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#31 谷繁元信 選手兼任監督(中日)NPB新記録の26年連続本塁打

  • 2026.7.9

◎2014年7月22日 横浜スタジアム

中 日 1 3 0 1 1 1 0 0 0 =6

DeNA 1 0 2 0 0 0 0 0 0 =3

HR(中日)谷繁1号

(DeNA)ブランコ6号

コンディショニングに関する知識が普及したこともあり、プロ野球選手の選手寿命は昔に比べると長くなったが、それでも20年以上現役でプレーすることは並大抵のことではない。ただ体が丈夫なだけではダメで、成績が伴わなければ1軍でプレーすることはできないし、そもそも契約してもらえない。若い選手との競争にも勝たなければいけないし、完全実力主義のプロ野球界で、20年以上にわたって1軍にいるということ自体が相当にすごいことだ。今季20年目の選手は、高卒ルーキーが生まれた年、すでにプロ野球選手だったのだから。

ただ長くプレーするだけではなく、「プロ1年目から引退の年まで、27年連続でホームランを打ち続けた選手」が日本のプロ野球界には存在する。「ギネス世界記録」にも認定されたこの記録、達成したのは大洋(横浜)・中日で通算27年間プレーした、現ショウアップナイター解説者の谷繁元信だ。1989年、大洋ホエールズ時代にヤクルト・尾花高夫からプロ初ホームランを放って以来、四半世紀以上毎年ホームランを打ち続け、2015年、中日兼任監督時代に記録更新の一発を放った時点で谷繁は45歳になっていた。

それまでの記録は、野村克也(南海・ロッテ・西武)が記録した「25年連続」だった。野村はプロ1・2年目はホームランがなく、3年目からの記録だが、谷繁の場合は「1年目から引退の年まで、27年間途切れずに打った」ところに価値がある。

2013年、野村の「25年連続本塁打」に並んだ年のオフ、記者に記録更新への意気込みを聞かれ「ホームランへのこだわりはないけど、打ちたいとは思うよ」と語った谷繁。このときは中日の監督も兼任するプレイングマネージャーであり、さらにこう語った。「来年の目標は、まずしっかり試合に出るということ。自分が(捕手の)メインでやっていく自信はある。監督の谷繁から使ってもらえるように、選手の谷繁は頑張らないといけない。チームを勝たせる捕手にならないと。本塁打にしても試合出場にしても、続けていくことが大事だからね」

自分が監督なのだから「捕手・谷繁」を起用するのは簡単なことだ。しかし、その判断は「捕手・谷繁」が誰もが納得するだけの数字を残してから、と「監督・谷繁」は考えていた。ただでさえ捕手は激務なのに、監督を兼任しながら、トレーニングや相手のデータ分析も怠れない。そこが選手兼任監督の難しいところだ。

翌2014年、谷繁はこの年、7月半ばを過ぎてもまだホームランを打っていなかった。先発でマスクをかぶった7月22日、横浜スタジアムで行われたDeNAとの一戦。ハマスタは、プロ入り当時のホーム球場であり、横浜時代の1998年には、正捕手として球団38年ぶりの日本一を味わった思い出の場所でもある。

同点で迎えた2回、中日は無死一・三塁のチャンス。ここで谷繁に打席が回った。谷繁はDeNA先発・久保康友が投じた内角高め、138キロの真っ直ぐを振り抜くと、打球はレフトスタンドへ。この年第1号となった3ランは、野村の記録を更新する「26年連続本塁打」達成の一撃となった。一塁を回る際、「よし、入った」と右手を握りしめた谷繁だったが、表情は変えずにダイヤモンドを一周。「チャンスで回してくれたので、外野フライでもいいと思って打ちました。最高の結果になりましたね」……会心の一撃だった。

ただ、監督が自分の記録にひたっている暇などない。谷繁はベンチへ戻るとすぐにプロテクターを身につけ、次の回の守備に備えた。試合は、DeNAも反撃したが、中日は中盤にも追加点を奪い6-3で快勝。谷繁の3ランが効いた。試合後、「大洋ホエールズに入団して、プロとして第一歩を踏み出したのがこの球場だったので」と感慨深そうに横浜の夜空を見上げた谷繁。翌2015年もホームランを1本放ち、自身の記録を「27年連続」に更新すると、この年限りで現役を引退。翌2016年からは監督に専念することになった。

現役ラストイヤーとなった2015年、谷繁はもう1つ、長らく野村が保持してきた偉大な記録に挑戦していた。プロ野球記録「通算3017試合出場」である。2015年7月28日、阪神戦に「8番・捕手」で先発した谷繁は、野村を抜く歴代1位の通算3018試合出場を達成した。最終的に「通算3021試合出場」まで伸びたこの記録は、当分破られることはないだろう。

大洋時代、守護神・佐々木主浩が投げる落差の大きいフォークがうまく捕れず、佐々木の登板時は経験豊富な先輩捕手に代えられた苦い経験もある。悔しさをバネにワンバウンドする球の捕球練習を繰り返し、やがて佐々木の信頼を勝ち取って、出場試合を大幅に増やしていった。「27年連続本塁打」も「通算3021試合出場」も、そんな不断の努力の積み重ねで成し遂げた金字塔である。

<チャッピー加藤>

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