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《「サンクチュアリ」で大ブレイク》一ノ瀬ワタルが明かす、格闘家時代の“致命的な欠点”と、“スーパーエキストラ”の始まり

  • 2026.6.23

Netflixドラマ「サンクチュアリ -聖域-」の力士・猿桜役でブレイクを果たした一ノ瀬ワタルさん。6月26日公開の映画『四月の余白』では、劇場映画初の主演を務め、更生施設で暮らす問題児たちと向き合う元受刑者を演じています。元格闘家としても知られていますが、なぜ格闘家としてのキャリアを捨て、俳優の道を選ぶことになったのか。唯一無二の存在感を放つ一ノ瀬さんの原点に迫ります。


柔道少年がK-1に憧れて

一ノ瀬ワタルさん。

――福岡県で生まれ、佐賀県で育った一ノ瀬さんですが、少年時代に柔道を始められた理由は何だったのでしょうか。

父と兄の影響もありますが、いちばん大きかったのは、実家の裏に住んでいた1歳下の男の子とすごく仲が良かったことですね。彼が柔道を習い始めたことで遊べなくなってしまい、「もっと一緒にいたいなぁ」と思ったのがきっかけでした。全国大会でも上位に名があがるような道場だったので、練習は結構厳しかったです。

――その後、本格的に格闘家を目指されるわけですが、その経緯を教えてください。

柔道を続けていたこともあり、推薦でレスリング部のある高校に進学しました。でも、当時はK-1が大流行していた時期で、次第に「K-1に出てみたい!」という思いが強くなっていったんです。

三者面談で「将来は何になりたいか?」という話になったとき、「キックボクシングを習って、K-1に出たい」と答えました。すると、レスリング部の顧問の先生から「お前はキックボクシングじゃなくてプロレスだ! 新日本プロレスに知り合いがいるから紹介する。高校を卒業したら新日に入れ!」と言われて(笑)。

上下関係も厳しい世界ですし、先生の助言は絶対。「このままだとプロレスラーになるかも!」と思い、16歳で高校を中退し、キックボクシングのジムに通うために東京に出てきました。

―― 一ノ瀬さんの選択に、ご家族はどのような反応をされたのでしょうか?

母は仕事で忙しく、年の離れた兄や姉も家にいないことが多かったので、幼い頃は祖母と過ごす時間が長かったんです。先人の知恵というか、よくいろんなことを教えてくれました。ほとんど内容は覚えていないんですけど(笑)、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」とはよく言われていましたね。

当時は「ふーん」としか思っていませんでしたが、人生のターニングポイントに差し掛かったとき、必ず思い出すのがこの言葉で。結果的に、いつも困難なほうの道を選んできた気がします。

タイ修業を経て、『クローズZERO II』でエキストラ初体験

一ノ瀬ワタルさん。

――次のターニングポイントといえば、沖縄のジムに移籍し、後にタイへ修業に行かれたことでしょうか。

そうですね。東京では毎日キックボクシングの練習をしながら仕事もしていたので、月に15万円ほどの収入がありました。当時の自分にとっては使い道がわからないほどの大金でしたし、彼女もできて毎日がめちゃくちゃ楽しくて。だんだんと練習に行かなくなってしまったんです。

ふと「このままじゃヤバい、K-1に出られなくなる」と焦っていた時期に、内弟子制度のある「真樹ジムオキナワ」に声をかけていただいて。「仕事はしなくていい代わりに、住み込みで朝から晩まで練習。テレビなどの娯楽も一切禁止」という過酷な環境でしたが、祖母の言葉を信じて自分を追い込むことにしたんです。その後、大きな大会で負けたのを機に、キックボクシングの本場であるタイへ修業に渡りました。

――2年間のタイ修業から戻られた後、2009年公開の映画『クローズZERO II』にエキストラとして参加されています。監督の三池崇史さんは、「真樹ジム」の創設者である真樹日佐夫さんと親交が深いですよね。

タイから戻ったとき、ジムの先輩が「ネットでエキストラを募集しているぞ」と教えてくれたんです。もともと原作が好きでしたし、めちゃくちゃ出たかったんですけど、内弟子は基本的に外出禁止で、支部長の許可を取らないといけないんです。

ダメ元で支部長に「すいません!『クローズZERO II』に出たいんです!」と直談判したら、「じゃあ、三池監督に電話してやるよ」と言われて、「ええー!?」と(笑)。支部長と三池監督が繋がっているなんて一切知りませんでしたから。

一ノ瀬ワタルさん。

――そこから演技の魅力に目覚め、エキストラを続けられたのですか?

