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量子力学を「虚数なし」で書き直すことに成功──実数で綴る量子の世界

  • 2026.6.22
量子力学を「虚数なし」で書き直すことに成功──実数で綴る量子の世界
量子力学を「虚数なし」で書き直すことに成功──実数で綴る量子の世界 / Credit:Canva

ドイツのハインリヒ・ハイネ大学デュッセルドルフ(HHU)とドイツ航空宇宙センター(DLR)の研究によって、量子力学は虚数を一切使わず、実数だけでも書けることが示されました。

この実数版は、複数の粒子がからみ合う実験まで含めて、考えうるすべての量子実験について、従来の量子力学とまったく同じ結果を予言します。

しかも今回は複数の量子がからみ合う場面まで、ほころびなく成立していました。

シュレーディンガーが方程式に虚数を書き込んでから約100年、虚数は量子世界に欠かせない部品だと信じられてきましたが、その常識が、いま大きくゆらいでいます。

私たちが量子力学の”本体”だと思っていた虚数は、便利な”文法”にすぎなかったのでしょうか?

研究内容の詳細は2026年6月18日に『Physical Review Letters』にて発表されました。

目次

  • 虚数を「柱」にしたのは量子力学だけだった
  • 虚数とは何か ── ありえない数の正体
  • 量子世界を虚数無しで描くことに成功
  • 虚数は量子力学の本体だったのか、それとも文法だったのか

虚数を「柱」にしたのは量子力学だけだった

Credit:Canva

ニュートンの運動方程式、マクスウェルの電磁気学、アインシュタインの相対性理論――。

物理学の歴史を彩る大理論は、どれも「実数」だけで書くことができます。

もちろん計算の途中で虚数が顔を出すことはあります。

電気回路の計算では複素数が頻繁に登場しますし、波の干渉を扱うときにも便利な道具です。

しかしそれはあくまで「近道」であって、最終的な答えはいつも実数に戻せました。

虚数はいわば「足場」のようなもので、建物が完成すれば外してしまっても問題はなかったのです。

ところが、量子力学だけは事情が違いました。

量子の世界を記述するシュレーディンガー方程式には、虚数単位 i が方程式の骨格そのものに組み込まれています。

計算の便宜ではなく、理論の構造の一部として。

物理学の長い歴史のなかで、虚数を「足場」ではなく「柱」として必要とした理論は、量子力学だけだったのです。

では、虚数は量子世界そのものに埋め込まれた部品なのでしょうか?

それとも、量子世界をもっとも読みやすく表現するために人間が選んだ、優秀な記述法にすぎないのでしょうか?

虚数とは何か ── ありえない数の正体

私たちが日常で使っている数は「実数」と呼ばれます。

1、−3、0.5、円周率π……。

これらはすべて、一本の数直線の上にきれいに並べることができます。

この数直線の世界では、どんな実数を二乗しても、答えが負になることはありません。

プラスの数を二乗すればプラス。

マイナスの数を二乗しても、マイナス×マイナスでやはりプラス。

つまり「二乗して−1になる数」は、数直線のどこを探しても存在しません。

しかし数学者たちは、あえてこの「ありえない数」を発明しました。

i² = −1

この性質を持つ数 i が「虚数単位」です。

そして実数と虚数を組み合わせた数が「複素数」と呼ばれます。

たとえば 5 + 3i なら、実数方向に5歩、虚数方向に3歩という感じで点が決まります。

虚数の正体は「回転」ととらえるとわかりやすいです
虚数の正体は「回転」ととらえるとわかりやすいです / Credit:Canva

こうして、これまで「どこにも置けない記号」だったものが、「縦方向の位置」として素直に図の中に描けるようになりました。

このように、虚数を含む複素数を平面上の点や矢印として扱えるようになったことで、i は「仕方なく我慢して使う記号」ではなく、「平面の中で特定の方向を示す成分」として理解されるようになっていったのです。

方向として理解するなんて「数学じゃない」と思うかもしれませんが、数学において「方向」は非常に重要です。

実際 i の掛け算を行うと、一定のパターンも見えてきました。

それは回転です。

たとえば 5 + 3i に i をかけると、i(5 + 3i) つまり −3 + 5i となり、元の点 (5, 3) が (−3, 5) という位置に移ることが確かめられます。

