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ひきこもりはネット登場以前と以後では異なる現象かもしれない

  • 2026.4.12
Credit:OpenAI,ナゾロジー編集部

ひきこもりと聞くと、多くの人は「部屋に閉じこもってネットやゲームに没頭する若者」を思い浮かべるかもしれません。

ですが、この現象が最初に強く注目されたのは、インターネットがまだ生活の中心ではなかった時代の日本でした。

ひきこもりという言葉は日本で生まれ、日本で社会問題として定着し、英語圏の初期研究でも長いあいだ「日本文化に特有の問題」として紹介されていました。

実際は、各国でも似た状態の人は報告されてはいたのですが、それらは、不登校、失業、抑うつ、不安障害、NEETなど、別々の問題として扱われることが多く、「ひきこもり」という一つの現象としては認識されていなかったのです。

ところが近年は、オンライン環境の充実に伴い世界的に「ひきこもり」と呼べる状態の人たちが増加してきています。そのため、現在では日本語のままの HIKIKOMORI という語が国際的に使われるほど、世界各地で見られる社会的孤立の一形態として論じられるようになりました。

特にコロナ禍を境に、ひきこもり問題は世界的に注目されるようになっています。

しかし、こうした話を聞くとなんとなく違和感を覚える人も多いのではないでしょうか?

それは、ひきこもりは本当に1種類なのかという疑問です。

もともと日本で強く意識されたひきこもりは、不登校や社会不適応をきっかけに外の世界から退いていく「退避型」として理解されることが多くありました。

ところが現在は、オンラインゲーム、ソーシャルメディア、動画配信、在宅就労、オンライン学習などによって、部屋の中にいながら交流や娯楽、場合によっては仕事まで成り立つ時代になっています。

そうなると、昔ながらの「社会から逃れるためのひきこもり」と、オンライン空間に生活の軸を移した現代的なひきこもりを、同じものとして扱ってよいのかが問題になってきます。

近年の研究では、病的なひきこもりと、必ずしも強い苦痛や機能障害を伴わないひきこもりを分けて考えるべきだという議論が強まっているのです。こうした考え方は、ひきこもりを直すための対処法についても慎重に考える必要を示しています。

目次

  • 「ひきこもり」は日本から誕生して世界語になった
  • ひきこもりが1種類ではないなら、対処法も1つでは済まない

「ひきこもり」は日本から誕生して世界語になった

現代ではひきこもりというものが、部屋に閉じこもって遊んでいる人のようなイメージで語られることがあります。

そのため、ひきこもりは無理やり親が家から追い出せというような暴論を述べる人たちも見られます。

しかし、ひきこもりが日本で社会問題として強く意識されるようになった1990年代はネット環境もなかった時代です。

当時この言葉でイメージされていたのは、学校や就職でつまずいた若者が、長いあいだ自宅にこもり、社会とのつながりを失っていく姿でした。初期の研究でも、ひきこもりは日本社会の家族構造や教育、就労環境と深く結びついた現象として論じられており、その中心にあったのは「快適な部屋に留まること」よりも、外の世界から退いていく社会的撤退の側面でした。

この型では、部屋の中は必ずしも快適な楽園ではありません。そこはむしろ、失敗や評価から逃れるための避難所であり、動けなくなった時間が沈殿する場所でした。

このタイプのひきこもりは、抑うつ、不安、自己効力感の低下などと結びつきやすい傾向が示されています。

実際、最近発表されたトルコの若年成人を対象にした研究(Artan,2026)でも、気分の落ち込みが強い人ほど、人づきあいや外出などの社会とのつながりを保ちにくく、強いストレスや失敗から立ち直る力が弱いほど引きこもり傾向を強めていることが報告されています。

そのため、近年の研究では、ひきこもりを一律に病理として扱うのではなく、病的なひきこもりと、必ずしも強い苦痛や機能障害を伴わない非病的なひきこもりを分けて考える必要性が論じられています。

