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タイトルの意味、“家”に込めた哲学…『センチメンタル・バリュー』の優しい余韻をヨアキム・トリアー監督&キャストの言葉からひも解く

  • 2026.3.9

ヨアキム・トリアー監督の新作『センチメンタル・バリュー』(公開中)は、第78回カンヌ国際映画祭で上映されたのちに多くの人たちの話題にのぼり、受賞最有力として耳目を集めてきた。上映後に19分間続いたとされるスタンディングオベーションは、カンヌ国際映画祭でパルムドールに次ぐグランプリ受賞、そして第98回アカデミー賞では、脚本賞や国際長編映画賞をはじめ、8部門で計9ノミネートを果たすという快挙につながった。ヨアキム・トリアー監督、そして姉妹を演じたレナーテ・レインスヴェとインガ・イブスドッテル・リッレオースに現地で取材を敢行。彼らの言葉から、『センチメンタル・バリュー』はなにを伝えようとしているのか、読み解いていく。

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「脚本はまるでそれ自体が生命を宿しているかのようでした」(インガ・イブスドッテル・リッレオース)

ヨアキム・トリアー監督最新作は、ノルウェー、オスロを舞台に、ある家族の断片的な時間を2人の姉妹の視点から描いた作品だ。国際映画祭で喝采を浴びてきた監督が今回たどり着いたのは、意外なほど内省的で、普遍的な物語だった。

オスロで俳優として活躍する姉のノーラを演じるレナーテ・レインスヴェ [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE
オスロで俳優として活躍する姉のノーラを演じるレナーテ・レインスヴェ [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE

「本当にすばらしい経験でした」と語るのは、舞台女優の姉ノーラを演じたレナーテ・レインスヴェ。ヨアキム・トリアー監督と組んだ前作『わたしは最悪。』(21)でカンヌ映画祭主演女優賞に輝いた彼女は、今回も監督との深い信頼関係のもとで撮影に臨んだ。「ヨアキムが(この作品で)成し遂げていることは、非常に難しいことですが、同時にとてもシンプルでもあります。人間の経験における、私たち誰もかが共有する非常に個人的なところ、あなたが家族の輪に属しているか否か、家族とは親密か疎遠か。そしてその探求に、多くの愛情と配慮を込めて臨んでいました」と語るが、同時に恐れも感じていたのだそうだ。「彼の演出は、多くの感情を引き起こすので恐ろしい。撮影現場ではみんな、常に涙を流していたように思います。誰も完全に美しい状態ではいられませんでした。なぜなら、新たな気づきを得て、自身の関係性を異なる視点で捉え直したり、家族関係について再考したりするからです。まさに集合的な体験だったと思います」。

家庭を選び息⼦と穏やかに暮らす妹アグネスを演じるインガ・イブスドッテル・リッレオース [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE
家庭を選び息⼦と穏やかに暮らす妹アグネスを演じるインガ・イブスドッテル・リッレオース [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE

歴史研究家の妹アグネスを演じているのは、ノルウェー出身の女優、インガ・イブスドッテル・リッレオース。「脚本が非常に美しく書かれているので、まるでそれ自体が生命を宿しているかのようでした。脚本家の感情的な感性を持って描かれ、役者同士で自然に受け渡し合うことができました」と、トリアー監督とエスキル・ヴォクトによって書かれた脚本を誉め讃え、「私たちには、それぞれの人生において愛する人の存在があります。(脚本に描かれた)強い感情を想像することは非常に容易でした」と、物語や役柄への深い理解を示す。姉妹を演じるレインスヴェと共演歴はないが、演技に対するスタンスが非常に近かったと言う。

「私たちの仕事の進め方は非常に似ていました。どちらも非常に自由を好み、お互いに多くの余地を与え合っているようでした。互いを尊重しながらも遊び心のある方法で撮影を進められたと思います」と、レインスヴェも思い返す。

本作では、国立劇場と国立公文書館というオスロの2つの象徴的な場所での撮影も実現し、これが2人の姉妹が異なる所以、右脳と左脳のメタファーになっている。「ノーラが立つ国立劇場はヘンリック・イプセン(ノルウェーの劇作家)の全作品が初演された場所です。アグネスが研究を進める国立公文書館は、第二次世界大戦と占領期の全記録が保管されている場所です。どちらも言葉を伝える場所であり、合わせ鏡のような二人の姉妹を象徴しています」とトリアー監督は語る。