つまり i を掛けるとは、「原点を軸にして 90 度回す」という幾何学的な操作を、数の世界に持ち込めたのです。

実際、このiを適切な式に組み込むと円を描けることもわかりました(eⁱˣ = cos x + i sin x)。

オイラーの公式(eⁱˣ = cos x + i sin x)
オイラーの公式(eⁱˣ = cos x + i sin x) / iを適切な式に組み込むと円を描けることもわかりました(eⁱˣ = cos x + i sin x)/Credit:Canva
【コラム】i の i 乗は、なんと実数になる
「i を i 乗すると何が見えてくるでしょうか?」もし i が本当に「中身のない飾り」なら、こんな計算をしても意味のある”きれいな値”が出てくるのは不思議です。ところが、標準的な取り方(主値)で計算すると iⁱ = e^(−π/2) ≈ 0.20788⋯ となり、虚数を含まない実数として出現します。あえてイメージで言うなら、i を i 乗するとは、i が持っていた「向きの力」が離れて「大きさの変化」に姿を変え、結果として実数が現れる現象だと言えます。

つまり虚数とは単なる計算ツールではなく、数の世界に「向き」や「回転」を持ち込む概念であると言えます。

この性質が、量子力学では決定的に重要になります。

電子や光子といった粒子の状態は、「波動関数」と呼ばれる可能性の波で表されます。

波には大きさだけでなく、「位相」と呼ばれるタイミングや向きの情報があります。

量子の世界で起きる不思議な干渉現象を計算するには、この位相を必ず追いかけなくてはなりません。

そこで虚数の出番です。

量子状態をつくる一つひとつの数(複素振幅)には「大きさ」と「位相」があり、それはちょうど複素数の「長さ」と「角度」に対応します。

複素数を使えば、二つの情報を一つの数にまとめて計算できる。

音楽にたとえるなら、音量だけでなくリズムのタイミングまで一つの記号で書ける楽譜のようなものです。

シュレーディンガー方程式に虚数 i が現れるのは、まさにこの位相の変化を記述するためでした。

i を掛けるとは矢印を90度回すこと、つまり波の位相を回転させる操作そのものです。

歴史的に、ほかの物理学(ニュートン力学や電磁気学)でも複素数は使われていましたが、あくまで計算を便利にするための道具であり、最終的には実数だけで書き直すことができました。

しかし量子力学では、虚数を取り除くと理論がそもそも成立しないように見えたのです。

こうして虚数は、量子力学の”中心言語”として100年近く君臨してきました。

そして多くの物理学者が、こう考えるようになります。

量子力学がこれほど奇妙なのは、もしかすると、それが”奇妙な数”の上に成り立っているからではないか――。

重ね合わせ、量子もつれ……量子世界の不可解さは、虚数という不可解な数と分かちがたく結びついているのではないか。

そう考えると、量子力学の奇妙さに、どこか腑に落ちる説明がつくような気がしたのです。

この「虚数は量子力学に不可欠だ」という直感は、2021年にいよいよ科学的に裏づけられたかに見えました。

研究チームは、実数だけで書いた量子力学では、複数の粒子が離れた場所で関わり合う実験(ベル型)を正しく再現できないことを理論的に示したのです。

しかも、これは机上の話だけでは終わりませんでした。

2022年、中国を中心とする複数の研究チームが、光子のネットワークや超伝導量子ビットを使った精密な実験で、相次いで検証を行いました。

実験では

「もし自然が実数だけで動いているなら、この実験ではAという結果が出るはず」
「もし自然が複素数を必要としているなら、Bという結果が出るはず」

という形が組まれました。

結果はすべて「B」つまり「複素数版が予想する側」のものでした。

こうして「やはり量子力学に虚数は必須なのだ」と結論づける物理学者が、世界中に大勢現れることになります。

ところが、ここに見落とされがちな”小さな但し書き”がありました。

量子力学では、離れた二つの粒子を「一つの大きな系」として扱う場面がしばしば登場します。

量子もつれの計算がその代表例です。

このとき、二つの系を合体させるために「テンソル積」と呼ばれる数学的なルールが使われます。

テンソル積は、量子情報理論の土台でもあり、あまりにも標準的に使われているため、ほとんど「自然法則の一部」のように受け取られていました。

2021年の研究も、このテンソル積ルールをそのまま前提に置いていたのです。

実は2021年の研究が裁いたのは、この前提の量子力学だけだったのです。

これは「日本語だけで、世界中のすべての料理レシピを翻訳できるか?」というチャレンジを「ただし特定の辞書だけを使って行う」というものに似ています。

試してみたところ、一部のレシピは日本語だけでは正確に翻訳できないとわかっても、それは日本語そのもののポテンシャルが不足しているか、使用した辞書(前提)に問題があったのかを切り分けられないのです。

