1. トップ
  2. エンタメ
  3. 『プラダを着た悪魔2』は「働く女性のバイブル」で終わらない。『トップガン マーヴェリック』にも通じる、“現実の仕事”を生き抜く映画だった【徹底考察レビュー】

『プラダを着た悪魔2』は「働く女性のバイブル」で終わらない。『トップガン マーヴェリック』にも通じる、“現実の仕事”を生き抜く映画だった【徹底考察レビュー】

  • 2026.5.8
『プラダを着た悪魔2』© 2026 20th Century Studios. All Rights Reserved.
『プラダを着た悪魔2』© 2026 20th Century Studios. All Rights Reserved.

この記事の画像を見る

5月1日より『プラダを着た悪魔2』が劇場公開中。世界的に大ヒットをしている同作は、日本でもGW期間中に満席が続出し、興行収入はすでに19億円を突破、わずか6日間で1作目の最終興収17億円を超える超ロケットスタートとなった。洋画不振と言われる昨今、明るいニュースだろう。

前作も今作も「キラキラした理想のお仕事ムービー」ではない

そんな『プラダを着た悪魔』の前作と今作で共通して感じたのは、良い意味で「キラキラした理想のお仕事ムービー」ではないということ。理想とは正反対の、シビアとも言える「仕事への向き合い方」や「厳しい現実」や「選択したことでの代償」を真正面から描いている。

映画公式サイトには「時代を席巻した“働く女性のバイブル”が、華やかにアップグレード!」という文言もあるが、実際は「20年ぶりの続編だからこその時代と価値観の変容」があり、華やかさは良い意味で後退している、さらには「哀愁」さえ感じられることに、むしろ続編としての意義があると思えた。

前作の鑑賞は必須か? 観ておけばより楽しめる続編に

今作の基本的なあらすじは「失業したジャーナリストが、かつていた職場へ舞い戻り、会社の窮地を救おうと奮闘する」とシンプルなため、前作を観ていない人も楽しめるだろう。

ただ、前作で起こった出来事の「対比」として描かれる事象が多く、キャラクターや環境の「変化」を感じてこその面白さがあるので、やはり事前に前作を観ておくことを強くおすすめする。内容はうろ覚えという方は、直前に観返しておくことで、より細かいセリフの妙を楽しめるだろう。

※以下、『プラダを着た悪魔2』の内容に触れています。また、前作『プラダを着た悪魔』の一部ネタバレも含まれます。

『プラダを着た悪魔2』で連想した『トップガン マーヴェリック』

『プラダを着た悪魔2』で連想したのは、2022年公開のアクション映画『トップガン マーヴェリック』だった。何十年も経過してからの続編であること、現実の時間と同じくキャラクターが年齢を重ねている、ということもそうだが、「価値観の変容」と「1つの時代の終焉が近い(かもしれない)」ことを描いていることも共通しているからだ。

『トップガン マーヴェリック』では戦闘機のドローンが実用化されパイロットの必要性が薄れていくことに対し、トム・クルーズ演じる主人公は「But not today(でも今日じゃない)」と返していた。ベテランは全盛期をとうに過ぎ、これからは必要とされないかもしれないが、それでもやれることはまだあるはず……という「あがき」が提示されているからこそ、その後の展開が感動的になっている。

そして、この『プラダを着た悪魔2』では、前作では今に見るとパワハラそのものの(当時としても決して肯定的には描かれていないが)言動をしていた鬼編集長・ミランダ(メリル・ストリープ)の印象がかなり変わって見えるし、哀愁さえ漂っている。

変わったのは鬼編集長のミランダ本人ではなく、環境と時代なのかもしれない

かつてはアシスタントのデスクにコートを脱ぎ捨てていたミランダが、自分でコートをかけている光景は特に象徴的だ。他にも、会議で過激な発言をすると「咳払い」で咎められるし、何よりスキャンダル記事の影響が甚大のため広告主への交渉へ向かわなくてはならなくなる。

前作では絶対的な権力、それこそ「悪魔」のようにさえ思えていたミランダが、今では真っ当なコンプライアンスの中で、自分の態度を「調整」せざるを得なくなったと思えるようになっている。

それは、ミランダが一変したということではなく、周りを取り巻く環境がこの20年で積み重なるように変化していった、ということなのだろう。前作の頃の彼女も毅然とした、いや、傲慢な態度を取っていたようで、実際は「社会の歯車」にすぎなかったのかも、と逆算的に思い返すこともできる。かつて新人だった主人公・アンディ(アン・ハサウェイ)には見えていなかったミランダの苦悩や本質的な人間性が、20年の時を経て可視化された、という言い方も可能だろう。

さらには、SNSの興隆で『ランウェイ』はとうに雑誌ではなくなり、仕事そのものがAIに取って代わることも示唆され、「沈みゆく船に乗り続ける」ことが、もはや「ポンペイの火山の大噴火」にさえ例えられる場面がある。

