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「ダサい」はなぜここまで浸透した? 負のパワーが滲む語感に込められたニュアンスとは/何がダサいを決めるのか⑦

  • 2026.4.28
何がダサいを決めるのか 平芳裕子/ポプラ社
何がダサいを決めるのか 平芳裕子/ポプラ社

『何がダサいを決めるのか』を第1回から読む

『何がダサいを決めるのか』(平芳裕子/ポプラ社)7回【全8回】

ファッションの世界では「おしゃれ至上主義」が常識。しかし、世間一般の価値観は少し違うようです。「似合ってないと思われたくない……」「年相応じゃない服は着たらいけない」なんて、見えないルールに縛られていませんか? まるで「ダサい」ことが悪のように扱われるこの空気、一体どこから来たの!? 本書ではそんなモヤモヤを一気に吹き飛ばすべく、服の歴史や社会背景をもとに「ダサい」の正体を徹底解剖します。常識を脱ぎ捨てて、もっと自由におしゃれを楽しもう! 私たちが囚われているファッションの常識をアップデートしてくれる一冊『何がダサいを決めるのか』をお楽しみください!

「ダサい」の呪縛

私たちがなにげなく着ていたり目にしたりするパーカー。この身近なファッションにも、深い歴史があることがわかりました。しかし、私たちはふだん服を着るときに、その歴史に思いを馳せることはありません。パーカーを着るときにだって、それがどこで誕生したのか、どういう理由で作られたのか、そんなことをいちいち考える人はいないでしょう。服を着るときに気になることといえば、今日何を着るのか、です。その日の気候や温度であったり、服を着ていく場の状況であったりします。家で過ごす場合には着心地の良い服を選ぶでしょうし、出かける場合にはどこへ着ていくのか、誰かに会う場合にはどの服が適しているかを考えるでしょう。

しかし、注意深く選んだとしても、周りの人々や雰囲気から浮いてしまったりすると、居心地が悪く感じてしまいます。また、鏡に映った自分の姿が想像と違っていて、がっかりすることもあるかもしれません。「ダサい」と感じてしまうと、一抹の不安がよぎります。自分がそう思うからには、他人からもそう見えてしまう可能性があるからです。「ダサい」格好をなんとかして、おしゃれとまではいかなくても、少しでもましになるように試行錯誤が始まります。「ダサい」の呪縛にかかってしまうのです。

「ダサい」とは何か

それにしても「ダサい」とはなんでしょうか。「ダサい」、この言葉は、「格好悪い」「野暮ったい」「垢抜けない」という意味をもつ口語です。およそ一九七〇年代から、関東地方の若者を中心に使われるようになりました。一九七五年の雑誌『平凡パンチ』を見てみると、「〝ダサイ〞…は文字どおりツッパル者以外のマジメ系女高生内部にも、深く浸透し、こんなコがと思う女高生でも、電車内で、『あのコ、ダサいわネ』とやっている」とあります。当初は「ツッパル者」たちの間で使われていた言葉でしたが、それが女子高校生から広まっていったということがわかります。ちなみに「ツッパル者」とは、他者を威嚇したり、虚勢を張ったり、社会に対して反抗的な態度をとる不良たちのことで、「ツッパリ」とも言われました。不良が張り合い、他者をけなす際に、「ダサい」という言葉が使われていましたが、それが一般的に使われるようになったのです。では「ダサい」とは、当時どのような意味だったのでしょうか。

先の『平凡パンチ』には、「〈ダサイ〉はご存じ〝イモ〞〝田舎くさい〞の意」と記されています。「イモ」とは、「ダサい」と同じ意味でよく使われていた言葉です。この『平凡パンチ』の記事を例に挙げる『日本俗語大辞典 新装版』(二〇二二年)で「ださい」の項目を見てみると「やぼったい。かっこ悪い。田舎くさい。」と説明されています。「ダサい」はしばしば都会的な洗練とは異なるもの、都会から離れた地域の風俗を軽んじる際にも用いられました。そのわかりやすい例が、この辞典の「ださい」のすぐ隣に並んでいる「ださいたま(ダ埼玉)」という言葉です。「ださいたま」とは、「ダサイ」と「埼玉」を掛け合わせた言葉で、埼玉県の「垢抜けしない」様子を揶揄する表現でした。全国的に見ると、埼玉は東京に非常に近いのですが、東京の都心からは離れていて(東京と比べると)都会化は遅れています。(東京から見て)おしゃれになれない埼玉を小馬鹿にしてののしる言葉として、一九八〇年代にテレビタレントのタモリが流行させたと言われています。

同じ『日本俗語大辞典 新装版』には「ださいたま」の次には、「だささ」「ださださ」「ださぼう」と続きます。「だささ」は「ださい」の名詞形であり、「ださださ」は「ださい」を畳み掛けた表現で、「非常にかっこ悪い。非常にみっともない。『だっさださ』とも言う」と記されています。「だっさださ」とは「ダサい」のレベルを上げた最上級ともいうべき表現で、さらに「ださぼう(ださ坊)」は「かっこ悪い若い男性、田舎くさい若い男性を罵っていうことば。」とあり、大変バラエティに富んでいます。そして、一九七〇年代に広まったこの「ダサい」という言葉を、令和の現在も私たちは使っているのです。なんと長生きな言葉でしょうか。

「ダサい」はしぶとい

逆に、「おしゃれな」や「かっこいい」を意味する言葉は、時代とともに変化してきています。一九七〇年代には、「かっこいい」ことを意味する言葉として「ナウい」がありました。「今」を意味する英語のNowが形容詞化されて、「今風の」「流行にのっている」などを意味するようになりました。私はこの言葉が実際に使われていた時代を覚えていますが、今「ナウい」と聞くと気恥ずかしさとともに懐かしさを感じます。その後一九八〇年代から九〇年代にかけて、かっこいいを意味する言葉として、「イカす」という言葉が登場しました。さらに二〇世紀末から「イケてる」という表現が登場しました。ところが、この語もかつてほどの勢いはないように思われます。いつか「イケてる」を気恥ずかしく感じる時代が来るのでしょう。つまり、「格好いいこと」「垢抜けていること」「流行っていること」など、プラスのイメージをもつ言葉は次々と入れ替わっているのです。

ところが、「ダサい」はしぶとい。一九七〇年代から使われてきて、現代まで生き延びています。「ダサい」に代わる言葉がないのでしょうか。格好悪い、野暮ったい……それこそ辞書的な説明は思い浮かぶものの、どれも「ダサい」という言葉の語感ほどに強さをもつものはありません。「ダサい」には負のパワーがみなぎっているようです。そして「ダサい」というこの言葉、実はファッションを専門とする雑誌やウェブメディア等では、それほど多くは使われていないように思います。

もちろん全く使われないわけではありませんが、私たちの日常に「ダサい」という言葉が浸透しているほどには、使われていないのです。「おしゃれであること」「流行していること」に最上の価値を置く「ファッション」の世界では、「ダサい」とは最も不名誉なことです。おしゃれな世界には「ダサい」ものなどありえず、「ダサい」という言葉自体が、この上なく「ダサい」。そう考えると、最先端のファッション界で「ダサい」という言葉が嫌厭されるのも納得がいきます。ファッションの世界は「ダサい」という言葉を巧妙に避けて、「おしゃれでない」などと「おしゃれ」の否定形を用いて「ダサさ」をオブラートに包んでしまうのです。

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