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「和食ならいらない」「また魚?」手料理に文句を言っていたあの頃 → 母になって分かった【食卓の後悔】

  • 2026.4.12

毎日食事を用意するようになって、昔の自分を思い出すことはありませんか? 何気なく食べていた頃には気づかなかったことが、今になって見えてくることもあります。今回は、母の手料理をめぐって後から気づいた、筆者のエピソードをご紹介します。

画像: 「和食ならいらない」「また魚?」手料理に文句を言っていたあの頃 → 母になって分かった【食卓の後悔】

何も考えずに

実家に住んでいた頃、母の手料理を特別なことと思わずに食べていました。時には「また和食?」と口にしたり、魚を残したりと、失礼な態度をとることもありました。

そのときは、とくに深く考えていなかった私。自分の好みを言っているだけで、作ってくれている人を困らせるつもりはなかったのです。

休日の朝には卵焼きの味の好みを聞かれ、「甘め」と答えれば、その通りに作ってもらうのが当たり前。食事中も「これ取って」「調味料ほしい」と気軽に頼み、母は料理をしながらそれに応じてくれていました。

今思えば、母はずっと動いていたように感じます。

家族が食べ終わる頃、ようやく食卓につきますが、そのことに疑問を持つこともありませんでした。それがどれだけ大変なことなのか、想像することもなかったのです。

作る側になって、見えたこと

しかし今、自分が親となり、子どもたちの食事を用意する立場になって気づきます。

「これじゃない」「別のがいい」「あれ取って」と次々に出る要望に応えながらの食事は、想像以上に慌ただしく、落ち着いて座ることすら難しい。キッチンと食卓を何度も往復しながら、「早く座りたい」と思うのに、そのタイミングがなかなかやってこないのです。

先日も、用意したご飯を前に「思っていた味と違う」と言われ、作り直したものの「やっぱりいらない」と席を離れて遊びはじめる姿を見て、思わずイラっとしました。その瞬間、「さっきまで準備していた時間は、何だったんだろう」と、やり場のない気持ちがこみ上げてきました。

遅れて気づいたこと

そんな日々の中で思い出すのは、かつての母の姿です。嫌な顔ひとつせず、当たり前のように家族を優先していたこと。

私が今感じている慌ただしさを、あの頃の母は一人で抱えていたのです。
そして自分は、その大変さに気づかず過ごしていたのだと、今になって実感しました。

伝えられなかった「ありがとう」を思い出すとき

今はまだ、母のようにはできていないと感じることばかりです。

子どもから何かを言われて、余裕をなくしてしまうこともあり、あの頃の母と同じようには振る舞えません。

それでも、ふと立ち止まる瞬間があります。
あのとき、何も考えずに受け取っていた時間は、決して当然のものではなかったのだと。

あの頃に戻れるなら、きっと私は、何気ない食卓で「ありがとう」と言うと思います。

【体験者:40代・筆者、回答時期:2026年3月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:大空琉菜
受付職を経て、出産を機に「子どもをそばで見守りながら働ける仕事」を模索しライターに転身。 暮らしや思考の整理に関するKindle書籍を4冊出版し、Amazon新着ランキング累計21部門で1位に輝く実績を持つ。 取材や自身の経験をもとに、読者に「自分にもできそう」と前向きになれる記事を執筆。 得意分野は、片づけ、ライフスタイル、子育て、メンタルケアなど。Xでも情報発信中。

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