1. トップ
  2. エンタメ
  3. 町田康『家事にかまけて』第22回:Free&Easyのアイロン掛け

町田康『家事にかまけて』第22回:Free&Easyのアイロン掛け

  • 2026.5.26
アイロンを掛けるイラスト

今、俺は人間の能力は外部からの評価にどれほどの影響を受けるか、と云うことについて考えている。

なぜそんなことを考えるかと言うと、子供の頃、主に母親に、ド不器用、と罵倒されながら成長した俺は様々な局面においてド不器用ぶりを発揮、周囲に不器用者と思われ、又、自分でもそう思ってきたが、六十を過ぎる頃より、「もしかして俺って本当は器用なのではないか」と思うようになったからである。

例えばこないだは割れた茶碗を陶器用ボンドで貼り合わせた。もし俺が不器用なら、その仕上がりはボンドがはみ出た無惨なものになるはずである。ところがやってみると実に上手に貼り合わせることができた。或いは、ちょっとした工作のようなことをしても、その仕上がりがそこそこ美しく、とても不器用とは思えぬのである。

だけど六十を過ぎるまではそうでもなかった。なぜできなかったのか。それは周囲に、「おまえは不器用だ」と言われ続けて、自分でもそう思い込んで本来、持っている才能を自らスポイルしてしまっていた、やる前から、「どうせ俺は不器用だ。ちゃんとできる訳がない」と思っていたからである。

しかし六十を過ぎて、そういう事を言ってくる人間も居なくなり、虚心坦懐やってみると意外にいろんなことを器用にこなすことができる。そこで、「もしかして俺って器用だった?」と思ったのである。

だとしたらこんな口惜しいことはない。だってそうだろう、俺はこれまで、ド不器用、という自己イメージに囚われるあまり、色んなことをやる前から諦めてきた。手芸、手品、ガンプラ、キャラ弁、握り鮨、ラテアート、そんなことは俺にとっては見果てぬ夢だと思っていたが、もしかしたらそんなこともできたかも知れぬのだ。なのにやらずに老い耄れてしまった。今となってはなにもかも手遅れだ。今から握り鮨を習っても寿司職人にはなれない。

あゝ、握りたかったよ、鮨、と泣き言を言ひ、われ泣きぬれて蟹とたはむる。

と言ってそんなことでは駄目だとすぐに思う。大の男が蟹とたはむれてどうするのだ。って言うか、蟹と戯れるってどういうことだ。そこに蟹の意思はあるのか。あるまい。だとすればこんな非対称な話はなく、蟹からしたら災厄以外の何物でもない。それだったらいっそ開き直って、下手でもよいから磯の白砂で蟹の握りを握るべきだ。男なら。いや、人間なら。

しかし俺にはその前にやることがあった。

それはシャツのアイロン掛けである。

最近は技術が亢進してアイロン掛け不要、洗濯機でガシガシ洗って、干しておけば、アアラ不思議、乾く頃には皺一つなく、襟やなんかもピンピンになる、ってのが売ってあるらしいが、残念なことに俺が持っているシャツは旧来からのやつで、洗濯したらアイロンを掛けないと、全体的に皺が寄って、非常にみすぼらしく、女にも持てない。

もちろんプロの洗濯屋に持ち込めば皺一つなく仕上げてくれる。しかし、一回着るごとに洗濯屋に持っていくとなると、やはり費用というものも嵩み、その分だけ貧乏になる。貧乏だとやはり女に持てなく、それを防止する最上の方法は自宅で洗濯し、自らアイロンを掛けるのが一番よいのである。

ところがこのシャツのアイロン掛けというのがきわめて難しい。

アイロン掛けそのものは俺にとっては愉快な行為である。というのも俺には病的なところがあって、物が曲がっていたり、斜めになっているのに耐えられず、そうした場合、それが他家であっても気になって真っ直ぐにしてしまい、不気味がられるのだが、物に皺が寄っているのも同様で、洗った手拭いや手巾にアイロンを掛け、みるみる皺がなくなっていくのに愉快を感じる。だから楽しい気分でこれをする。

ところが、これがシャツになると忽ち様子が変わって、アイロンを掛けている間中、焦燥感、徒労感、無力感が順繰りに押し寄せてきて、自己評価がグングン下がっていく。というのは、どれほど懸命に、どれほど集中して、ときには愛まで込めてやっても、シャツの皺は消えないからで、なんならアイロンを掛ける前よりも猶、くたっとして見えるからである。

どこがそんなに難しいかというと、全部である。

胸ポケットのあるあたりが難しく、ボタンがあるあたりが難しく、脇の縫い目のところが難しい。それらを一応やって、背中のところは広いから比較的やりよいだろうと思っていたら、変な抓みというかギャザーみたいなのがあって、どうしたらよいかわからない。なんでそんな嫌がらせをするのか、その意味がわからない。そしてうっかりすると広いところにも変な折り目みたいな物がくっきりついてしまう。その時点で半ば綺麗にするのは諦めているのだが、せめて襟だけは、襟さえピンとなっていたら、背中や胸は上着で隠れるから女も騙されるかも知れない、と細心の注意を払って襟に取り掛かるのだが、曲線の処理が巧く行かず、変な風にヒョコ歪んで、あかん感じが強調されてしまう。そしたらもう袖、袖は他のところに比べて細いからアイロン台の上にきちんと置きさえすれば一動作で決めることができ失敗はない。もうこうなったら女とかどうでもよく、自分へのケジメとして袖だけはちゃんとやろう、と考え、やる。ところが袖にも変な抓みが複数あり、真っ直ぐにアイロンを動かすとその抓みと折り目に齟齬が生じ、なにがしたいのかわからない袖になってしまう。

というのはしかし、これまでの自己イメージに敗北・ド不器用の呪縛に囚われていた、これまでの俺、のアイロン掛けであって、今、静かに自己を見つめ直し、真の自分に出会った今、虚心坦懐、行えば、意外や意外、いったい今までなにを苦しんでいたんだろう、と思うくらいFree&Easyにシャツのアイロン掛けを完遂して女に持てることができるのではないか。

そのように考えた俺は昨日から洗って干してあった白シャツをアイロン台の上に置いた。そして気分を盛り上げるためにBGMも掛けた。それは米国のロックグループ、イーグルスの「Take It Easy」。

そして今、俺は皺だらけのシャツを着て英国のロックグループ、キング・クリムゾンの「エピタフ」という楽曲を聴いて猫とたはむれてゐる。花菖蒲が咲いている。

profile

町田康

まちだ・こう/1962年、大阪府生まれ。作家。『くっすん大黒』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞、「きれぎれ」で芥川賞、『告白』で谷崎潤一郎賞、『宿屋めぐり』で野間文芸賞など受賞多数。他の著書に「猫にかまけて」シリーズ、『しらふで生きる』『口訳 古事記』『俺の文章修行』『口訳 太平記 ラブ&ピース』など。

元記事で読む
の記事をもっとみる