シリーズが並ぶ展示室だ。緩やかに円弧を描く一室に、水平線を揃えた7点が並ぶ。太古の人類が見たのと同じ景色を求めた末に行き着いた、上下を空と海で二分する構図。作品と対峙するベンチに腰掛けてしばらく眺めていると、館内のざわめきが遠のき、意識が、時空を超えた水平線の彼方へ吸い込まれていくような心地よさがある。

 

他の展示もそうだが、杉本自身が異なる形状の部屋を巧みに生かし展示そのものを作り込み、セクションの配置から照明の一点一点まで確認しており、それだけに一分の隙もない美しさに仕上がっている。

 

蝋人形を撮影した「肖像」シリーズは、奥行きのある一室に並ぶ。突き当たりの壁に掲げられるのは、ダイアナ妃。その視線に導かれるように、一点また一点と肖像をたどりながら、奥へ進んでいく。

 

以下では、各章に展示された作品をもう少し詳しく紹介しよう。

 

 

 

人類最初の記憶から観念化する社会への物語

 

 

第1章「時間・光・記憶」では、1970年代半ばから80年代にかけて発表された初期三部作「ジオラマ」「劇場」「海景」を通して、人類の意識の始まりと時間の推移が探求される。

 

最初に並ぶのはデビュー作の「ジオラマ」シリーズだが、実はこの作品シリーズは本展覧会をもってようやく完結に至った。1974年に渡米した杉本は、アメリカ自然史博物館で見た白熊の剥製を大型カメラで撮影し、生命のないものが生きて見えるという「写真の虚と実」を突いた。シリーズは動物の剥製にとどまらず、猿から人間への進化をたどる人類史の再現へと展開していく。若き日の杉本はマルクス主義やエンゲルスの『猿が人間になるについての労働の役割』、ダーウィンの『種の起源』に影響を受けた。そして労働と道具の発達が人間の脳を育み社会を作ったという唯物史観を、ジオラマによって視覚化しようとしていた。

 

しかし、長年どうしても撮影許可が下りない展示が2点あった。「原人がハイエナに食われている」場面など、人類の被捕食(他の動物に食べられていた)時代や新石器時代を描いたジオラマである。70年代当時の人権意識や人種差別への配慮から伏せられてきたという。杉本は「これらを加えてシリーズを完結してくれないと、私のコレクションを寄贈しない」と交渉して、現館長から撮影許可を得たという。

 

続く「劇場」シリーズは、映画1本分の光を使って、真っ暗な劇場を撮影するという実験から生まれた。1970年代ニューヨークの映画館で、映画が上映している間、シャッターを開けっ放しにする撮影を実験的に行った。現れたのは、映画という時間の集積が真っ白な光へと還元され、闇の中で輝くスクリーンと、その光で輪郭が描かれた劇場内装飾や客席の姿だった。目に見えない時間の経過を、物質的な痕跡として定着させた名シリーズだ。

 

初期三部作の最後を飾る「海景」は、人類の意識の始まりへと遡る試みだ。なぜ、意識の始まりなのか。杉本はこう考えた——古代人と現代の私たちが、まったく同じ姿で見られる景色があるとすれば、それは海のほかにない。空と海、水平線だけ。島も船も写らないその一枚は、時間を超えて人の意識をつなぐ装置だ。彼は世界中の海を探し、一枚目は1980年、カリブ海のジャマイカで撮影した。障害物のない断崖を地図で探し、日の出や月の出の方向、季節、風向きまで計算して現地に立つ。三日間雨を待ち続けた結果、水蒸気が雨へと変わる決定的瞬間をとらえた、という作品もある。

 

この主題の原点は、杉本自身の最初の記憶にある。五歳の頃、熱海から東京へ帰る湘南電車の窓。トンネルの合間に、海がパッ、パッと現れては消える。そのコマ落としのような光景こそ、彼の意識が芽生えた場所だった。だからこそ「海景」は、人類の記憶であると同時に、杉本自身の記憶の原点でもあるのだ。

建築
建築家の頭の中にあるぼやっとしたイメージを像にした「建築」シリーズ(左は《バラガン邸》(2002)、右は《サンテリア・モニュメント》。(1998))

この「海景」で、意識の起源を探った杉本。第2章「観念の形」では、その意識がいかにして現代の複雑な社会や概念を構築してきたかを検証している。建築をモチーフとした「建築」、ファッションの変遷をたどる「スタイアライズド・スカルプチャー」、数式を立体化した彫刻「観念の形」。いずれも、人間の知性や想像力が生み出した「モノの形」をめぐる考察だ。

 

「建築」では、モダニズム建築の名作をあえて焦点をぼかして撮ることで、建築家の頭の中にあったイデアとしての建築を浮かび上がらせる。杉本に言わせれば、近代建築はコンクリートという疑似石が流行した結果であり、都市という名の巨大な「蟻塚」を作っているにすぎない。「スタイアライズド・スカルプチャー」では、身体を保護するための衣服が時代とともに装飾性を帯び、人工的な形態へと進化していった過程を探る。そして「観念の形」では、人間の脳内現象を視覚化した数学模型を通して、芸術と科学が交差する地点を形として見せている。いずれも、人類が自然から離れ、自らの観念によって世界を再構築してきた軌跡であり、同時に、その合理主義がいずれ限界を迎え絶滅へ向かうベクトルであることを、暗に示している。