ファッション業界にいる人でなくても、「SNSやAIの台頭で仕事がなくなるかもしれない」という恐怖は他人事ではなく、切実に感じられるだろう。その後にミランダがつぶやく「引退」についての言葉も、また突き刺さる人は多いはずだ。

それでも、今作はその沈みゆく船に乗り続けることへ絶望はしない。いつかはなくなる仕事だとしても、これまでに成し遂げていたことや、培ってきた経験が無価値になるわけじゃない。そんな反骨精神ともいうべき、それこそ『トップガン マーヴェリック』の「でも今日じゃない」の姿勢が、この『プラダを着た悪魔2』にも確かにあると思えたのだ。

1人だけ「ぜんぜん変わっていないなぁ」と思えるキャラクターも

『プラダを着た悪魔2』© 2026 20th Century Studios. All Rights Reserved.
『プラダを着た悪魔2』© 2026 20th Century Studios. All Rights Reserved.

ミランダだけでなく、他のキャラクターも「環境や時代は変わったけど、本質は変わっていないんだなぁ」と思えるようになっている。

例えば、アンディはこの続編に至るまでジャーナリストとして活躍をし続けており、ファッション業界においても何も知らない新人ではないはずなのだが、「ひとまずの仕事」として働き始める序盤の流れは1作目を踏襲しているかのようでもあるし、その物怖じしない行動力こそで「やっぱりアンディはアンディだな」と思えるようになっている。

それでいて、不安で必死な心境がありありと伝わる1作目のアンディとは違って、続編は冒頭から街中を闊歩している。自身を含めて、仲間たちがメール1つで解雇を知らされた悪いニュースですら、話題性のあるスピーチにしてしまえる「したたかさ」も持ち合わせていた。

一方、人によってショッキングに感じるであろうことは、ラグジュアリーブランドの幹部となったエミリー(エミリー・ブラント)が、金持ちの男性に取り入ろうとする流れだ。自分を「安売り」しているように見えるエミリーに必要以上の嫌悪感を覚えてしまう人がいるのも致し方がないのかもしれない。

だが、エミリーは前作の時点で、理想像をあけすけに口にしていたり、プライドが高すぎるがために後輩の能力を過小評価してしまったりしていたことから、「結果的に自分の首を締めてしまう危うさ」が大いにあった。そのため、続編の彼女も「エミリーらしい」と個人的には思えた。何より、彼女の「本当の価値」については、最終的にアンディからとても尊い言葉が投げかけられている。エミリーが客観的に間違った選択をすることはもちろん意図的なものであるし、今回の彼女の成長が感動的になっているのだ。

そんな風にキャラクターそれぞれが環境や経験により変化したとしても、アートディレクターのナイジェル(スタンリー・トゥッチ)については「ぜんぜん変わっていないなぁ」と思える。アンディから危機的な状況を伝えられても目の前の仕事をこなそうとする様や、ちょっと毒舌ながら本質を淡々と告げる物言いは、もはや「実家のような安心感」さえあった。

ラスト近くで判明するナイジェルのとある行動に至っては「ナイジェルやっぱり大好き!」と改めて思う人はいるだろう。

完璧を目指さなくてもいい

映画全体のメッセージや価値観も前作からアップデートされている。前作のミランダは自分のいるファッション業界を「みんなが憧れる世界」として無理やりにでも全肯定しようとしているように見えたが、今回は「完璧を目指さなくてもいい」「不完全な自分のままでどう仕事に向き合うか」という、真逆とも言える言説がある。ミランダ自身が、そのことをレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画『最後の晩餐』から読み解いているのだから。

また、エミリーが前作で「炭水化物を食べること」にどのような感情を抱いていたかを覚えておくと、終盤のとある言葉がとても感動的になっている。それは表面的には無理やりな理屈をつぶやくコメディシーンなのだが、1作目で他人を見下し軽んじることもあったエミリーにとっての大きな成長であるし、映画全体に通じる「誰かと気持ちを分け合うことの大切さ」という尊い価値観を示している。

そんな風に、とてもよく考えられて作られており、前作の二番煎じになっていない。しかも精神性が確実に受け継がれアップデートもされている優れた続編である。あえて不満を言うのであれば、序盤でアンディが就職した代わりに辞めさせられた、本編で姿さえ見せなかった女性があまりに不憫、ということくらいだろうか。

しかし、これも3作目への布石になるかもしれないし、そうした仕事の理不尽を描くことも『プラダを着た悪魔』らしいと思えた。何より、シビアさも踏まえて、現実の仕事を頑張るための活力がもらえるということこそ、本作の最大の意義だろう。

文=ヒナタカ

元記事で読む
の記事をもっとみる