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30年前、ポップスの"セオリー"を裏切った一曲 売れ線を知り抜いた手が"定石を潰した"ロックナンバー

  • 2026.7.5
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1997年3月、東京・NHKホールで行われた相川七瀬コンサートより(C)SANKEI

歌の設計図には、ふつう「ためる」場所がある。Aメロで姿勢を低くして、Bメロでぐっと身を屈め、サビでようやく視界を開く。聴き手はそのごほうびを目当てに、息をつめて伴奏を追いかける。ところが、その勘どころを誰よりも知っている書き手が、敢えてためを置かない曲を新人に手渡すことがある。1996年の初夏、街のスピーカーから流れ出したこの疾走は、構造そのものが当時のヒットの定石を裏切っていた。

相川七瀬『BREAK OUT!』(作詞・作曲・編曲:織田哲郎)ーー1996年6月5日発売

開放点を聴き手から取り上げて走る

イントロの第一音が鳴った瞬間に、この曲が何をやろうとしているかが分かる。短く尖ったギターのリフが、歌より前にぐいと立ち上がる。普通なら歌を引き立てるために一歩引いているはずの伴奏が、最初から主役の位置で刻みはじめ、そのまま曲の終わりまで一度も身を引かない。

相川七瀬の歌が入ってきても、リフは引っ込まない。引っ込むどころか、声と並走してぶつかり合うように転がっていく。Aメロで姿勢を低くしてサビへ向かう、段取りがほとんど消えている。この曲にはいわゆる「サビ」らしい「サビ」がない。鳴っている音の量も、速度も、終始一定の高さで保たれる。

聴き手はどこで気持ちを緩めればいいのか、最後まで分からない。サビという「ごほうび」を待つあいだの予感、開放感、視界が一気に広がる瞬間、そういう快感の作り方をこの曲は丸ごと放棄している。代わりに差し出されるのは、速度そのものの快感だ。最後の音が唐突に断ち切られたとき、ひと駅ぶんを全力で駆け抜けたような充実感だけが残る。

定石を知る手が自分の定石を潰す

プロデュースは織田哲郎。90年代前半に売れ線の構造を量産してきた書き手だ。サビを大きく開いて聴き手の視界を広げる作り方を、誰よりも知っている。

その人がここでやっているのは、自分のセオリーを裏切ることだ。緩急の付け方を極力排し、ためを潰し、開放点をぼかす。普通ならサビへ向けて音を薄くするはずの手前で、むしろ音圧を保ったまま走り続ける。新人に提供する楽曲としては相当に攻めた設計に映る。

ただ、構造の大胆さは、ひとりの書き手の実験だけでは完結しない。設計を最後まで成立させているのは、その音の渦の上にきちんと立っていられる声があったからだ。

甘さも澄みも捨てた低い踏み込み

相川七瀬の睨みつけるような芯のある低めの声が、強い圧の伴奏に飲み込まれずに乗ってくる。きれいに澄ませる方向ではない。少しかすれて低く、地面を踏みしめるように出てくる発声で、甘さで聴かせる気がまったくない。

リフと声がぶつかり合うあの並走を成立させているのは、この発声の重心の低さだ。声がもう一段甘ければ、伴奏に飲まれてしまう。もう一段澄んでいれば、ぶつかり合いではなく上澄みのきれいな滑走になる。踏み込む声だからこそ、リフと対等に渡り合える。

整える前に走り出してしまうような若さの熱が、曲の速度ときれいに噛み合っている。デビューからわずか半年、怒涛のシングル連打の只中という性急さが、そのまま声の出し方に出ている。完成された歌い手ではなく、いまこの瞬間に走っている歌い手の声だ。

余韻で浸らせない断ち切りの潔さ

Bメロ終わりに「BREAK OUT!」と、唐突に走り終わる潔さは、引きずらない快さでもある。余韻で聴き手をたっぷり浸らせるという親切心を、この曲は持っていない。走り切ったらそれで終わりだ。最後の音が断ち切られたとき、聴き手は走っていた自分の呼吸だけを手元に残される。

フェードアウトで気持ちよく着地させる選択肢も、最後にもう一度サビを繰り返して念を押す選択肢も、どちらも取られていない。来た速度のまま終端へ突っ込んで断ち切る。聴き手の側に気持ちを整理する時間を与えない終わり方は、走り切った高揚をそのまま現実に投げ返してくる。心地よさよりも、まだ走り足りないという飢えのほうが先に立つ。

サビという開放点を置かないという選択は、勇気のいる賭けだ。聴き手の耳に「決め所」を覚えてもらえなくなる危険を、伴奏の押しっぱなしと、声の低い踏み込みの強さで補って成立させている。歌い手の芯と、書き手のセオリー破りが、たまたまではなく必然のように噛み合った瞬間がここにある。

聴く側の呼吸まで浅くなる速さ

相川七瀬の声が、伴奏の渦に飲まれず上に立っているこの疾走を、いま改めて聴き直すと、当時の街の空気よりもまず、自分の呼吸が浅くなっていることに気づく。聴いている側の身体が、曲の速度につられて走り出している。性急さが移るとはこういうことかと感じる。サビを置かないという選択の重さが、走り終えたあとの息切れに残るかたちでだけ立ち上がってくるように映る。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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