数理模型
数式とグラフによって表された形を彫刻にした「数理模型」と、衣服の装飾性を写真にした「スタイアライズド・スカルプチャー」のシリーズ。

「絶滅写真」--人類文明とは何だったのか

 

 

第3章は展覧会そのもののタイトルにもなっている「絶滅写真」と名付けられている。銀塩写真の終焉と人類文明の絶滅というテーマが、最も直接的に表現される空間だ。写真というメディアの起源と限界を問う作品群が並ぶ。

化石
化石も、時間を保存する点において写真に似ているという杉本の「化石(前写真、時間記録装置)」シリーズの《P.P.T.R.D.037 棘のある三葉虫》(2008)。
タルボット
ネガ写真しか作る技術がなかった時代に撮影されたタルボット家の家庭教師の像を、現代の技術で現像し《Photogenic Drawing 015》(2008)。

この第3章は、化石を写した作品「化石(前写真、時間記録装置)」シリーズで始まる。杉本は「化石と写真は同じ機能を持っている。どちらも時間を保存することができる」と指摘する。数億年前の三葉虫が石の中に閉じ込められたように、写真もまた過去の時間をフィルムに閉じ込める。銀塩写真が絶滅しようとしている今、杉本が撮った写真そのものが、未来の地層から発掘される「化石」になろうとしている。

 

その隣に並ぶのは、写真の始まりそのものを写した一枚だ。「フォトジェニック・ドローイング」は、19世紀の写真術の祖ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが遺した初期のネガに、杉本が向き合った作品である。カメラを使わず、感光紙の上に物を置いて光を当てると白黒の反転したネガが得られることを発見したタルボット。これが後の銀塩写真の原型となった。本シリーズでは、杉本がそのタルボットのネガの明暗を反転させ、忘れられた技術の亡霊を蘇らせている。

 

第3章で強い存在感を放っているのが、「肖像」シリーズだ。ロンドンのマダム・タッソー館などに立つ蝋人形を撮影したもので、冒頭で触れたダイアナ妃をはじめ、歴史上の人物たちが、まるで存命中に描かせた肖像画のような佇まいでこちらを見返す。生きていないものが、写真になった途端に生々しい実在感を帯びる——デビュー作「ジオラマ」で突いた「写真の虚と実」を、人間の顔という最も雄弁な対象で反復している。

 

「放電場」は、そのカメラすら介さず作られた作品群だ。もともと暗室では、フィルムに静電気の火花が走り、像を傷つけてしまう事故がしばしば起きる。杉本はこの厄介者を作品へと反転させた。人工的に高圧電流を放ち、その閃光をフィルムに直接焼きつける。レンズも被写体もなく、光そのものが枝分かれしながら、樹木や血管、あるいは稲妻のような模様を刻む。写真が「何かを写す」ものだという前提すら外し、光と銀塩がじかに出会った痕跡だけを表したシリーズだ。

肖像
蝋人形の写真だというのに、不思議と艶かしい「肖像」シリーズ。 
放電場
3章終盤に並ぶ「放電場」、「Opticks」そして「陰翳礼讃」。

続く二作は、その「光」そのものと向き合う。17世紀、アイザック・ニュートンはプリズムを通して太陽光を七色に分けてみせた。杉本はその実験を再現し、分光した色の帯をポラロイドに写し取る。絵の具という物質を一切介さず、光そのものだけで描かれた純粋な色を写したのが「Opticks」だ。

 

一方、谷崎潤一郎の随筆に名を借りた「陰翳礼讃」では、暗闇のなか、蝋燭に火が灯り、揺らめき、やがて燃え尽きて消えるまでが一枚に収められる。片時も同じ形をとらない、炎という光の一生。谷崎が電灯以前の陰翳に日本の美を見たように、杉本もまた、闇があってこそ立ち上がる光の階調をすくい取っている。

 

第3章はこの後、杉本が蒐集する古美術コレクションから選んだ、絶滅の瞬間を思わせる一枚に、祈りを捧げるように自作の光学硝子五輪塔を添えた展示が続く。

 

そして3章の最後を飾るのが、新作「CAMERA MAN」という謎めいたメガネ型機器の彫刻展示だ。アイウェアブランドのJINSとカメラメーカーのSIGMAの協力を得て作られたというこの装置は、レンズ部分にシャッターがついている。装着してボタンを押すと、3分間はシャッターが開かず、暗闇の中で過ごすことになる。3分後にわずか1秒だけシャッターが開き、眼前の風景を目に焼きつける。このシャッター開口時間の1秒を人間の一生(約85年)とすると、人類の文明史1万5000年は約3分に相当するのだという。