ひきこもりが1種類ではないなら、対処法も1つでは済まない

2025年の研究では、ひきこもりを維持する理由として、嫌な社会的体験を避ける型内面的な不快感を減らす型自室内の活動そのものを追求する型に区別されています。そして、抑うつや生活の質の低さ、社会機能の低下と強く結びついていたのは、主に社会から逃げるための型でした。

一方で、自室内の活動に価値や充足を見いだしている型は、同じように家にいても、精神症状との結びつきが比較的弱いことが示されています。

つまり、ひきこもりの本質は「家にいること」そのものではなく、何から逃げているのか、あるいは生活の軸がどこへ移っているのかにあるかもしれないのです。

この視点に立つと、対処法も大きく変わってきます。

例えば、ひきこもりを一種の甘えと見なし、強引に家から出したり、すぐ就労へ向かわせたりする対応は、一見すると立て直しに見えるかもしれません。けれども、もしその人が社会的失敗や対人不安から身を守るために退避しているタイプであれば、そうした圧力は避難所を奪うことになり、かえって状態を悪化させる恐れがあります。

逆に、オンライン空間に生活の軸を移しているタイプでは、本人の苦痛や機能障害が比較的小さいなら、単純に「外へ出す」ことよりも、オンライン上の活動がどこまで自立的で持続可能なのか、そこからどのように社会参加を組み直せるのかを考えるほうが重要になります。

ひきこもりを1種類ではないと考えることは、単なる分類の話ではなく、誰に何をしてはいけないのか、誰に何が必要なのかを見誤らないための考え方なのです。

さらに、この問題は個人の心だけで完結する話でもありません。

近年は、「最近の若い人は仕事をすぐ辞める」「少しでも合わないと職場を離れてしまう」といった印象を持たれがちです。こうした傾向を単なる根気のなさとして見るのではなく、ひきこもり研究の一部では、新自由主義的な教育・労働環境の中で若者が社会から撤退しやすくなっている現象として理解しようとしています。

競争の激しい学校を経て、不安定な雇用環境の中で働き続けることを求められる今の社会では、「合わない場所でも踏みとどまる」こと自体が強い負担になりやすいからです。

そう考えると、社会に適応できなかった結果として家に閉じこもる古典的なタイプだけでなく、無理に同じ土俵に乗らず、在宅中心の生活の中でオンライン上の活動に重心を置くようになる現代型のひきこもりたちの姿も見えてきます。

ひきこもりは、単なる個人の異常というより、今の教育や労働のあり方と結びついた現象として捉えたほうがわかりやすい面があるのです。

ひきこもりという言葉は、広く浸透したためにカジュアルに使われてしまう面もあり、そのために中身を区別せずにひとまとめに理解しようとしてしまいがちです。

場合によっては、家族や周りの人たちがひきこもりの理由を分析せずに、快適な部屋に閉じこもっているだけと捉えてしまう場合もあるかもしれません。

ひきこもっているその部屋は心の避難場所なのか、ただの快適なオンライン空間なのか、出ていくべきなのか、在宅で自活する道を検討できないのか、同じひきこもりでも問題の中核をしっかり捉えて、必要な対処を考えていくことが重要になるでしょう。

元論文

The Japanese Hikikomori Phenomenon: Acute Social Withdrawal among Young People
https://doi.org/10.1111/j.1467-954X.2008.00790.x
Shifting the paradigm of social withdrawal: a new era of coexisting pathological and non-pathological hikikomori
https://doi.org/10.1097/yco.0000000000000929
The relevance of educational contexts in the emergence of Social Withdrawal (hikikomori). A review and directions for future research
https://doi.org/10.1016/j.ijedudev.2023.102756
Functional assessment of hikikomori behaviors: Functional types and psycho-behavioral factors
https://doi.org/10.1016/j.jbtep.2025.102038

ライター

相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。

編集者

ナゾロジー 編集部

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