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「験担ぎしてない家は守られないわよ」10年以上同居している義母。だが、義母との合わない価値観にモヤモヤした話

  • 2026.5.28

義母と暮らす家のしきたり

妻の生まれ育った家で、義母と三人の完全同居が始まって十年以上になる。

古い家屋で、玄関脇には先代から引き継いだ神棚が据えられ、朝夕の作法がひとつの習慣として続いてきた。

妻はその環境で育ったから違和感がないようだが、こちらはそういう家で育っておらず、一緒に手を合わせてはいるものの、心から馴染んでいるとは言い難い。

それでも義母のやり方を尊重しながら、波風を立てずにやってきた。

子どもたちも自然と手を合わせるようになり、気づけばその光景がこの家の日常になっていた。

「おかげよ」が積み重なるたびに

問題は、義母が口にする決まり文句にある。

何か無事に乗り越えたとき、例えば家族の誰かが軽傷で済んだとき、夏風邪が数日で治まったとき、交通量の多い道を子どもが渡って帰ってきたとき、義母は必ずこう言う。

「験担ぎしてない家は守られないわよ」

最初のうちは「よかったですね」と受け流していた。

けれどその言葉が繰り返されるうちに、ある感覚が頭をもたげてきた。

「守ってもらえる」ということは、そうでない人間は守ってもらえないということだ。

験担ぎを続けているから助かる、という論法は裏を返せば、そうでない者は助からない、という意味を含んでいる。

自分の実家はそういった慣習とは縁遠い家だった。

その事実が、義母の言葉に妙な重さをつけ加えてくる。

言葉にできないまま残るもの

家族みんなが揃った夕食の席でもその言葉は出る。

義母に悪意があるとは思いたくない。長年続けてきた習慣に誇りを持っているだけで、こちらを傷つけようとしているわけではないのだろう。

それでも、毎回そのひと言を聞くたびに胸のどこかがざわつく。

自分が家のしきたりに心から馴染めていないことを見透かされているような、あるいは馴染まない人間を遠回しに責められているような気持ちになる。

妻に打ち明けたこともあるが、「お義母さんは悪気ないんだよ」と言って話が終わった。

それは分かっている。分かっているうえで、なお引っかかる。その二層構造がまたモヤモヤを重ねる。

「そうですね」と頷き返しながら、内心では何かを飲み込んでいる。

この繰り返しに慣れてはきたけれど、慣れたからといってモヤモヤが消えるわけではない。そもそもこの家のやり方が「絶対に正しい」という前提を、誰も疑わないまま十年が過ぎてきた。

言葉にできないまま、あの「おかげよ」はいつも夕食後の静けさの中に漂い続ける。

※GLAMが独自に実施したアンケートで集めた、50代・男性読者様の体験談をもとに記事化しています

※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

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