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生も性も。原点回帰の一作には自分自身が生々しく出てきてしまった『君の不在の夜を歩く』【窪 美澄 インタビュー】

  • 2026.5.23

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年6月号からの転載です。

「何でも自由に書いて下さい」。そんな執筆依頼があったのは3年前のこと。そこで「じわっと自分が出てきてしまった」と、窪さんは当時を振り返る。

「『夜に星を放つ』で直木賞をいただいた後、同作が癒やしの要素が強い話であったことから、“癒やしの物語を”という依頼が増えました。そこに自分を滲ませることはできるのですが、かつて自分が書いてきた生々しさのようなものはなかなか現れてこない。“自由に”という言葉をいただいたとき、元の自分に戻ったような小説を書きたいと思いました。癒やしを感じさせる物語を書くことが多くなってきてからは、性描写からも少し遠くなっていたので、そこも原点に戻って描いてみたいなと」

40歳目前になった高校の同級生5人各々の視点から描かれていく5編。冒頭の一編「窓辺の夕餉に」は仲間のひとり、菜乃子が死んだ、というLINEメッセージから始まる。語り手は〈私の本当の夢は、結婚をして子どもを産みたいという、凡庸ではあるが、この時代には(私たちの世代では)壮大な夢〉と語る沙耶だ。

「窓辺の風景から見えてくる幸せそうな影からは少し遠い、氷河期世代を書いていきたいと思ったんです。求めているのは、ごく普通の幸せなのに、それをなかなか手に入れることのできない世代を」

自死をした菜乃子について、いつか事を起こすのではないかという予感を沙耶は常に持っていた。〈沙耶にはずっと好きな人がいるね〉。それが仲間のひとり、健太だとわかっていながらも口にしない、菜乃子という人の奥行きのようなものについて思いを馳せる沙耶は、健太とのあやふやな関係を続けている。彼と結婚したい、でも自分に対する気持ちに、健太が名前をつけることができないだろうということも感じている。

「この5人は、言葉にできないのならそのままにしておく、という胆力のようなものがあると思っていました。自分の内にある名付けようのないものを、それはそれとして抱えて生きているような。そこには、世の中に認められる名前や答えで、承認されることを求め続ける昨今の風潮が向かっていくところは一体、どこなのか、という私自身の思いが反映されているのかなとも思います」

なぜそんなことをしてしまったのか。残された4人のなかで、その最たる思いが向かうのは菜乃子の自死ではあるが、自分のとった行動にも答えや理由は見つからない。菜乃子の不在は、答えの出ない領域のなか、別の層へと繋がる階段を見つけるようなところへと向かっていく。

「正解はない。でもいろんなことはある。そこに微かな光があるかどうかはわからないけど、違う何かを見せたいというのは、小説を書き始めた頃から考えていたこと。そして性衝動というものも名付けようのないもので、私はその人が好きだからセックスをしましたということは、答えにはならない。ぼーっとした他の何かがいっぱいくっついて、人はその行為をしてしまうことを、この小説のなかでは描きたかった」

小説家になった自分を今も見つめる遠い記憶

3年前から半年に一編というスパンで執筆を進めていた本作には、リアルタイムで見聞きしたものが流れ込んでいるという。

「この5編を書いているとき、いろんなことがあったんです。周りでぽつぽつ人が亡くなったこともそうでしたし、安倍元首相銃撃事件、トー横キッズの話と、そういうものが肉付けとなって、健太の話『野辺の送り』では、宗教二世という、他人には言えない、家族関係の暗い側面を背負わざるを得ない人を書きました」

「ろくでもない男だけど、彼が一番、優しいと思って書いていた」という健太の視点は、菜乃子とその不在についてさらに深いところを探り、〈自分の性の在り方に、何か名前があるのか〉というところへも降りていく。

「自分のセクシュアリティをチェックできるサイトがあるのですが、私はクエスチョニングという結果が出ました。子どもも産んでいるし、男性と恋愛もしてきたので、100%異性愛者かと思っていたのですが、一方で、実はそうではないのでは? と思う節もあり、それを健太と次の語り手、倫子に託したところがあります。今、恋愛小説を書いてくださいと言われると、異性愛を書くということが自分のなかではしっくりこないんです。それって自分の気持ちのいろんな色が出てきたというか、その発露でもあるように感じています」

