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朝ドラ【風、薫る】女郎屋からの解放は幸せなのか——夕凪(セツ)が街へ踏み出すまでの道のり。看護婦見習いと医師たちの理念の違いにも注目

  • 2026.6.15

朝ドラ【風、薫る】女郎屋からの解放は幸せなのか——夕凪(セツ)が街へ踏み出すまでの道のり。看護婦見習いと医師たちの理念の違いにも注目

1日の楽しみは、朝ドラから! 数々のドラマコラム執筆を手がけている、エンタメライター田幸和歌子さんに、NHK連続テレビ小説、通称朝ドラの楽しみ方を毎週、語っていただきます。近代看護界の先駆者となった2人の女性を主役とする物語。「風、薫る」のレビューで、より深く、朝ドラの世界へ! ※ネタバレにご注意ください

夕凪の存在をめぐる展開がつづく

『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる・中央公論新社)を原案とし、激動の明治時代を駆け抜けた二人のナースを、見上愛・上坂樹里のダブル主人公として描くNHK連続テレビ小説『風、薫る』の第11週「凪にそよぐ」が放送された。

サブタイトルにある「凪」とは、ここ数週にわたりストーリー上で重要な存在となるであろう、直美(上坂樹里)の生みの親かもしれない女郎の「夕凪」の名前にかけたものであることは明らかである。

夕凪という名の女郎は、直美が街で突然似ていたからとその名前で呼ばれたことから、果たしてそれが直美の母かどうなのかということに焦点があてられてきた。

夕凪の存在をめぐる展開はつづく。

ある日、直美とりん(見上愛)が看護実習をおこなう帝都医科大学附属病院に、心中をはかった男女が運び込まれた。その女性こそ、女郎の夕凪(村上穂乃佳)である。夕凪の看護をしながら描かれる直美の複雑な思いや微妙な距離感といった内面とともに、女郎という存在そのものが抱える社会的な問題点にも迫る。

前者は、直美が夕凪の本名を問う場面にも凝縮される。魚住セツ、それが彼女の名前だ。ジブリ映画ではないが、自分の名前が取り上げられ別の名前を与えられ働かされる。前週、一命をとりとめた夕凪を、女郎屋「錦栄楼」の主人の権田(梅垣義明)が即刻連れ戻しに現れ、女郎は単なる「商品」としてみられ、人としての尊厳は軽視されていることが権田のふるまいからもうかがえる。彼女は「夕凪」という商品としての存在でしかないのである。

夕凪が直美の生みの親かどうかといった運命のいたずら的展開の前に、女郎・娼婦という、時には人として扱われないような存在に関する問題が目の前の現実として突きつけられた。直美は、「セツさん」と呼びかける。この本名で呼ばれることで自身の存在を確認できたかのように少しずつ柔らかい表情を見せ始めるセツ。これもまた「看護」のもつ本質であろう。

しかし、そこにある現実は簡単なものではない。前週も夕凪は「どうして助けた!?」と、直美たちに叫んだ。自分たちの看護や医師の治療によって元気になったところで、戻るのはまた〝地獄〟と呼んだ女郎屋での日々である。そのまま死なせてくれたほうが解放につながったかもしれないのにという思いの難しさも内包する難しい問題だ。

りんは、そんなセツの境遇をなんとかしてあげたいと、卯三郎(坂東彌十郎)に相談するなどしていた。卯三郎は、りんに廃娼運動についてとりあげた、ある新聞記事を見せる。その掲載元の新聞社を訪ねてみたところ、編集長の綿貫(小松和重)から夕凪への取材を求められるが、それはセツのことを世間にさらすことになったり、また連れ戻されることにもつながる。綿貫が言うには女郎の自由廃業は簡単なものではない。

シマケンの記事は大きな反響を呼ぶ!

そんななか、ひとつの記事が注目を集める。名前を「夕顔」とするなど細部は変えているものの、心中をはかった女郎の記事で、明らかに夕凪のことを取り上げたものだということは、事情を知っているものなら誰もがピンとくる内容だ。

記事の書き手はシマケンこと島田健次郎(佐野晶哉)だったことが判明する。

「僕が働いている新聞社に夕凪さんの話をしたら、記事を書かせてくれて」
とシマケンは言う。あえて分かるように書いた、文字の力を信じているから、というところはなかなかの策士である。小説家志望で、時にりんの理解者のような存在でもある謎多き青年として描かれてきたが、ここへきてその人物の輪郭が浮かび上がってきた感がある。こういったかたちでりんと直美の歩く道と直接的に交わってきたインパクトは強い。

当事者、つまりセツに直接話を聞いたわけでなく、卯三郎から聞いた話や周辺の情報をもとに一部創作も加えた半フィクションのようなものではあるが、記事は大きな反響を呼ぶ。今風にいうなら「特定」もされ、附属病院には続々とお見舞いが届く。

そのいっぽうで錦栄楼に対する世間の目は冷たくなり、客足が減ってしまうことになる。そして、
「このまま消えてくれ」
権田の口から思わぬ言葉が発せられた。記事の評判が、結果的にセツを〝地獄〟からの解放へと導いた。病院の医師たちの、当初は厄介者のように早く追い出したがっていたところからの手のひら返しもまた印象的だ。バーンズ(エマ・ハワード)のもと看護を学ぶ看護婦見習いたちと、医師たちの理念の違いのコントラストもまた本作の特徴的な演出であろう。

直美は、自分を産んだ母の名が「夕凪」だったことをセツに話した。会ってみたいかというセツの問いからの、人が生まれてからの運命に対するやりとりは、この時代に横たわる社会の不自由さが胸に突きつけられる、見応えあるものだった。明治期どころか戦後からも80年以上がたつ今も、ある種の不自由さ、理不尽さは残る。それをあらためて考えてしまうやりとりであった。女郎屋から解放され自由になったとはいえ、果たしてこれからどこに行けばいいのか。それが幸せに直結しないところに、「生き続ける」という大変さを考えさせられる。

まずは、「セツ」としてはじめて東京の街をフラフラ好きに歩いてみるという。そう言ってセツは病院をあとにした。「凪」とは、風がやみおだやかな波の様子を表す言葉だ。〝地獄〟で与えられたのがそんな名前だったというのもまた皮肉な話である。

セツの人生において、とりあえず凪が訪れたのだろう。そして、その中を本来の名前でおだやかに歩きはじめる。まさに「凪にそよぐ」である。

「今はいいかな、会わなくて」
直美はりんに、生みの親に対する考え方をそう言って笑った。セツとの交流が、直美の中に大きな変化をもたらせたのだろう。

直美とりんの看護をまなぶの道はまだまだ続く。

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