⻑らく⾳信不通だった映画監督の⽗、グスタヴに扮したステラン・スカルスガルド [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE
⻑らく⾳信不通だった映画監督の⽗、グスタヴに扮したステラン・スカルスガルド [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE

演出家で、家族を捨てて家を出た父親役を演じるのは、ステラン・スカルスガルド。幾層にも折り重なる感情を滲ませた演技で、アカデミー賞史上初の非英語映画での助演男優賞ノミネートとなった。リッレオースは「ステランは、適切な反応を適切なかたちで引き起こしてくれる共演者でした」と語った。さらに、レインスヴェはこう付け加える。「私たち3人が一緒にインタビューを受けると、映画とまったく同じ関係性が現れるんです。彼は本当に伝説的な存在で、その場を支配してとんでもないことを言いだす。そして私は、とんでもないことを言ってしまった父の気を楽にさせようと道化を演じ、自然とそうなってしまうんです」。

「(撮影舞台である)何代もの家族の歴史が刻まれた家は、まるで我が家のように感じられました」(レナーテ・レインスヴェ)

ヨアキム・トリアーが、”愛着”を意味する本作のタイトルに込めた想いについてを語る [c]Everett Collection / AFLO
ヨアキム・トリアーが、”愛着”を意味する本作のタイトルに込めた想いについてを語る [c]Everett Collection / AFLO

作品の原題は、ノルウェー語で「愛着」を意味する、“Affeksjonsverdi”。英語圏では邦題と同じ“センチメンタル・バリュー”と訳されている。トリアー監督はこう説明する。「文字通り、あなたがとても大切にしているおばあさんのコーヒーカップのようなもので、他の人には醜く見えても、あなたにとってはかけがえのないもののことです。この映画では、同じ家族生活に対して、非常に主観的で異なる経験を持つ2人の姉妹について語っています。その異なる経験が、非常に興味深いと感じました。私と2人の兄弟姉妹の間でも『なぜ私たちはこう感じたのか?』『なぜ違う感じ方をするのか?』と話題になります。主観的に価値を見出すこと、それがおもしろいと思いました。それから、私は音楽が好きでよく聴くのですが、このタイトルは古い憂鬱なジャズのスタンダード曲のタイトルのように感じられました。このタイトルからは、なにかがすり抜けていくような感覚があります。それはなにか?時間でしょうか。両親と和解する機会、長く映画監督を続けられる可能性、子どもたちの成長、維持できない家など、多くのものが手のひらから滑り落ちていくのです」。

アメリカの人気若手スター、レイチェルがグスタヴの新作映画に抜擢される [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE
アメリカの人気若手スター、レイチェルがグスタヴの新作映画に抜擢される [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE

撮影の舞台となったのは、オスロに実在する歴史ある一軒家だ。「何世代にもわたって受け継がれてきた邸宅ですが、いまは住人がなく幸運にも撮影に使うことができました。何代もの家族の歴史が刻まれた家は、まるで我が家のように感じられました。たくさんの魂が宿っているようでした」とレインスヴェが語ると、「その家はまるでキャラクターのように独自の存在感があり、インスピレーションを与えてくれました」とリッレオースも続ける。

怒りと失望をいまだ抱えるノーラは、父の新作映画の主演のオファーを拒絶する [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE
怒りと失望をいまだ抱えるノーラは、父の新作映画の主演のオファーを拒絶する [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE

