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「憎まれても恨まれてもいい」忘れられることだけ拒んだ 35年前に夏の出口へ向かった失恋歌

  • 2026.7.12
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2015年6月、東京・日本武道館で行われたTUBEデビュー30年記念バースデーライブより(C)SANKEI

夏の終わりの午後。海辺の駐車場でレンタカーのドアを閉め、鍵を差し込む一瞬。カーステレオから流れ出したのは、憎んでも恨んでも「忘れないで」と歌うサビ節だった。走り出した窓の外を、まだ光の強い海面が滑っていく。夏に別れを告げる声が、夏のいちばん明るい時刻に鳴っている。

TUBE『さよならイエスタデイ』(作詞:前田亘輝/作曲:春畑道哉)ーー1991年7月1日発売

TUBEといえば、夏の始まりを鳴らすバンドだ。海へ向かう車のなかで、あるいはビーチの近くの店先で、明るく体温を上げていく曲がまず思い浮かぶ。ところがこの13枚目のシングルは、夏の先に背を向けたところから夏を鳴らしている。過去のひと夏に置いてきた恋を、いま、終わらせる歌。送り出す側から書かれた夏歌謡だと知ってから聴き直すと、この曲のなかで動いている光の向きが変わる。

夏を送り出す側から鳴らした夏歌謡

TUBEの夏歌謡は、まず「これから夏が始まる」ほうに強い。海へ出かけていく高揚、太陽の下で笑い合う瞬間、街に流れ込んでくる季節の合図。ヒットの多くが、この「陽の夏」の側で書かれてきた。

『さよならイエスタデイ』は、その並びのなかで、明らかに別の位置に立っている。過去に交わした恋の熱を、いま、静かに手放す。夏を始めるのでもなく、謳歌するのでもなく、夏に別れを告げる歌。

サビの中央に置かれた「憎んでも恨んでもいいから忘れないで」の一行が、その方針を端的に示す。愛して欲しいでも、覚えていて欲しいでもなく、「憎んでも恨んでもいいから」と条件をゆるめてまで、忘れられることのほうを拒む。相手のなかで自分の輪郭が薄れていくことを恐れる、素直な恐れの声だ。夏の光の下で、そのことばがまっすぐ鳴らされる。

この一行を差し出せる強さは、明るい夏歌謡だけでは届かない場所に触れる。ひと夏の恋を歌う曲は多いが、その恋を「終わらせる」側から歌う曲は、そう多くない。憎まれてもかまわない、恨まれてもかまわない、その対価と引き換えに記憶のなかにとどまりたい。ふつうならためらう二つの語を、代償のなかへ先に差し出してしまう。強がりでも意地でもなく、失うものを先に決めた者の落ち着きが、この一行の芯にある。

TUBEはこの13枚目で、自分たちの音の幅を、いつもと逆側へひと押し広げている。夏の入り口で笑う声と、夏の出口で振り向く声。両方を鳴らせるバンドになった、その分かれ目の一枚だ。

男の声が女の記憶を預かる筆致

歌詞は、女性の一人称で書かれている。作詞はボーカルの前田亘輝。バンドの歌い手が、女性の声で、失われた恋の景色を編んでいく。

書かれるのは、過去のひと夏を象徴的にまとった記憶だ。相手の胸のなかで少女を脱ぎ捨てた、あの夏。輪郭のはっきりした「あの日」があるからこそ、今日の別れの告げ方も具体になる。細部を書き込むほど、遠ざかっていく背中がかえって近く見える。書き手が男性であることは、その情景の作り方の潔さに現れる。飾らず、余白を残して、女性側の胸のなかを覗き込みすぎない。

明るい海辺の景色のなかに、女性の記憶が置かれている。この対比が、TUBEのそれまでの夏曲になかった奥行きを引き寄せる。陽の当たる夏に、陰の側からの一声が差し込まれるとき、聴き手の側の夏の記憶も一度ゆらぐ。自分が置いてきたはずの夏を、思い出したくなる。

視点を女性に貸してみせたことで、逆に前田亘輝の男の声の側の余白が広がる。歌い手はここでは女性のことばの伝達役に回っており、感情の輪郭を強く握らない。押しつけない声で押しつけない別れを歌う手つきが、季節の湿度を上げずに、切なさだけを届ける役割を果たしている。

失恋を座り込ませないラテンの刻み

作曲は春畑道哉。バンドのギタリストが、盛夏のサウンドとしてこのメロディを書いている。サビの上昇していく音の運びは、感情のもり上がりに素直に沿っている。転調で驚かせるより、順当に山を作って落とすほうを選んだ書き方だ。

編曲はラテンのリズムを主素材にした音構成が組まれている。刻みが打ち出す小気味よさ、パーカッションの粒立ち、ホーンセクションの明るいアクセント。夏の海辺の景色を、いつもよりカラッと、少し大人の温度で鳴らす手つきになっている。

ラテンのリズムには、失恋の話を湿らせずに運ぶ力がある。刻みが止まらない限り、身体は前に運ばれ続ける。悲しみに座り込むかわりに、歩幅を落とさずに景色を送り出していく。夏を「終わらせる」歌がしめっぽくならず、むしろ透けた光を保っていられるのは、この足取りの支えが効いているからだ。バラードの情感と、体を止めないビートの折り合いを、バンドが自分たちの手でつけた。

アルバムに入れず盛夏に立たせた孤高

50万枚を超えて売れたシングルであるにもかかわらず、この曲は当時のオリジナルアルバムには収められなかった。翌年に発表される『Smile』にも、その次の『納涼』にも入らず、1996年のベスト盤『TUBEst II』で、ようやくアルバムの器に収まる。

盛夏に単発で切って出した1枚が、その季節と一緒に鳴り、季節が終われば静かに手を離れる。そういう扱われ方をした夏歌謡の輪郭が、この曲の孤高さを支えている。アルバムのなかで前後の曲と会話をせず、シングルとして一度だけ、あの夏に一度きり鳴った。だからこそ、次の夏に取り出して鳴らすと、いつも同じ温度で戻ってくる。

女性の一人称、ラテンのリズム、そしてアルバムに入れずに独立させた扱い方。3つの選択が重なって、夏の終わりの側から夏を聴く角度が完成した。バンドが自分たちで音を作り込むようになった、その仕上げの一枚として、この曲はTUBEのなかで独自の位置に立ち続けている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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