いえ、撮影が終わったら沖縄に戻り、これまで通りの生活でした。ただ、格闘技を始めてからずっと、対戦相手に対して「俺はすごく悪いやつを倒すんだ」という強い気持ちで挑んでいたんです。でもある試合の計量中、相手選手に会ったらめちゃくちゃ良い人だったんですよ。

試合には勝ったのですが、その選手が泣いている姿を見たとき、なんとも言えない罪悪感に駆られてしまって……。「自分は本当にキックボクシングをやりたいのだろうか?」と、違和感を持つようになりました。

それからは「できるだけ試合はしたくない、ベストな成績は引き分けだ」と考えるようになってしまって。お金を払って観に来てくださる観客を楽しませるプロとして、誰も傷つかないのがベストだなんて、格闘家として絶対にダメな考えですよね。そんなとき、ジムのUSENから流れてきたFUNKY MONKEY BABYSさんの『ちっぽけな勇気』が刺さったんです。

「スーパーエキストラ」から俳優の道へ

一ノ瀬ワタルさん。

――『ちっぽけな勇気』のどういったところが響いたのでしょうか。

当時は誰が歌っているのかも、曲名すらも知りませんでしたが、「今現在やってる事が本当にやりたい事なの?」という歌詞がすごく引っかかって。「俺は誰かを蹴落としてまで上にあがりたいのか?」という考えが頭から離れなくて、それを機に現役を引退して、地元に帰りました。

地元では新しい彼女もできて、「このままこっちで就職するのかな」と思っていたのですが、ふと「俺はこれまで必死にやってきたキックボクシングを、自分の中でちゃんと成仏させていないじゃないか」と、つらくなったんです。

自分の名をあげようとか関係なく、これまでのキックボクシング人生にきっちりケジメをつけるために、「2年間限定」と決めて前田憲作さんが設立した「チームドラゴン」に入るため、再び東京にやってきました。

――そこでやっと、“スーパーエキストラ”時代が始まるわけですね。

キックボクシングだけでは食べていけないのでアルバイトとして始めたのですが、ありがたいことに色々な現場からお声がけいただくことが増えて。いつの間にか「スーパーエキストラ」と呼ばれるようになっていました(笑)。

とあるドラマのプロデューサーから「なぜ事務所に入って役者をやらないの?」と聞かれたときも、「エキストラ事務所には入っていますけど……」と答えてしまうくらい、当時は芸能界の仕組みを何も分かっていませんでしたね。

――ちなみに、格闘家時代からエキストラ時代を通じて、「最も怖かった経験」はありますか?

人生でいちばん怖かったのは、キックボクシング中に相手のキックを受けて、睾丸が片方割れてしまったときですね。レントゲンを見たときのショックは一生忘れられませんし、「さすがにやめよう」と思いました(苦笑)。

それから何年か経ち、映画『宮本から君へ』(19年)のオーディションを受ける機会があったんです。演じた真淵拓馬という役は、偶然にも主人公の宮本に睾丸を潰される役で。「本当に潰れたことがあるんです!」と実体験をアピールしたことでこの役を勝ち取れたのかもしれないですね(笑)。

一ノ瀬ワタル(いちのせ・わたる)

1985年7月30日生まれ。福岡県出身。プロの格闘家を経て、俳優の道へ。「HiGH&LOW」シリーズ(15年~)や『宮本から君へ』(19年)などを経て、Netflix配信ドラマ「サンクチュアリ -聖域-」の主演に抜擢。今年は『炎上』のほか、『キングダム 魂の決戦』(7月17日より公開)にも出演している。

文=くれい 響
写真=佐藤 亘
ヘアメイク=星野加奈子
スタイリスト=皆川bon美絵

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