一方で、トリアー監督にとって「家」はこの映画の哲学的な軸となっている。「家というものは、この作品において非常に重要な要素です。これは、私たちが世代や時間というものをより大きな視点で捉えたかったことと関係していると思います。私にとって家は、むしろ、私自身が子どもの頃、自然番組を見て抱いたような考えに近いのです。例えば、象には象の時間があり、蟻には蟻の時間がある。そして家屋は人間とは異なる時間軸を持っているのだと思います。ご存知のように、人々は生まれ、死に、生と死を行き来する。子どもにとって、そうした移り変わりについて語り、空想することは、物事が過ぎ去っていく物語の文脈として、非常に興味深いテーマでした。そして、それは映画的な楽しみでもあり、ジャズのような反復もあります。例えば、小津安二郎の『晩春』で、父親が家族を見送り、彼らが暮らしていた家の玄関から戻ってくる孤独な姿に、私は涙を禁じえませんでした。つまり、映画における空間的要素を実際に活用してなにかを表現できるのです。ですから私も、家という空間を通じて物語を伝えることに全力を尽くしました。家屋は人間とは異なる時間軸を持っています」。

各国の映画祭で絶賛された(写真左から)エル・ファニング、レナーテ・レインスヴェ、インガ・イブスドッテル・リッレオース [c]Everett Collection / AFLO
各国の映画祭で絶賛された(写真左から)エル・ファニング、レナーテ・レインスヴェ、インガ・イブスドッテル・リッレオース [c]Everett Collection / AFLO

「私たちは、非常に力強く、明確な主張を持つ芸術が必要だと考えます」(トリアー監督)

カンヌ国際映画祭の記者会見でトリアー監督が言った一言、「優しさはパンクである」が、映画のテーマと共鳴し、いまの気分を表す言葉として認識されていた。その言葉の真意を、トリアー監督は「私は1990年代に、ある種のカウンターカルチャーの影響を受けて育ちました。スケートボードに夢中になり、パンクに傾倒し、若い頃は政治活動にも積極的に関わっていました。いまでも映画以外の分野ではその姿勢は変わっていません。なぜなら、映画というメディアが橋渡しする中間領域こそが、私にとって『いま、なにが真に革新的な立場なのか』を考える場だからです。私たちは、非常に力強く、明確な主張を持つ芸術が必要だと考えます。そしていま起きている恐ろしいことについて、人々が声を上げて訴える必要があるとも思います。私自身も請願活動などを通じてそうしています。しかし同時に、幼い子どもを育てるなかで、優しさと希望のための空間を見つける必要性も感じています」と説明した。

姉妹関係を通して、親密な⼈間関係における「⾃⼰表現の難しさ」を描く [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE
姉妹関係を通して、親密な⼈間関係における「⾃⼰表現の難しさ」を描く [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE

この想いには、現在の世界が抱える闇や分断について、同じ家で育っても別々の視点でものごとを捉える姉妹の相互理解によって解いてみようという挑戦が含まれている。

「分断の解消が必要です。お互いに『あなたは誰なのか』と問いかけること。相手を倒すのではなく、誤解を解き、寄り添う姿勢が大切なのです。『センチメンタル・バリュー』で家族を描く過程で気づいたのは、多くの人々が抱える傷や悲しみについて、 私たちは互いの足を踏みつけ合うだけで、どう語り合えばいいかもわからずにいます。だからこそ、より寛容で優しい物語を見つけようとしました。かつてパンクで皮肉屋だった私が心の奥で囁く『ああ、お前はまたハッピーエンドを作ろうとしてるんだな』という声に背を向けつつ、可能な限り家族を修復しようとする物語を作ろうとしました。いえ、これはハッピーエンドではなく、私は彼らにとって可能な限りいい結末を作ろうとしました。すべてが解決したわけではありません。そんなに単純なものではありません。なぜなら、それは人生そのものだからです。私たちはそのバランスを見つけようとしているのです。それが私の、この映画への願いだと思います」。

『センチメンタル・バリュー』は公開中 [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE
『センチメンタル・バリュー』は公開中 [c] 2025 MER FILM / EYE EYE PICTURES / LUMEN / MK PRODUCTIONS / ZENTROPA ENTERTAINMENTS5 APS / ZENTROPA SWEDEN AB / KOMPLIZEN FILM / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / ARTE FRANCE CINÉMA / FILM I VÄST / OSLO FILM FUND / MEDIEFONDET ZEFYR / ZDF / ARTE

トリアー監督のこの言葉に、映画『センチメンタル・バリュー』を観た後に残る、優しい余韻の理由を感じることができる。

取材・文/平井伊都子

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