2021年のテストにおける前提ルール(テンソル積公理)は、この「特定の辞書」に相当します。

特定のルール(前提)を使う限り、実数だけの量子力学は確かに破綻します。

しかし、それは「実数では量子力学が書けないことそのもの」の証明なのでしょうか?

それとも「あの前提ルールでは書けない」ことの証明にすぎないのでしょうか?

この問いに正面から取り組んだのが、今回のドイツの研究チームでした。

量子世界を虚数無しで描くことに成功

量子世界を虚数無しで描くことに成功
量子世界を虚数無しで描くことに成功 / Credit:Canva

量子力学には虚数が必須なのか?

研究者たちはまず発想をこう切り替えました。

「問題なのは「実数では書けない」ことではなく、「前提のルールが実数版には厳しすぎた」ことなのではないか?」

彼らは、数学の合体ルールを天下り式に押しつけるのをやめ、代わりに物理的に当たり前の原理から出発しました。

その原理は、拍子抜けするほど素朴です。

離れた場所にAとBがあるとき、Aだけをいじった操作が、遠くのBを直接書きかえてしまってはいけない――というものです。

もちろんこれは、AとBのあいだの量子もつれ(離れていても、示し合わせたように振る舞う、あの不思議な結びつき)が消える、という意味ではありません。

二つを並べて測れば、たがいに結びついた結果は、これまでどおりちゃんと現れます。

研究チームは、状態の表し方も、測定のしかたも、確率の出し方も、これまでの量子力学のまま変えませんでした。

そこに、この素朴な原理をひとつだけ新しく付け加えたのです。

そうして、実数だけで複数の量子を組み合わせる仕組みを、数式の上で組み上げました。

鍵となったのが、それぞれの量子に小さな「札(ふだ)」を持たせる工夫です。

といっても、この札は手で触れたり直接測ったりできる実在の部品ではありません。

虚数が抱えていた情報を、実数だけで書き留めておくための、いわば計算用のメモ書きです。

しかも、このメモだけをこっそりのぞき見るような測定は、はじめから許されていません。

複素数の「5 + 3i」を実数化するときには、横方向の「5」と縦方向の「3」を別々に記録する必要があります。

研究チームは、各量子に二つの目盛りを持つ札を取り付け、片方に実数部分、もう片方に虚数部分を書き込むようにしました。

虚数 i を掛けると矢印が90度回転する——その操作も、札の二つの数値を入れ替えて符号を反転させることで、虚数の文字を一切使わずに再現できます。

さらに研究者たちは「同じ物理状態を表す札の組み合わせは、共同で管理している一冊の帳簿のように最初から同じものとして扱う」ことにしました。

数学の言葉では、これを「商空間(しょうくうかん)」と呼びます。

意味の同じ書き方を一つにまとめてしまう操作です。

たとえるなら、東京の「ある瞬間」を記録するとき、「日本時間で15時」と書いても、「世界共通の基準時刻でいえば6時」と書いても、指している瞬間は同じです。

書き方は違うけれど、意味は一つです。

研究チームは量子状態についても、このように同じ物理を表す異なる表記をグループとして束ね、一つの状態として扱いました。

こうして、複素数版の量子力学と実数版の量子力学のあいだに、完全な一対一の翻訳辞書が完成しました。

複素数版にある状態は、実数版にも対応する状態があります。

複素数版の測定操作には、実数版で対応する操作があります。

複素数版から実数版へ訳すことも、その逆もできます。

そして二つの版は、標準的な量子力学が扱う実験では完全に同じ確率を予測します。

通常の量子力学が「30%」と答える測定があれば、実数版も「30%」と答えます。

かつて実数版を葬ったはずの実験すら、新しい実数版はちゃんと再現できるのです。

標準的な量子力学で虚数 i が担っていた「回転」や「位相」の仕事は、実数版ではフラグの回転や商空間のグループ化へと引っ越しています。

言葉や文法は違っていても、記述される物理の中身はすべて一つずつ対応している——まさに、同じ小説の日本語版と英語版のような関係です。

なお今回の論文はその成果を評価され、Physical Review Letters誌の「編集部推薦論文」に選ばれています。

虚数は量子力学の本体だったのか、それとも文法だったのか

虚数は量子力学の本体だったのか、それとも文法だったのか
