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『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』スゴ腕美術・衣装スタッフが明かす舞台裏「撮影初日を境にすべてが変わった」

  • 2026.3.29

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』(公開中)を鑑賞した日本人の多くが、1950年代の東京が遜色なく再現されていたことに驚いたはずだ。靴屋の店員から卓球の世界一を目指し奔走するマーティ(ティモシー・シャラメ)の前に立ちはだかる、宿命のライバル・エンドウ(川口功人)。マーティは、エンドウに勝負を挑むために東京を目指す――。

【写真を見る】テレンス・マリック、ブライアン・デ・パルマ、デヴィッド・リンチ…名だたる巨匠と仕事をしてきた美術監督ジャック・フィスク

日本文化に造詣が深いジョシュ・サフディ監督はエキストラ一人一人の顔にもこだわりを持ち、クライマックスのシーンを日本で撮影することを譲らなかった。上野恩賜公園の屋外ステージを使って行われた撮影では、日本語の横断幕が準備され、ピンクのスーツを着た“エンドウ・ガールズ”が声援を送る。これらを手掛けた、美術監督のジャック・フィスクと衣装デザイナーのミヤコ・ベリッツィ、そしてセットデコレーターのアダム・ウィリスのトークパネルが、ロサンゼルスのジャパン・ハウス・ロサンゼルスで行われた。フィスクとウィリスは、テレンス・マリック監督、ポール・トーマス・アンダーソン監督、マーティン・スコセッシ監督、デヴィッド・リンチ監督らの作品に参加してきた凄腕美術チーム。一方、ベリッツィは、サフディ兄弟の『グッド・タイム』(17)、『アンカット・ダイヤモンド』(19)に参加、映画とファッションをつなぐような作品に貢献している。アカデミー賞美術賞、衣装賞にそれぞれノミネートされた3人が語る、『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』の撮影秘話を現地取材でたっぷりとお届けする。

『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』の世界を形づくったスタッフ3人が撮影秘話を語り尽くす! [c]Courtesy of A24
『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』の世界を形づくったスタッフ3人が撮影秘話を語り尽くす! [c]Courtesy of A24

「脚本を読んだらやることが山積みで、それがまた私を奮い立たせてくれました」(フィスク)

――この映画が実際にどんな作品になるか、感じ始めたのはいつ頃でしたか?

ミヤコ・ベリッツィ(以下、ベリッツィ)「撮影開始の1〜2年前くらいまでは詳しいことはわかっていませんでした。とは言え、事前の準備期間が長かったのは確かで、それ自体がとても珍しいことです。私たちがこれまで経験してきた映画では、監督のことをよく知らないまま台本を渡されてすぐ撮影に入って、という慌ただしいケースがほとんどですから。でもこの作品は、ジョシュ(・サフディ監督)が脚本を執筆していた時期、たぶん数年前から少しずつ書いていたと思いますが、その頃から話を聞いていました。ジョシュがキャラクターを作り上げながらヒントをくれることがあって。でも、この映画の規模がどれほど大きいかは最初は全然わかっていませんでした。『グッド・タイム』からずっと一緒にやってきて、毎回一段ずつ階段を上がってきている感覚があります。大きな作品のはずなのに、小さな映画のように感じていたというか、成功の実感がなかったんですね。だから、脚本が完成してから全部読んで初めて、『ああ、これは大きな作品になるんだ』と気づいたんです」

――ジャック(・フィスク)さんとアダム(・ウィリス)さんは、今回ジョシュ・サフディ監督と初めて仕事をされましたよね。どのような経緯で参加することになったのでしょうか?

【写真を見る】テレンス・マリック、ブライアン・デ・パルマ、デヴィッド・リンチ…名だたる巨匠と仕事をしてきた美術監督ジャック・フィスク [c]Courtesy of A24
【写真を見る】テレンス・マリック、ブライアン・デ・パルマ、デヴィッド・リンチ…名だたる巨匠と仕事をしてきた美術監督ジャック・フィスク [c]Courtesy of A24

ジャック・フィスク(以下、フィスク)「マーティン・スコセッシとオクラホマで仕事をしていたある日、ジョシュから電話がかかってきたんです。卓球の映画について話し始めて、私は『今でも手いっぱいなのに、卓球の映画なんてずいぶん遠い話だな』と思いながら聞いていたのを覚えています。でも興味があったので、ジョシュの映画が公開されるたびに観ていたら、ものすごく刺激を受けました。そして3年ほどあと、再び電話ががかってきて、『資金が確保できました。ティモシー(・シャラメ)も一緒です。やりましょう』と言われました。ニューヨークでの撮影も、情熱的な監督との仕事にも、わくわくしました。脚本を読んだらやることが山積みで、それがまた私を奮い立たせてくれました」

――圧倒されるよりも、わくわく感のほうが大きかったということですね。お二人とも今作の制作規模の大きさに触れていましたが、アダム、最初に脚本を読んだ際に、なにに興奮して、なにに怖気づきましたか?

