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#11 谷佳知 木村拓也追悼試合で涙の逆転満塁HR

  • 2026.4.30

◎2010年4月24日 東京ドーム

広島 1 0 0 0 0 0 1 1 1 = 4

巨人 0 0 1 0 0 1 0 5 X = 7

HR (巨人)阿部3号 谷1号 李2号

「ピッチャーマウンド上、高橋建、セットポジションから4球目、投げた! 直球打った! 左中間へ伸びていく! グランドスラムか? レフト、センター向こう向き! 入った、入った、入った! 代打逆転満塁ホームラン! 代打の谷、木村拓也と同い年。大仕事をやりました! プロ入り15年目、初めての満塁ホームラン! ここ一番、大仕事をやった谷、珍しく万歳をしている! 谷選手が珍しく表情を表に出しています!」
(実況:ニッポン放送・松本秀夫アナウンサー)

親友との別れは、突然やってきた。

2006年オフ、オリックスから巨人へ移籍した谷佳知。この年のシーズン途中に、ひと足早く広島から移籍してきた木村拓也とは同学年だった(谷は1973年2月、木村は1972年4月生まれ)。2004年のアテネ五輪では日本代表として共に戦った間柄。当時、巨人の野手で谷と“同級生”は木村だけで、移籍組同士ということもあり、2人は親交を深めていった。

木村はもともと捕手だったが、出場機会を求めて内外野どこでも守り、プロでは投手以外の全ポジションを経験。またスイッチヒッターでもあり、球界屈指のユーティリティプレーヤーとして活躍した。2009年9月のヤクルト戦では、控え捕手が死球で退場してキャッチャーがいなくなった延長12回、急きょミットを借りて10年ぶりに捕手として出場したことも。原辰徳監督の信頼も厚く、2007年から2009年まで巨人のリーグ3連覇に貢献。これを花道に2009年限りで現役を引退し、原監督に請われて2010年から一軍内野守備走塁コーチに就任した。

2010年4月2日、マツダスタジアムで行われた広島戦。試合前の練習で新任コーチとしてノッカーを務めていた木村は、突然くず折れるようにグラウンド上で倒れた。そのときベンチ前でストレッチをしていた谷は、何が起こったのかすぐに理解できなかったという。病院へ緊急搬送された木村は、5日後、37歳の若さで逝った。くも膜下出血だった。

巨人は、4月24日の広島戦を追悼試合とすることに決定。試合前に故人を偲ぶセレモニーが行われ、木村の長男が父の現役時代の背番号「0」を背負って始球式を行った。谷はこの日ベンチスタート。だが「絶対に試合に出て、タクを弔いたい」という思いは誰よりも強かった。

一方、木村の古巣でもある広島も「拓也のためにも、きょうは絶対に勝とう!」と喪章をつけて試合に臨んでいた。試合は接戦となり、8回表、広島は犠飛で1点を勝ち越す。その裏、巨人も反撃。1死満塁のチャンスを迎えたところで、原監督が代打に送り出したのが谷だった。木村との深い友情をよく知っていたからこそ、この絶好機を谷に託したのである。

ピッチャーは、後輩の木村を弟のように可愛がっていた高橋建。谷はカウント2-1から高橋が投じた外寄り高めの直球を振り抜くと、打球は左中間スタンドに突き刺さった。いつも感情を表に出さないことで有名な谷が、打った瞬間ガッツポーズ。実況にもある通り、両手を突き上げて万歳をしながらダイヤモンドを一周した。現役時代、通算1928安打を放った谷だが、レギュラーシーズンで打った満塁弾はこれがキャリア唯一である。

お立ち台に立った谷は「拓也とはずっと同級生で。ずっと励まし合って、プロでずっとやってきたんですけど、先に逝かれて……本当に悲しくて……」と感極まった。「いつも泣かないでおこうと思ったんですけど、涙が止まらなくて、なんとか今日の試合は勝ちたいと思って臨みました」と涙ぐみながら語る谷の姿に、思わずもらい泣きをしたファンも多かった。

試合後、ウイニングボールを木村の長男に手渡して激励した谷。「特別な一本。タクのおかげだと思う。天国で見てくれていて『やったな』と言ってくれると思う」

<チャッピー加藤>

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