虚数は量子力学の本体だったのか、それとも文法だったのか / Credit:Canva

今回の研究により量子世界において「虚数は欠かせない必須部品だ」という主張の根拠がはっきり弱まりました。

これまで「虚数こそ量子力学を量子力学たらしめている、取り外せない部品だ」と思われてきましたが、虚数を一つも使わずに、まったく同じ予言をする理論が組み上がってしまった以上、その見方はもう維持しにくくなりました。

実際、もし「量子力学は、虚数を使ってしか正しく書けない」のだとしたら、虚数を抜いた理論は、どこかで必ず間違った答えを出すはずです。

しかし、そうはなりませんでした。

ただし「だから世界は本当は実数だけでできている」と言い切ることもできません。

なぜなら、複素数版と実数版は、観測できるあらゆる実験で同じ答えを返すからです。

どんなに精密な測定をしても、私たちは「自然は本当は虚数を使っているのか、それとも実数だけなのか」を区別できません。

実験で勝敗が決められない以上、少なくともこの二つの書き方が同じ答えを返すかぎり、どちらが”世界の正体”なのかを、測定だけで見分けることはできません。

同じ土地を、緯度と経度で表すこともできれば、「駅から東に何メートル、北に何メートル」と表すこともできます。

二つの座標が同じ場所を指しているなら、どちらが「土地そのもの」なのかを、測量だけで決めることはできません。

今回の研究が示したのは、量子力学でもこれと同じことが起きている、ということなのです。

虚数は「必須」の座からは降りました。

けれど、実数が「正体」だと証明されたわけでもありません。

むしろ今回の研究は、表現方法として「虚数と実数、どちらが本物か?」という勝負ではなく、「量子世界の本体とは、特定の数式なのか、それともどの数式で書いても消えない”構造”のほうなのか?」という、より深い問いへと、問いそのものの形を変えたと言えるかもしれません。

もちろん、これですべてが片づいたわけではありません。

今回の決め手は「片方をいじっても、離れたもう片方には影響しない」という考え方でした。

しかし光子と光子、電子と電子のように、自然界には原理的に区別できない粒子が存在します。

こうした粒子の集団では「どこからが”片方”で、どこからが”もう片方”か」という線引きそのものが曖昧になり、こうした状況に今回の考え方をどう当てはめればいいのかは、まだはっきりしていません。

また、追加の仮定にいっさい頼らず、純粋に物理的な原理だけからこの実数版理論を導けるのか――それも今後の宿題です。

興味深いことに、フランスのInria(国立情報学自動制御研究所)などに所属する研究者ら(ホフレウモン氏とウッズ氏)も、別の道筋から「量子力学に複素数は必要ない」という同じ結論にたどり着いた論文を発表しています(arXiv:2504.02808)。

一方で、「局所性を前提にするなら、やはり複素数は必要だ」と逆向きに論じる研究も同時期に出ており(arXiv:2504.07808)、この問いをめぐる議論は、いままさに世界中で再燃しているところです。

それでも、今回の研究が残したものは小さくありません。

シュレーディンガーが方程式に虚数を書き込んでから約100年。

「量子世界には虚数が必要だ」という、2021年以降は決着したかに見えた大前提に別の角度から光を当ててみたら、揺るぎないと思われていた常識が動き出しました。

世界の法則と、それを書くための数式は、本当に同じものなのか——。

100年前の方程式は、いまも私たちに問いを投げかけています。

参考文献

Braucht die Quantenmechanik komplexe Zahlen?
https://www.hhu.de/news-einzelansicht/braucht-die-quantenmechanik-komplexe-zahlen?utm_source=chatgpt.com

元論文

Quantum Mechanics Based on Real Numbers: A Consistent Description
https://doi.org/10.1103/4k13-sdjh

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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