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30年前、日曜のお茶の間に降ってきた“ささやき声” 国民的アニメの幕開けに置かれたオシャレすぎる一曲

  • 2026.7.4
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2006年10月、映画『いちばんきれいな水』舞台挨拶に登壇したカヒミ・カリィ(C)SANKEI

国民的アニメのオープニング曲といえば、明るく抜けたコーラスで耳をつかむのが定石だった。そこへ、息混じりの細い声が一本だけ立ち上がる。歌い出しから歌い終わりまで一度も胸が開かない。ふだんの会話より一段下の音量で発音する声。それを2年間、日曜の夕方の地上波が淡々と流していた。

カヒミ・カリィ『ハミングがきこえる』(作詞:さくらももこ/作曲:小山田圭吾)ーー1996年6月9日発売

子ども向けアニメの看板枠に、輸入盤の棚から取り出したばかりのような音が乗る。当時の地上波で、この音色をこの位置で鳴らした例はほとんど無い。

伴奏のほうが代わりに息を吸っている

イントロは、ぱらりとした弦と細かい打楽器で始まる。長く伸ばす音は無く、刻みの粒だけが連なる、ジャズの小編成を借りたような軽いリズム。そこへ、息で立ち上げられた最初の一語が乗ってくる。普通のJ-POPの感覚で待っているとAメロからサビへ移る時に来るはずの「ぐっ」とした押し出しが、いつまで経っても来ない。声の出力は、最初の母音から最後まで一定のまま動かない。

それでも単調にはならない。Aメロでは刻みのリズムが小さく走り、Bメロに入ると弦が高めの位置で短いフレーズを差し込む。サビに当たる箇所では、その弦が小さく走り回って曲の彩度を一段上げ、間奏では木管に似た中音域の楽器が顔を出して場面を切り替える。歌い手が胸を開かない代わりに、編曲のほうが胸を開いている。

サビの後半、歌詞がほどけてハミングへ移る瞬間がある。言葉の輪郭が抜けて、母音だけになり、最後は鼻にかかる音になって伴奏の中へ沈む。普通の構成なら、ここはサビの「決め」が来るはずの位置だ。決めの瞬間に声を消す、という選択を、編曲は最初から受け入れて作られている。

原作者の耳が遠い界隈を連れてきた

カヒミ・カリィという歌い手は、1992年のマキシシングル『MIKE ALWAY'S DIARY』でデビュー、小山田圭吾のプロデュース下で作品を重ねてきた。いわゆる「渋谷系」の中で育った声が、日曜夕方のいちばん家族向けの時間にそのまま乗った。よく考えると、ずいぶん遠い距離が一気に詰められている。

その距離を詰めたのは、原作者の耳である。さくらももこは、当時の渋谷系のリスナーでもあった。アニメの新しいオープニングを誰に頼むかという選択は、彼女の趣味の地続きにあった。

作詞をさくら本人が引き受け、作曲・編曲を小山田が引き受け、歌い手にカヒミを置く。この三者の組み合わせは、サブカルの界隈では何の不思議も無い。ただし、その界隈の音をそのまま日曜夕方に流すという経路は、誰かが決めて開かない限り開かない。広い茶の間と狭い界隈を一つの画面に同居させた手つきは、商業の文脈の中で起きた、稀に見るすり合わせだ。

童話のひらがなと言葉以前の音が同じ高さに並ぶ

歌詞は、ひらがなを多く使った童話の手つきで書かれている。「ふしぎな夢のなかで」自転車に乗った子どもが空へと浮かび上がる。目を覚ますとその子が窓の外にいて、「ふわりふわりと浮かんで」消える。夢と現実が境目を持たずに溶ける、子どもの目線の話だ。書き方そのものが、息継ぎごとに区切られる歌い手の呼吸と同じ歩幅で進む。

そのテキストを支える音の側では、タイトルの「ハミング」が二重の意味を引き受けている。ひとつは、誰かの口から漏れる鼻歌としてのハミング。もうひとつは、声になりきらない気配としてのハミング。サビの締めくくりで歌詞がほどけて鼻にかかる音に変わるとき、この二つは音楽の上で同じものになる。歌詞という言語の側と、ハミングという非言語の側を、同じ高さに並べておく曲なのだ。

この曲を改めて再生したとき、まず気づくのは、もっとあとの時代の録音にも聞こえることだ。近接マイクで声を生のまま拾い、編成全体は薄く保つ。生楽器の刻みと電子の粒が同じ皿に乗っていて、どちらかが主導権を持たない。日本のポップスがここに辿り着くのは、まだ少し先のことだった。

発売の年、カヒミは活動の拠点をパリへ移している。日本での到達点を、ふつうの拍手ではない場所に置いたまま、その場を離れていった。

音が消えたあとに部屋の音が戻ってくる

最後の節を歌い終えたあと、曲はすぐには終わらない。声が抜けたあとの伴奏が、刻みを保ったまま少し続き、弦の細い線が一本だけ残って、ふっと閉じる。フェードアウトの長さは短く、余韻を煽る方向の引き伸ばしは無い。次のコーナーが始まる前に、ちょうど音が消えている長さだ。

直前まで流れていた音より一段下のレンジで全部が鳴っていたから、消えた瞬間に「ふだんの部屋の音」が逆に大きく聞こえる。家族の話し声、台所の物音、外を走る車。地上波の音楽が部屋の音を上書きしてくる時間帯に、上書きしないまま終わる音が混じっていた。

後追いで似た音が街にあふれた今でも、この録音だけが持つ独特の薄さは更新されないまま残っている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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