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27年前、破局・緊急搬送・白馬の復帰会見 作詞欄に自分の名だけ並べた夏

  • 2026.7.11
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1999年5月、休養後の復帰会見を行った華原朋美(C)SANKEI

「歌手として戻ってきた」そんな気持ちが、こんなにも重く響いた発売日を、他に思いつかない。

1999年の夏。前年末から半年近く、テレビの前で語られていたのは彼女の歌でなく、彼女の人生の側だった。破局のこと、療養のこと、移籍のこと、そして御殿場の乗馬クラブでの復帰会見。ワイドショーが差し出した映像の隙間で、あの声はしばらく音を止めていた。

華原朋美『as A person』(作詞:華原朋美/作曲:菊池一仁)ーー1999年7月22日発売

14枚目のシングル。ただし、彼女がひとりで作詞の欄に自分の名前を並べた、初めてのシングルでもあった。

所属の外から集まった三人の作り手

このシングルの現場を思い浮かべると、まず布陣の妙に唸る。

プロデューサーは松浦勝人。当時、浜崎あゆみらを世に送り出しつつあったヒットメイカーであり、MAX MATSUURAの名でもクレジットに並ぶ人物だ。作曲は菊池一仁。浜崎あゆみ『Depend on you』『SURREAL』を書き、Every Little Thing『fragile』で日本レコード大賞作曲賞を掴むまだ若い書き手だったころだ。編曲は明石昌夫。B'zのステージでベースを抱え、ZARDの楽曲の半分近くを組み立ててきた、いわばビーイングの音の指揮者である。

華原朋美の所属先の外側から集められた三人が、それぞれの居場所を持ち寄って、一枚のシングルの現場に集まってきている。この編成そのものが最初から異例だった。作詞・作曲・編曲・プロデュースの四役をひとりの手で束ねる小室哲哉の流儀とも、彼を頂点に据えてきた小室ファミリーの制作体制とも、明らかに違う設計図が引かれている。

華原朋美という歌手を、次にどこへ届けるか。その一問に、当時の日本の音楽シーンで動ける最良の書き手・弾き手・仕掛け手が、社の壁を越えて回答した形だ。

白馬から一ヶ月声で返事をした夏

前年末から数えて、彼女には長い、長い上半期があった。プロデューサーであり恋人でもあった相手から離れ、年明けには体調を崩して緊急搬送された。春先に事務所を移り、初夏には御殿場の乗馬クラブで、白馬をかたわらに置いてカメラの前に立った。あの会見の映像を覚えている人も、覚えていない人も、そこで語られていたのが「歌」の言葉でなかったことは共通している。

だからこの発売日は、彼女にとって単なる新譜のリリースではない。歌手としての現場に、声で戻ったという事実そのものが、あの夏、街のレコード店の棚に、一枚のシングルとして置かれた。

会見から発売までは、およそ一ヶ月。世間の熱狂の記憶がまだ湿っているうちに、彼女は歌の側から返事をした。25万枚を超えるヒットとして残った売上は事後の証拠でしかないが、その証拠は、いまも消えないままだ。

作詞欄の四文字で別れを引き取る

この一曲の背骨は、実は音のディテールよりも作詞欄の一行にある。

as A person、ひとりの人として。タイトルの直訳を口の中で転がしてみると、この曲が向けている宛先の重さが、静かに立ち上がってくる。かつてのプロデューサーであり、恋人でもあった相手に向けて、これ以上お互いを傷つけあわないための距離を、彼女は自分の言葉で引こうとした。

作詞欄には「華原朋美」の四文字だけが並ぶ。それまでのシングルでは、当時のパートナーとの共作詞という形を取ることもあったが、たったひとりで詞の全部を引き受けたのは、この曲が最初だった。

歌手の名前と、詞の書き手の名前が、同じ一行に重なる。誰かが用意した言葉を借りて心情を代弁するのではなく、自分の言葉で自分の別れを引き取る。この選択が、あの夏の彼女がマイクの前で選んだ「戻り方」の芯だった。

菊池一仁が書いたメロディは、ため息のような一節がしっかりと届く音の起伏で、明石昌夫の編曲は、そこに余計な光を差し込まない。ゆるやかなテンポのバラードの上で、彼女は自分の言葉に自分の声で答えていく。小さな詞集の一行のような手触りが、シングル一曲分の時間の中で途切れない。

ここで彼女は、歌のうまさを見せることでなく、詞の芯を耳の奥まで届けることを選んでいる。だからこそ、聴き終えたあとに残るのは声の跡ではなく、書き手の意志の跡になる。

湿った季節の外側で棚に残った一枚

四ヶ月後に発売される4枚目のアルバム『One Fine Day』では、彼女は収録曲の全編で作詞を担う。『as A person』は、そのアルバムから始まる新しい体制の起点として、いま振り返ると呼吸のちょうど良い一段目に置かれていたのだと分かる。

ゴシップの熱がひととき街を包んだあの季節、彼女が世に残したのは、他人が拾ったエピソードでなく、自分で書いたひとつの詞と、自分で歌った一枚のシングルだった。当時の湿った空気は、四半世紀を経ればもう誰の記憶からも薄れていく。それでも、ひとりの人として、というタイトルの一行だけは、他人の視線に染まらない場所で、そのままの意味で棚の上に立っている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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