『エディントンへようこそ』『オッペンハイマー』などに参加したセットデコレーターのアダム・ウィリス [c]Courtesy of A24
『エディントンへようこそ』『オッペンハイマー』などに参加したセットデコレーターのアダム・ウィリス [c]Courtesy of A24

アダム・ウィリス(以下、ウィリス)「ニューヨークでこれほど大きな作品を担当するというのは、正直かなりビビりました。伝統的に、ロサンゼルスのセットデコレーターがニューヨークで仕事をすることはそう多くありません。プロダクションデザイナーやプロデューサーが相当な努力をしてくれないと実現しないものです。その頃私はちょうど(アリ・アスター監督の)『エディントンへようこそ』の撮影中で、ジャックとメールをやりとりしながらも、『この作品に入るのは無理だろう』と思っていました。そこへプロデューサーのアンソニー(・カタガス)から電話があって、『参加する気はある?なんとかなると思う』と言われて、『まあ、いいですよ』と答えたんです。その後1か月ほど音沙汰がなくて、またアンソニーから『来週から始められる?』と電話が来て。ちょうど『エディントンへようこそ』の撮影最終週で、そこからこちらへ移ることになり、かなりカオスでした。

ニューヨークの街を駆け抜けるマーティ [c] 2025 ITTF Rights LLC. All Rights Reserved.
ニューヨークの街を駆け抜けるマーティ [c] 2025 ITTF Rights LLC. All Rights Reserved.

脚本を読んで、ストリートのシーンは大変なことになると確信していました。もともとジョシュの映画の大ファンで、彼がどれほどリアリティにこだわるかはわかっていたし、ジャックも同じ考えでした。ニューヨークの街のワンブロックをまるごとあの時代に変貌させるのは本当に難しい。建物は見栄えがしますが、それ以外の全部を変えなければならないからです。撮影場所が作品の設定とはまったく逆の雰囲気だったので、特に設置しなければならないオーニング(日よけ)類を考えると、外観シーンが一番怖かったですね。全体の手順の多さもそうですし、確か46日間の撮影スケジュールだったので、それも大変だと思いました」

「この数年で最も多くの時間を費やしたのは世界全体のリサーチでした」(ベリッツィ)

――ミヤコさん、この映画には、異なる文化、異なる時代の人々が数百人、ひょっとすると数千人分登場します。彼らの衣装を揃えなければならない時に、一体どこから手をつけるんでしょうか?ティモシーのキャラクターから考えるのか、全体の規模から考えるのか、最初に取り組むのはなんですか?

まずは時代への理解を深めたうえで衣装を考えていったというベリッツィ [c]Courtesy of A24
まずは時代への理解を深めたうえで衣装を考えていったというベリッツィ [c]Courtesy of A24

ベリッツィ「キャラクターについて考える時は、まずティモシーが演じたマーティから入りました。でも実は、この作品に関して、この数年で最も多くの時間を費やしたのは世界全体のリサーチでした。あの時代になにが起きていたかを深く理解したうえで、その中の様々な世界をどう差別化するか、私にはそのプロセスが重要でした。知識のベースがあって初めて、マーティがなにを着ているかを解読できる。それは最後のステップで、まずマーティに影響を与えた要素、当時なにが起きていたか、彼が見ていたもの、彼はなにに刺激を受けていたのか、彼はどこに住んでいたのか、誰と過ごしていたのか…そういったものを深く理解することから始めました」

――もともと卓球についてはなにも知らなかったとおっしゃっていましたが、どうやってその世界を掘り下げていったんですか?50年代の卓球の世界を学ぶために参照したのはどんな資料ですか?

