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第13回「最大の恐怖」

  • 2026.5.5

『わるい食べもの』シリーズの食エッセイでもおなじみ、食いしん坊作家の千早茜さんが、子供の頃から特別に思うチョコレート。そのチョコへの愛を綴ってきた連載も今回が最後となります。その溢れる愛はどこからくるのか。どうやら食欲ではなさそうで……。

最終回である。信じられない。まだ、チョコレートへの愛を百分の一も伝えられていない気がする。しかし、始めてしまった以上、終わりはある。私のチョコ愛は生涯続くだろうが、連載は終わるのだ。

一体この愛はどこからわいてくるのだろう。胃袋からではない。私は食欲でチョコを食べてはいないから。むしろ、空腹時にチョコはあまりお勧めしない。では、舌か、脳か、血か。二十代の頃、持病による慢性的な貧血で、医師にチョコレートを控えるように言われたことがある。「死にます」と私は言った。「チョコが食べられなくなったら私という存在は死にます」と。医師はたじろいで「食べないことでストレスがかかるようなら仕方がないですね」と容認してくれた。

あの発言に嘘はないが、完全に正確というわけでもない。死ぬと感じたのは身体的な意味ではなく、心のほうだ。生きる意欲が消失するという意味の「死にます」だった。嗜好品の多くがそうであるように、チョコレートは魂の食べ物なのだ。失うと、魂が死んでしまう。チョコレートを愛する気持ちには、もれなく失う可能性の恐怖がついてくる。

私がその恐怖の可能性を知ったのは、幼い頃に読んだ太平洋戦争の漫画だった。タイトルは忘れてしまった。ただ、戦争中の日本は酷い食糧難で日々の米も不足しており、漫画の中の子供たちはいつもお腹をすかしていた。敗戦後、進駐軍がやってきて子供たちにお菓子を配ってくれる。子供たちはすっかり警戒心を解いて「ギブミーチョコレート!」と覚えたての英語を叫び、米兵のジープに群がる。生まれて初めてチョコレートを食べ、その甘さと美味さに驚く子供たち。そこで、幼い私は恐ろしい空白に気づいた。自分が当たり前に享受している菓子を、戦時中の子供たちは知ることもなく育っていたのだ。戦争になると、日本ではチョコレートの存在が消滅する! チョコレートだけではない、食うや食わずの非常時においては嗜好品は二の次。なんと暗い世界だ、と思った。

日本の気候はカカオ栽培には向かない。現在、一部地域で栽培しているところもあるが、生産量は少なく、カカオは輸入に頼っている。カカオベルトと呼ばれる赤道を挟んだ北緯二十度から南緯二十度までの範囲が生育に適しているといわれているが(コーヒーベルトより狭い)、それだけでは不十分で標高や寒暖差や湿度など栽培に必要な条件は多岐にわたる。カカオの木は乾燥や日差しに弱く繊細なので、シェードツリーと呼ばれる日傘のような保護者のような役割を果たしてくれる木も要る。自然環境も大事なのだ。そして、カカオベルトは日本を通っていない。

日本では1918年にカカオ豆からのチョコレートの一貫生産が始まり、周知の菓子となっていた。しかし、1940年から1950年まで戦争の影響でカカオ豆の輸入が途絶え、代用品の研究が行われていたと、「株式会社 明治」で聞いた。大豆粉やオクラの種、百合根などを使って、なんとかチョコレートが作れないか試したそうだ。そして、1951年、販売中止から十年の年月を経てチョコレートの製造が再開される。その時に作られた板チョコのパッケージを「明治」の社員さんが見せてくれた。裏側は金色の文字で埋め尽くされていた。「明治チョコレートは最高の原料を用い、少しの不純物も混つておりません。」から始まる、純粋なカカオを使ってチョコレートを作れることへの喜びと自信に満ちた文章。鼻の奥にチョコレートの香りがよみがえった。あの、代えなどきかない香りが。十年ぶりに作る人も、十年ぶりに手にする人も、どんなに幸福だっただろう、と想像すると泣きそうになった。

たかが、チョコレートと笑うだろうか。けれど、戦争は当たり前の小さな幸せを奪っていく。誰もがチョコレートを食べられる世界は平和の証なのだ。それを忘れてはいけないと思う。

千早茜(ちはや・あかね)

1979年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。2008年「魚」(受賞後「魚神」と改題)で第21回小説すばる新人賞受賞しデビュー。09年『魚神』で第37回泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞、23年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞。近著に、西淑さんの挿絵も美しい短編集『眠れない夜のために』などがある。

文=千早茜
イラスト=西淑

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