1. トップ
  2. 恋愛
  3. 「ちゃんとして!」道案内を間違える母を問い詰めた私、助手席で必死だった母。数年後、予想外の展開に

「ちゃんとして!」道案内を間違える母を問い詰めた私、助手席で必死だった母。数年後、予想外の展開に

  • 2026.4.21

筆者の話です。
子どもの頃、母の言い方に違和感を覚えたことがありました。
けれど今、自分が同じことをしていると気づいて――。

画像: 「ちゃんとして!」道案内を間違える母を問い詰めた私、助手席で必死だった母。数年後、予想外の展開に

そのひと言

私は子どもの頃から正論こそが正義であり、ダメなことははっきりと伝えることが正しいことだと思い込んでいました。
だからこそ、かつて「ちゃんとして」と母に厳しい言葉をぶつけてしまったことがあります。
一緒に車で出かけると、母は助手席でナビゲートをしてくれました。
けれど、それがどうもあいまいになることが多いのです。

交差点でどちらへ進めばいいのかわからず、車を止めてしまうこともあります。
私は運転しながら、言葉と動きが合っていない状況に、どう受け取ればいいのかわからず戸惑っていました。

ズレの記憶

ハンドルを握ったまま、周囲の景色を見回します。
信号の位置や建物を確認しても、どちらへ進めばいいのか迷ってしまいます。
「どっち?」と助手席に向かって聞き返すと、母は「右」と言いながら手は左方向を指しています。
同じやり取りが続き、何度も聞き返すことになりました。

車を止める回数が増えるたびに、少しずつ苛立ちが積もっていきます。
「ちゃんとしてくれたらいいのに」
そんな一方的な気持ちが、心の中で膨らんでいきました。

自分も同じ

最近、自分が道案内をしているときに気づいたことがあります。
「こっちこっち、右ね」と言いながら、手は反対の方向を指してしまうことが増えたのです。
頭の中では正しい方向を考えているのに、手が別の方向へ動いてしまう瞬間があります。

自分でもコントロールできない不可解なズレに一瞬わからなくなり、言葉と動きがかみ合わなくなる場面がありました。
運転席の相手が、戸惑った表情でこちらを見ています。
その様子を見た瞬間、昔の母との場面がよみがえりました。
「ちゃんとして」と思っていたあの場面と、同じことをしている自分に気づいたのです。「ちゃんとしていない」のではなく、「一生懸命なのに、うまくいかない」だけだったのだと。

伝え方の重み

あのとき、母はちゃんとしていなかったわけではなかったのかもしれません。
同じように戸惑いながら、必死に伝えようとしていたのだと思います。
時が戻ることはありませんが、もう少しやさしく受け止められていたらと感じます。

それ以来、人に何かを伝えるときは、少しだけ言い方を選ぶようになりました。
相手の様子を見ながら、焦らせないように、急がずに言葉を重ねるようにしています。
人への伝え方は、巡り巡って自分にも返ってくるのかもしれません。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年4月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

元記事で読む
の記事をもっとみる