イベントでは、マーティとエンドウの衣装も展示されていた [c]Courtesy of A24
イベントでは、マーティとエンドウの衣装も展示されていた [c]Courtesy of A24

ベリッツィ「リサーチ資料はたくさんありました。ジョシュの奥さんのサラ(・ロセイン、エグゼクティブプロデューサー・リサーチャー)が、この世界について膨大なリサーチをしてくださっていたんです。卓球に関する画像など、私たちは同じリサーチ資料を共有できたので、本当に助かりました。外観についてのリサーチもありましたし、ショーウィンドウの前に人が映っていたりするので、住まいのことも知りたくなりました。例えばジョシュがロウアー・イースト・サイドのある部屋の台所の写真を送ってきて、そこで人々が食卓を囲んでいたりする。そういうところでジャックと私のリサーチも重なっていたんですよね」

フィスク「ジョシュとサラがこの映画に関するリサーチをすべてまとめて一冊の本にして、撮影スタッフ全員に配ってくれたんです。それは本当にすばらしかった。全員が目指すものを共有できましたから。いままで、一度もそんな経験はなかったと思います。普通、本は映画の完成後に作るものですから」

――映画のビジュアルデザインはとても精巧でした。お三方の間だけでなく、撮影監督との連携も含めて、コラボレーションはどれほど重要でしたか?皆さんはどのくらい互いに話し合い、情報を共有していたんでしょうか?

写真右から本作の監督ジョシュ・サフディと撮影監督のダリウス・コンジ [c]Everett Collection/AFLO
写真右から本作の監督ジョシュ・サフディと撮影監督のダリウス・コンジ [c]Everett Collection/AFLO

ベリッツィ「私が特に印象に残っているのは、撮影監督のダリウス・コンジと照明部のスタッフが衣装のフィッティングスペースに来て、そこに特別な照明ボックスを設置してくれたことです。フィッティング中の照明が、実際のセットと同じ条件になるように。こんなことは本当に稀で、これまで経験したことがありませんでした。過去の作品で、特に印象に残っている場面があって…アダム・サンドラーが格闘するシーンで、ネオンオレンジのスウェットシャツが彼の顔を照らしていました。衣装と青い照明の組み合わせになにか特別なものがあって、その瞬間から撮影チームとのやりとりがいっきに密になりました。フィッティングを行うトラックに照明をセットしてもらったことをいまでも鮮明に覚えています。以来、ダリウスともとてもよく話すようになりました」

ベリッツィは『アンカット・ダイヤモンド』『グッド・タイム』などサフディ兄弟の過去作にも参加している [c]Everett Collection/AFLO
ベリッツィは『アンカット・ダイヤモンド』『グッド・タイム』などサフディ兄弟の過去作にも参加している [c]Everett Collection/AFLO

「『ゴジラ-1.0』を製作した東宝スタジオで(撮影を)行ったんですが、それがとても嬉しかった」(フィスク)

――日本でのロケについて聞かせてください。日本のクルーとの仕事はどんな経験でしたか?

ベリッツィ「日本での撮影は映画のラストシーンで、スケジュール的にも一番最後でした。クリスマス休暇を挟んで、それから日本へ向かい、数週間滞在しました」

フィスク「撮影は、撮影当時ちょうど北米で公開されたばかりの『ゴジラ-1.0』を製作したスタジオ(東宝スタジオ)で行ったんですが、それがとてもうれしくて(笑)。アカデミー賞の授賞式でよく耳にした作品のスタジオを歩いているわけですから!」

東宝スタジオでの撮影を興奮気味に語るフィスク [c]Courtesy of A24
東宝スタジオでの撮影を興奮気味に語るフィスク [c]Courtesy of A24

ベリッツィ「日本のクルーは本当に優秀でした。私は、『日本だから衣装は楽勝でしょ。50年代の服ならいくらでも見つかるはず』という思い込みがあったんです。でも実際は全然違っていて。1000人分の時代考証に合った衣装を見つけるのが、最大の課題でした。ヴィンテージショップを一軒一軒回るわけにもいかないので、たくさんの衣装を持ち込みました。舞台の大半が屋外劇場なので、衣装がその世界を作り上げる役割を大きく担っています。だから、本物らしさへのこだわりはなんとしても守りたかった。そしてなにより、できるだけ日本人の方をエキストラとして起用したかった。米軍関係者は除いて、観客の大多数は日本人として映るようにしたかったんです。