本作を執筆するなか、自分の気持ちが正直に出てきたという。〈菜乃子が死んだ今なら書けるのではないか〉という、後に小説家になる倫子が語る「空夜」は、窪さん自身の記憶が反映されている。菜乃子は高校時代からずっと小説家を目指していた。だが新人賞を獲得したのは、菜乃子に応募を勧められた倫子だった。

「若い頃、あなたは小説を書いた方がいい、と言ってくれた親しい友人がいて。その人も小説を書く人で、新人文学賞ではいいところまで行っていた。でもいつの間にか距離ができてしまったんです。私がデビューした頃には連絡が取れなくなっていて、小説を書きたかった彼女が、どういう目で私を見ていたのかということがすごく気になっていました。だからここに書いた菜乃子への倫子の気持ちは私の問いかけでもありました。さらに私は今、女による女のためのR-18文学賞の選考委員をしているのですが、大賞を獲る作品って本当に僅差で、そこで敗れていってしまった女性たちの気持ちをずっと考えてしまう。その気持ちも倫子に込めたところがあります」

自死をした人たちへの冷たさを払拭したかった

「石榴色の雪」では、菜乃子の夫であり、彼女を支え続けた達也の7年後が描かれていく。そして最終話「芍薬の星月夜」では、死者である菜乃子が視点人物として現れてくる。

「菜乃子は湿っぽくもないし、いつも憂鬱の沼にいるわけでもない。そう思いたい誰かが、菜乃子の像をそう決めつけているだけ。人間関係でも、この人のことはこう思いたいと付き合っているのはよくあることで。そういう愚かさというか、実はそうでもないのでは?ということを菜乃子の像から見せたかった」

そこには、窪さんの自死についての思いも強く込められている。

「自死した人たちを悪く言う風潮をひっくり返したかったんです。人はふとボーダーラインを越えてしまうことがある。でもその人たちはそれまで活き活きと生きていたわけだし、活き活きと死んでいるのではないかなとも思うんです。もちろん、自死がいいとはまったく思いません。そうしたい人がいたら、今日はやめておこう、何とかひと晩、やり過ごそうよ、と言いたい。一方で、頑張って生きてきて、その境界を越えてしまった人に対しての世間の冷たさについても言いたいことがある。菜乃子を書くことで、私はそれを払拭できればと思っていました」

年齢を重ねた仲間たちのところへ行き、その姿を見つめる菜乃子。そこでは倫子の章と合わせ鏡になるような、小説を書きたかったけれど、書けなかった人の視点が現れてくる。

「自分の周りにも小説を書くことを辞めた人がいて。すごく残酷なんですけれど、その視点で世の中を見たかった。そしてそれは自分が書くべきことではないかと思いました」

そこで受け取るのは、仄かな、けれどたしかな灯り。答えが出なくても、自分が承認されなくても――。

「たとえ暗い炎でも、自分のなかにそれがあるのなら――。たとえ周りに認められなかったとしても、その炎で世の中を灯してみてもいいのではないかなって思うんです」

取材・文:河村道子 写真:冨永智子

くぼ・みすみ●1965年、東京生まれ。2009年「ミクマリ」で女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞。受賞作を収録した『ふがいない僕は空を見た』でデビュー。同書で山本周五郎賞、『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞、『トリニティ』で織田作之助賞、『夜に星を放つ』で直木賞を受賞。近著に『給水塔から見た虹は』『宙色のハレルヤ』がある。

『君の不在の夜を歩く』

(窪 美澄/新潮社) 1980円(税込)

高校の同級生5人──。40歳を目前にした彼らの人生は、仲間のひとり、菜乃子の自死をきっかけに様々な挫折や変貌、再出発を強いられていく。美しく、人の内面に深く降りていくようだった菜乃子との記憶と不在は各々の生と性を炙り出していく。宗教2世、小説家、主婦……。5人それぞれが抱く、生きることの迷いと歓びと傷、そして再生への祈りに満ちた長編小説。

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