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“約30年ぶり”日テレ連ドラ主演女優、まさかのハマり役で「逆にこわい」初回放送で見せた穏やかな“サイコパス”

  • 2026.4.8

深夜に、こんなにも“現実に近い恐怖”を見せられるとは思わなかった。石田ひかりが約30年ぶりに日本テレビ系連続ドラマで主演を務める、水曜プラチナイト『鬼女の棲む家』第1話。SNSでは「サイコな演技がハマるとは」「意外な顔」といった声が相次いでいるが、本作の恐ろしさは、いわゆる“サイコ演技”ではないところにある。優しさも、日常も、そのままの温度で存在しているのに、気づけばすぐ隣に“鬼”がいる。その違和感こそが、このドラマの本質だ。

※以下本文には放送内容が含まれます。

“鬼女”はすぐ隣にいる?

『鬼女の棲む家』第1話を観てまず感じるのは、その恐怖の“距離の近さ”である。
本作は、ネットスラングとして知られる「鬼女(きじょ)」をモチーフにしている。しかし、ここで描かれる“鬼女”は、サイコホラー用に誇張されたキャラクターではない。むしろ、どこにでもいそうな一人の主婦として登場する

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水曜プラチナイト『鬼女の棲む家』(C)中京テレビ

石田ひかりが演じる星野明香里は、家族のために食事を作り、穏やかに微笑む、ごく普通の母であり妻だ。その姿だけを切り取れば、そこに“異常性”はほとんど見えない。
しかし、その裏で彼女は、ネット上で“特定班”として活動している。
投稿されたわずかな写真から、映り込んだ情報を手繰り寄せ、個人情報を暴き、炎上へと導く。そのプロセスの描写が妙に具体的で、だからこそ恐ろしい。

これはフィクションでありながら、どこかで見聞きしたことのある現実の延長線上にある。だからこそ、『鬼女の棲む家』は観る者を安心させない。
鬼は、遠くにいる存在ではない。すぐ隣にいる。あるいは、自分のなかにも潜んでいるかもしれない。その気づきを、じわじわと突きつけてくるのだ。

石田ひかり演じる“ナチュラルな鬼女”

SNS上でも「サイコな演技がハマるとは」「穏やかで逆にこわい」といった声が上がっている、石田ひかりの演技。実際に観て感じるのは、いわゆる“サイコ役”のそれとはまったく異なる質感だ。

彼女は、鬼女を“演じていない”。むしろ、いつもの日常の延長としてそこにいる。
キーボードを打つ手元。画面を見つめる視線。そこにあるのは激しい感情ではなく、驚くほどフラットな微笑みだ。しかし、その表情こそが、彼女にとってこの行為が特別なものではないことを示している。
それは怒りでも復讐でもない。ただの“習慣”であり、“快楽”なのだ。

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水曜プラチナイト『鬼女の棲む家』(C)中京テレビ

一方で、家族と接する場面では、柔らかく温かい声で語りかける。その切り替えがあまりにも自然で、境界線が見えない。だからこそ怖い。
もし明確な“異常性”があれば、私たちはそこから距離を取ることができる。しかし明香里には、それがない。優しさも狂気も、同じ温度で共存している。石田ひかりの持つ穏やかなイメージが、そのまま“恐怖の媒体”として機能しているのだ。

“正義”という名の暴力の行方

誰かの過ちを暴き、糾弾し、拡散する。その行為に、どこかで正当性を感じてしまう感覚。私たち自身もまた、その構造の一部にいるのではないだろうか。

『鬼女の棲む家』が突きつけてくるのは、“正義”という名の暴力と、その正当性についてである。第1話のラスト、謎の人物“ヒイラギ”から届くメッセージによって、物語は新たな段階へと進む。
晒す側だった明香里が、やがて晒される側へと転じるのか。あるいは、彼女の身近な誰かがすでに“鬼”なのか。完璧に見えた家庭は、静かにひび割れ始めている。

このドラマには、派手な恐怖演出はない。しかし、その代わりに、逃げ場のない現実がある。
気づいたときには、もう遅い。その“遅さ”こそが、この作品のいちばんの怖さなのかもしれない。


中京テレビ・日本テレビ系 水曜プラチナイト『鬼女の棲む家』毎週水曜24時24分~

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X:@yuu_uu_