ティモシーの衣装はニューヨークで仕立てたメルトンコートを数着選んで持っていきました。エキストラの衣装については、スタジオをお借りした東宝にとてもお世話になりました。東宝は日本最大手のプロダクションで、衣装レンタルもあったんですが、時代考証的にぴったり合うものばかりではなく、そこが課題でした。持参したものとレンタルにあるものをうまく組み合わせながら、できる限り時代に忠実に仕上げていく作業でした。例えば、ピンクのシャツを着た“エンドウ・ガールズ”のユニフォームは日本で縫製しています。

マーティが身に纏うメルトンコートはニューヨークで仕立てられた [c]Courtesy of A24
マーティが身に纏うメルトンコートはニューヨークで仕立てられた [c]Courtesy of A24

着物の割合にも気を配って、男女合わせて約35%を伝統的な着物姿にして、残りは洋装にしました。戦後の日本、特に東京の時代の変化を描きたかったんです。軍服も多く登場しますが、あの時期、終戦からおよそ10年後にも、日本に依然として重い軍事的な存在感があったことを示したかった。軍人の衣装は約40人分ありました。様々な要素を組み合わせた、複合的なアプローチをとっています」

フィスク「スタジオ側は最初、アメリカで撮影しようとしていました。バスで日本人エキストラを3時間かけて撮影場所まで運ぶ計画で、でも最大50人しか乗れないと。それではジョシュが納得しないということになり、『アメリカでの撮影が全部終わったら日本で撮影しましょう』という話になり、それがスタッフ・キャストの大きな励みになりました。エキストラの方々についてひとつ言えるとすれば、毎日5℃程度の気温の中で一日中座っていたのに、一度も文句を言っていませんでした。頭が下がります」

――日本のシーンのためにどんなリサーチをして、どんな参考資料を使いましたか?

フィスク「屋外劇場に飾るグラフィックが一番重要だったと思います。当時の日本の卓球の試合の写真が主な参考資料になりました。あとは同時代の日本の映画館の装飾も少し取り入れ、できるだけ視覚的に魅力的にしました。日本の美術チームが常に新しいアイデアを提案してきてくれて楽しかったです。ジョシュの奥さん、サラのリサーチは本当に圧巻でした。常に資料を送ってきてくれて、彼女なしにはあれほど細部にこだわった映画は作れなかったでしょう。子育てをしながら、時間を惜しまず資料を探し続けて、どんな場面でも私たちの期待を上回るものを届けてくれました。

夫婦で映画の製作に携わったサラ・ロセインとジョシュ・サフディ [c]Everett Collection/AFLO
夫婦で映画の製作に携わったサラ・ロセインとジョシュ・サフディ [c]Everett Collection/AFLO

ローレンスのテーブルテニスクラブの間取り図まで探し出してくれました。建物はとっくに取り壊されていたんですが、市が記録を保管していて、それを掘り起こしてくれたんです。撮影では結果的に別の建物を使うことになりましたが、元の配置を正確に把握できた。加えて、50年代の『LOOK』誌の写真からも多くのヒントを得ました。しかもサラはニューヨークの図書館に行って、自分で写真をスキャンしていたんです。だから解像度が非常に高くて、どこまでも拡大できる。ネットで見つけた画像と違って、ズームしてもズームしても細部がくっきり見えてくる。そういう資料を揃えてくれていました」

ベリッツィ「信じられないほどの解像度でしたね。サラはいつもすべての答えを持っていた。卓球のすごく細かい質問でも、ランダムな国のユニフォームに関することでも、どの部門からの疑問にも応えてくれました。

フィスク「ニューヨーク、オーチャード・ストリートにはテネメント博物館があって、1938年に空き家になったテネメント(移民街の集合住宅)がそのまま保存されています。その建物の中に入って、質感、部屋の大きさ、リノリウムの床、壁紙を時間をかけて見て回りました。美術チームにとって本当に宝のような場所でした。設定は50年代でしたが、1938年からそれほど変わっていないので、参考として十分でした」

「360度どこを見渡しても、1952年じゃないと感じさせるものがなにもない状態を目指した」(ウィリス)

――長年この業界でご活躍されていますが、常に向上し続け、目標を追い続けるモチベーションはどこから来るんですか?

