1. トップ
  2. 恋愛
  3. 忘れない、より大切なこと「死ぬならあの家で…」希望が一変したあの日を伝え続ける

忘れない、より大切なこと「死ぬならあの家で…」希望が一変したあの日を伝え続ける

  • 2026.3.22

演劇で伝える3.11

福島から北海道へ自主避難した女性と、取材の場を移した報道記者。
2人の震災の今までとこれからを考えます。
報告するのは、HBC・熊谷七海記者です。

連載「じぶんごとニュース」

3月7日、東日本大震災をテーマにした劇が札幌で上演されました。

劇は、原発事故で避難を余儀なくされた女性に新人記者が話を聞きに行くところから始まります。
私は2025年まで、福島のテレビ局でアナウンサーとして震災の記憶を抱えながらも前へ進み続ける人たちを取材してきました。

Sitakke
HBC・熊谷七海記者

HBCに転職して半年。日々の取材に追われる中で『3.11』のことを思い出す機会が減っていました。

劇の稽古中、脚本を書いた宍戸隆子さんは「キャラメルをもらったシーンだから、笑った顔がもう少し見たいかな」と演出をつけます。

原発は町の希望だった

Sitakke

宍戸さんは、原発から離れるため福島県伊達市から札幌市に自主避難してきました。

なぜ今もこの地で福島を伝え続けているのか。
その理由が知りたくて、3月2日、札幌市厚別区の宍戸さん宅を訪ねました。

「どんなときに芋煮会するんですか?」

そう聞くと、宍戸さんは「秋に、河原で。小学校では芋煮遠足があるのよ」と懐かしそうに答えます。

春になると咲き誇る、町のシンボル・夜の森の桜。

Sitakke

宍戸さんの故郷、福島県富岡町が劇の舞台です。原発がつくられる前は、冬になると多くの人が出稼ぎに出ていました。

劇中の役者は、「大熊に原子力発電所をつくることが、いよいよ決まった」「未来のエネルギーを使って電気を作るところだ」と掛け合います。

Sitakke

「これから大工事が始まる。地ならしから建設まで、たくさんの人手が必要になる。もう、冬に出稼ぎさ行かなくていーんだ」

「ほんと。ずっとお父さんと一緒にいられるの?」

当時の町の様子が再現されていきます。

劇では、原発がやってきたときの町民の希望を描きました。

Sitakke
福島県 双葉町

当時掲げられた看板。
原発は「明るい未来のエネルギー」と呼ばれ、地域の産業としてなくてはならないものになっていました。

安全だと信じていた日々が終わったとき

Sitakke

宍戸さんは「『明るい未来のエネルギー』というのを見ながら高校時代は過ごしていた。うちの高校のだいぶ前の先輩がその標語を作った」と振り返ります。

原発のすぐそばで生まれ育った宍戸さんですが、そのとき抱いていた不安もセリフに盛り込みました。

「原子力って原爆と同じものなんでしょ?危なくないんだべか?」

「原爆と原発は違うべ」

「~んだけども…」

劇の中では、当時の複雑な心情も語られます。
しかし…

「おばあちゃん?なにこれ…揺れてる?地震?」

Sitakke

役者の叫びとともに、日常は一変しました。
安全だと信じていた原発が水素爆発を起こしたのです。

宍戸さんはそのときの衝撃について「富岡町に両親とおばが残っていて、私の住んでいる伊達市まで避難させて。電気がついて慌ててテレビとかパソコンをつないでいるときに、爆発映像が入ってきて」と語ります。