 

つまり装着者は、文明が始まる以前の長い暗闇をくぐり抜けたのち、最後の一瞬にだけ世界を見ることを許される。人類が積み上げてきた1万5000年も、一人の一生も、宇宙の時間からすればまばたきほどの1秒にすぎない——その途方もないスケールを、顔に掛けた一台の装置が体感させる。写真とは、光と時間を定着させる装置である。その原理を半世紀かけて解体してきた杉本は、行き着いた果てで、カメラを人間の身体そのものへ畳み込んでみせた。

カメラマン
新作の彫刻?装置?「CAMERA MAN」はJINSやSIGMAの協力を得て作られたという。

時代の終わりを狂歌で笑う

 

 

ここまでの紹介だと、本展は終末論を突きつける重苦しい展覧会と思えるかもしれない。しかし、ここからが杉本の真骨頂だ。彼はこの絶滅という極めてシリアスな主題を、展示空間全体に散りばめた「狂歌」というユーモアで包み込んでみせる。

 

室町から続く「詩画軸」の伝統をなぞり、重厚な写真の一点一点に、わざわざ不真面目な本音や、世を斜めから見た一句を解説代わりに添えている。たとえば杉本は、自身の芸術活動を「人生これ暇なり。暇をいかに潰すか、これ人生の肝要なり」と言い切る。食い扶持を稼ぐ以外の時間はすべて「暇」であり、宗教も哲学も学問も、壮大な暇つぶしだという。芸術の道もまた自己陶酔の幸せな暇つぶしであり、「ここに生まれ落ちて狂い咲き、その心情を吐露するに至れり。狂歌詠み『素遁卿(すっとんきょう)』と申すなり」と、自らを戯画化しておどけてみせる。

 

真面目なものは和歌、不真面目なものは狂歌——そう語りながら、そこには古今和歌集の本歌取りや近世文学のパロディが高度に織り込まれており、分かるものにはより奥深い楽しみを与えてくれる。もっとも杉本は、それを一部の人だけの特権にするつもりはないようで、その歴史的・文学的文脈について「分からなかったら、だいたいAIに聞いてみればよい」と笑ってみせる。

ノート
別フロアにあるサテライト会場では杉本が作品制作に使った通称「杉本ノート」も展示されている。

杉本流:亡びの美学

 

 

軽く狂歌で笑い透かしてはいるものの、杉本作品の一点一点の裏には、緻密な計算と、膨大な調査や実験の積み重ねがある。今回の展覧会ではサテライト会場にて、そんな杉本が作品制作のために綴ったノート、「杉本ノート」も展示されている。こちらも見逃せない。

 

「有終の美」とは何か。展覧会を見て改めて考えさせられ、そのなかで、杉本が長年情熱を注ぎ、時には自身の遺作とも呼んできた建築、小田原文化財団「江之浦測候所」を思い出した。

 

杉本はかねて、この建築群を「文明が滅びた後、5000年後に発掘された際に、遺跡としていかに美しく残るか」を想定して構想したと語ってきた。エジプトのピラミッドやギリシャのパルテノン神殿を遠望するように、自らの作品がいかに美しく滅びるかを逆算する視座は、平家物語から連なる日本の「亡びの美学」に通じる。

 

そして今回の展覧会もまた、すべてがデジタル化され、記憶がデータとして漂白されていく現代という壮大な喜劇の、その幕引きなのだ。悲嘆にくれるでもなく、抗うでもなく、狂歌を詠み、笑いながら、消えゆくものの最期をこれ以上なく美しく設える。終わりを、祝祭に変えてしまう。それが、杉本博司という喪主のやり方だ。そして、その幕引きを美しいと感じてしまうことこそ、私たち日本人が長く育ててきた美意識にほかならない。

 

◆杉本博司 絶滅写真

 

会期:2026年6月16日(火)〜9月13日(日)
会場:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー(東京都千代田区北の丸公園3-1)
開館時間:10:00〜17:00(金・土は20:00まで、入館は閉館30分前まで)
休館日:月曜(7月20日は開館)、7月21日

Profile

林信行
林信行

林信行 Nobuyuki Hayashi1990年にITのジャーナリストとして国内外の媒体で記事の執筆を始める。最新トレンドの発信やIT業界を築いてきたレジェンドたちのインタビューを手掛けた。2000年代からはテクノロジーだけでは人々は豊かにならないと考えを改め、良いデザインを啓蒙すべくデザイン関連の取材、審査員などの活動を開始。2005年頃からはAIが世界にもたらす地殻変動を予見し、人の在り方を問うコンテンポラリーアートや教育の取材に加え、日本の地域や伝統文化にも関心を広げる。現在では、日本の伝統的な思想には未来の社会に向けた貴重なインスピレーションが詰まっているという信念のもと、これを世界に発信することに力を注いでいる。いくつかの企業の顧問や社外取締役に加え、金沢美術工芸大学で客員名誉教授に就いている。Nobi(ノビ)の愛称で親しまれている。 

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