フィスク「どんな作品でも、『これは不可能だ』と思えることを探して、それに挑戦することが私を奮い立たせてくれます。問題を解決するのが好きなんです」

――俳優の最高の演技を引き出し、キャラクターを共に作り上げる美術、衣装という役割をどのように捉えていますか?

ベリッツィ「とても大きな役割だと感じています。大抵、キャスティングが決まった直後に俳優が最初に会うのが衣装部です。フィッティングのあとは、監督に『調子はどうでした?彼らは役にどう向き合っていましたか?』と質問します。それが自然と自分の役割の一部になっています。一緒にいる時間の中でキャラクターを作り上げていく感じで、何度か会って少しずつつかめてくる場合もあれば、一回でピタッとはまることもある。

撮影現場のティモシーシャラメとジョシュ・サフディ監督 [c]Everett Collection/AFLO
撮影現場のティモシーシャラメとジョシュ・サフディ監督 [c]Everett Collection/AFLO

例えばティモシーにしても、彼なりのキャラクター観を持っていて、私には私の解釈があって、ジョシュにはジョシュのビジョンがある。それが一堂に会し、実際にティモシーと顔を合わせてから、ジョシュと私がフィードバックを共有して、またジョシュとティモシーが写真を見ながら話し合って、それを私に伝え——その積み重ねが、現場でのすべての選択として結実していくんです」

フィスク「『マーティ・シュプリーム』の脚本はセリフが90%で、それ以外はほぼ書かれていませんでした。そのキャラクターのためにクローゼットや家の内側から作り上げていくところから、私とアダムはいつも始めます。衣装も同じですよね。キャラクターを深く読み込むことがデザインにつながって、そのデザインが俳優を助け、観客に『本物のキャラクターだ』と信じさせる。本当にすばらしい仕事の仕方だと思います。映画の仕事が好きなのは、ひとりで部屋に閉じこもって作業するのではなく、才能ある人たちの大軍と一緒に働けるから。それがうまく機能して、全員が100%を出し切った時、本当に楽しくなるんです」

セットデコレーターとして心掛けたことについて力強く語るウィリス [c]Courtesy of A24
セットデコレーターとして心掛けたことについて力強く語るウィリス [c]Courtesy of A24

ウィリス「私にとっては一種のマジックのトリックのようなもので、俳優に対してそのマジックを演じている感覚があります。どこまでやり込むか、世界をどれだけ信憑性あるものにできるか。俳優がセットに入ってきた時、『自分はなんか場違いな場所にいるんじゃないか』とでも言わんばかりに、完全に面食らう、そういう状態を作りたいんです。

だから今作で私にとっていちばん重要だったのは、まず靴屋と、彼が戻ってきてから歩くあのメインの通りを、匂いがするくらいの場所に仕上げること。360度どこを見渡しても、1952年じゃないと感じさせるものがなにもない、そういう状態を目指しました。靴屋でも同じで、天井の隅々まで、床のゴミ箱の中まで、できる限り細部を詰めておく。そうすると俳優はキャラクターのために積み上げてきた準備を使うだけでよくなって、あとは自然に動けるんです」

ベリッツィ「撮影初日のセットは本当に特別でした。初日の最初のシーンはロウアー・イースト・サイドのオーチャード・ストリートで、しかもそこが1950年代に見えていた。信じられなかったです。舞台の上にいるみたい、と思いました」

スタッフ、キャスト一人一人の仕事が見事に結実した『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』 [c]Everett Collection/AFLO
スタッフ、キャスト一人一人の仕事が見事に結実した『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』 [c]Everett Collection/AFLO

フィスク「みんなそれぞれ頭の中で、自分たちが作っている映画のイメージを持っているけれど、それが必ずしも同じとは限らない。でも、靴屋の初日にその現実が目の前に現れて、ティモシーの衣装や動きを見た時、突然全員の認識が一致した瞬間がありました。『あ、これが私たちが作っている映画だ』と。そこからは、その勢いとクオリティを維持するために一生懸命仕事をするだけです。

ベリッツィ「あの初日がすべてを変えましたね。なぜかはわからないんですが、あの日を境に『これは本物だ。本気でやっている』と確信しました。全員の目線が揃っていて、しかも実際にうまくいっていることに心から安堵しました。

ウィリス「セットがあまりにもリアルで、スタッフが本物の照明スイッチを探して灯りをつけようとする、なんてことが起きたりして(笑)。それが一番の褒め言葉ですよね」

取材・文/平井伊都子

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