1. トップ
  2. エンタメ
  3. 45年前、作詞家がひとり変わっただけで アイドルの背後の空気が差し替わったワケ

45年前、作詞家がひとり変わっただけで アイドルの背後の空気が差し替わったワケ

  • 2026.7.11
undefined
1981年12月、第23回日本レコード大賞でゴールデン・アイドル賞を受賞した松田聖子(C)SANKEI

真夏の通りに、白いパラソルが一本ひらいている。パラソルの内側だけは光がやわらぎ、その下に若い女性が立って、遠くの海の匂いを吸い込んでいる。夏という季節が、写真一枚に凝縮されたような光景だ。少女ではなく、まだ大人でもない、あわいに立った眼差し。あの夏、ラジオから流れてきたその歌声を憶えている人は、この一曲をきっと、そんな絵として思い出す。

松田聖子『白いパラソル』(作詞:松本隆/作曲:財津和夫)ーー1981年7月21日発売

6枚目のシングルとして届けられたこの一曲は、聖子の歌にいつもと少し違う静かな光を落として、あの夏を通り過ぎていった。

肌の温度から眼差しの光源へ差し替わる

デビュー曲から5作連続で聖子の歌詞を書いてきたのは、三浦徳子だった。『裸足の季節』『青い珊瑚礁』『風は秋色』『チェリーブラッサム』『夏の扉』。夏と潮風とまばゆい表情を、まだ幼さの残る女の子の体温で書き上げた5枚。その手から、この6枚目でついに松本隆へバトンが渡る。以降、聖子のシングルの詞を松本が長く担っていくのだが、その始点はまさにこの一曲にある。歴史のスタートを飾るには、ずいぶんと物静かな絵柄の一曲だと思う。

三浦徳子の書く聖子と、松本隆の書く聖子は、同じ人が歌っていても匂いが違う。三浦の聖子は、夏の砂浜で笑いながら振り向く女の子の生々しい体温。松本の聖子は、その女の子がふと足を止めて、遠くを見ている時の眼差しの温度。前者には肌のきらめきがあり、後者には瞳の奥の光がある。

歌のなかに描かれる感情に、近づく距離が少し引く。近くから抱きしめるのではなく、風のなかで見つめる。作詞家がひとり変わっただけで、聖子の背後の空気そのものが変わっていくのを、この一曲は静かに告げているように感じる。バトンタッチという言葉は事務的だが、実際にそこで起きたのは、聖子の眼差しに別の光源が差し込まれるという、密やかな出来事だった。

感情を書かず風景の隙間に待つ心を置く

タイトルからして絵になっている。「白」という抽象と「パラソル」という物質が、たった一語のなかで並んで置かれている。白は色ではなく光の名前で、パラソルはその光を切り取るための道具。松本隆は、感情を書かずに、感情の輪郭を風景で書く作家だ。女の子ではなく、女の子がいる場所の風景を書く。その律義さが、この曲では特に際立っている。

海が見える。風が吹いている。パラソルの縁が揺れている。詞を追っていくと、心情を直接告げる言葉は驚くほど少なくて、その代わりに、光と風と海の匂いが積み重ねられていく。感情はどこにあるかと言えば、その情景の隙間にある。読む側が、風景から自分の想いを立ち上げるように仕組まれているように映る。だから、この歌は近づいてくるのではなく、遠くから届く。海辺で誰かを待っている、その待つ心のかたちだけが、白いパラソルの下に凛と置かれている。

浜辺、夕日、光、風。松本隆が生涯にわたって書き続けたモチーフたちが、聖子の歌の入り口に静かに集まってくる。ここから彼は聖子のためにおびただしい詞を書いていくことになるのだが、その最初の入り口として選ばれたのが、日盛りに開かれた一本のパラソルだったというのは、詩人の仕事として端正すぎる幕開けだと言いたくなる。風景を書きながら心情が浮かび上がる、その技術。松田聖子の声を得たこの一曲で、松本の描写律は日本の夏の空気の中へ、揺るぎない透明さで降り立ったのだ。

一直線の旋律に洋楽的なとがりが重なる

作曲を手がけたのは、チューリップの財津和夫。フォークとポップスのあいだで長く歌を書いてきた作家のメロディが、聖子の声に乗ると、驚くほどに軽やかな輪郭を持つ。跳ねすぎず、粘りすぎず、風のなかを走っていくような一直線の旋律。歌謡曲のサビが持ちがちな押しの強さを、財津の書き方は柔らかく手放してしまう。だから、聖子の抜けの良い声が、そのメロディの上でよく走る。Aメロからサビへの階段が、無理に音を高くせず、ゆっくり呼吸を運んでくれるように書かれている。聞き手のほうも、力むことなく夏の高さまで一緒に登っていける、そんな造りだ。

その旋律に音の色を与えたのが、編曲の大村雅朗だ。美しいストリングスサウンドの中に、ギターの音色が綺麗に重なっていく。歌謡曲の甘さの上に、洋楽的な質感を薄く一枚重ねる、その塩梅。松田聖子・財津和夫・大村雅朗はいずれも福岡の出身で、血が繋がっているような偶然が、この一枚に集まっている。あの音の抜け方には、どこか同郷の吐息のようなものが混じっているように聴こえる。

パラソルの向こう側から届く距離で歌う声

松田聖子の声を、あの夏の光と一緒に思い出す人は多いのではないか。鼻にかかった甘さと、抜けの良さ。この曲では特に、パラソルの向こう側から届いてくるような距離感で歌っている。詞が置いた光と、声の立ち位置がそっくり合っている。近づかず、遠ざからず、白いパラソルの下から歌う。サビの一歩手前で息を吸う瞬間の、あの短い白い間。歌より先に、パラソルの下の風景がふっと立ち上がるように聴こえる、その一瞬こそがこの一曲でいちばん鳥肌が立つところだ。

あの夏、聖子のシングルは一段違うところに立ったと感じる。子どもの輝きをまだ手放さないまま、その声に大人の入り口の光をうっすらと纏うようになった一枚。あの声で歌われるパラソルの白は、いま聴いても目を細めたくなるほどまばゆくて、そして少しだけ切ない。数字ではなく、光の質感でその大きさを見せた一曲だと感じる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

の記事をもっとみる