「あんた、この責任をどう取るつもりだよ?俺たちは死ぬかもしれないんだぞ」

劇中のこのセリフ。
あの日の怒り、混乱は、宍戸さんが一番こだわったシーンです。

Sitakke

「もう長くねぇ身だ。死ぬならあの家で死にたい」

役者は震える声で演じます。

「一瞬」だから深く入る心

Sitakke

宍戸さんは、2017年から札幌で原発事故を題材にした脚本を書き続けています。

稽古を見たとき、ちょっとだけ不安そうにする女性の雰囲気作りが、震災と原発事故の当時のあの雰囲気にすごく近いんじゃないかと感じました。

宍戸さんは「映像として残していくことが大事だと思っていて、フィルムで撮ってるわけじゃないから、本当に一瞬なんだけど、一瞬だからこそ人の心に深く入るのが演劇だと思っていて。空気感を共有できるすばらしい手段だなと思う」と、演劇への想いを語ります。

福島にはまだ帰還困難区域があり、2026年3月現在も約2万3000人余りが帰れずにいます。

Sitakke

事故で溶け落ちた核燃料と原子炉内の金属が固まった燃料デブリはおよそ880トン。15年が経った今も取り出せたのは1グラムにもなりません。

一方で、私は北海道に転職してから福島の現状を報じる機会はありませんでした。

宍戸さんは、「完全に廃炉が終わるまで、原発事故は続いていると思っています」と静かに語ります。

劇は、女性が亡くなったあとに記者が書いた本を家族が手にするシーンで幕を閉じます。

これは、今も続く「現在進行形」のこと

Sitakke

福島で語り部を続ける宍戸さんの友人は、劇を見て「すべてのことをこれから子どもたちに全部背負わせるんですよ」と話し始めました。

「だけど、今の子どもたちはそのことを知らないんです。私も毎日もう語り部をやめようと思いながらやっているんですよ。バッシングも受けますし。だけど、今日の宍戸隆子さんの劇を見たらやっぱり続けないと…その勇気をくれました」

震災から15年。
上演後の舞台あいさつで、宍戸さんは「3.11からもう15年が経って、正直過去のことになってしまっている人がたくさんいます」と語りかけました。

「あのあと生まれた子どもたちは、本当に震災のこと、原発事故のことを知らない。だから今回は3.11を忘れないではなく、3.11を知ってほしいという思いで脚本を書きました。皆さんの心に何か痛みでも、悲しみでも、同情でも、小さなかけらとして1つ残ったらうれしい」

福島で何があったのかを正しく知ってもらうために。原発事故の悲劇を繰り返さないよう、北海道で伝え続けていきます。

Sitakke

国と東京電力は2051年までの廃炉完了を目指しています。
現在進行形の出来事です。

HBCテレビ「今日ドキッ!」のスタジオではコメンテーターの寺井裕美子さんが「私は当時東京で帰宅困難になりました」と話します。

「15年と聞くと長く感じるが当時のことは鮮明に覚えています。そのときの日本を知らない人たちが増えていく中で、日々の備えも必要かなと思います。語る、つなぐことが防災にもなるのではないでしょうか」

宍戸さんは「震災を体験した人が語れる時代はいずれ終わりが来る。だからこそ、同じことを繰り返さないため、福島で何があったのかを真実が上塗りされないよう正しく後世に伝える必要がある」と私に何度も話してくれました。

コメンテーターの野宮範子さんは「見通せない廃炉、核のゴミのこと、ふるさとを離れざるを得ない福島の人たちにとっては何年経っても現在進行形のこと。電気を使う人みんなにとって福島の事故は自分のことだと思います」と話します。

「福島第一原発が載っている地図と、泊原発が載っている地図を比べてみて、30キロ圏内にどんな町があるんだろうと。50キロ圏内には札幌もあります。福島の事故の後、安全対策が強化されて泊原発の再稼働に向かっていますが、福島の15年、そしてこれから自分のこととしていかなければと強く思います」

原発事故は『安全神話を過信しすぎた人災』だと、国会の事故調査委員会は断定しています。
この教訓は必ず未来に活かしていかなければいけません。

連載「じぶんごとニュース」

取材・文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部あい

※掲載の内容は、HBC「今日ドキッ!」放送時(2026年3月11日)の情報に基づきます。

元記事で読む
の記事をもっとみる