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AIに意識を宿すには「正しいコード」だけでは足りないかもしれない

  • 2025.12.26
AIに意識を宿すには「正しいコード」だけでは足りないかもしれない
AIに意識を宿すには「正しいコード」だけでは足りないかもしれない / Credit:Canva

エストニアのタルトゥ大学(タルトゥ大)などで行われたレビュー論文により、AIに人間のような意識を宿すには「正しいコード(プログラム)」だけでは足りないかもしれない、という見方が示されました。

私たちはつい、AIを大きくして計算量を増やせば、そのうち意識も芽生えると想像します。

しかし研究者らは、脳の計算は「意識のソフト」や「意識のハード」をきれいに切り分けられるデジタル計算とは性質が違い、計算が動く“素材”そのもの(神経細胞、電気の広がり、イオンの動き、エネルギー制約など)と一体になっている可能性がある、と述べています。

研究内容の詳細は2025年12月17日にオンライン先行公開され、2026年2月号の『Neuroscience & Biobehavioral Reviews』に収録される予定です。

目次

  • 「意識はソフト、脳はハード」という考えには罠がある
  • 意識はアルゴリズムより「計算する物質」に近いのかもしれない
  • 合成意識を目指すなら、どこから作り替えるべきか

「意識はソフト、脳はハード」という考えには罠がある

「意識はソフト、脳はハード」という考えには罠がある
「意識はソフト、脳はハード」という考えには罠がある / 図は私たちが無意識に「計算」と聞いて思い浮かべている“ふつうのコンピュータ像”を絵にした図です。そこでは、ビットの0と1がきれいに区切られた箱の中でカチカチ切り替わり、その箱とは別に「アルゴリズム(手順)」と「データ(入力)」が置かれ、さらにそれら全体を支える「ハードウェア(物理的な機械)」が別レイヤーとして分かれているように描かれています。Credit:On biological and artificial consciousness: A case for biological computationalism

SFやファンタジーの世界では、他人の脳に自分の意識を流し込むことで、新たな肉体を手に入れるという設定が数多く存在します。

「意識はソフト」で「脳はハード」という説明は、とても便利で、多くの人々に納得しやすいものだからです。

実際、これまでの人工意識の議論の中心には、計算機能主義と、生物学的自然主義の二つの陣営がありました。

前者の計算機能主義では「正しいプログラムさえあれば意識は生まれる」と考え、「その意識プログラム」を上手く動かすにあたりハードとなるのはシリコンチップでも生体細胞から成る脳でもなんでもかまわないという立場をとります。

一方、後者の生物学的自然主義は、神経細胞の性質や脳の状態はシリコンチップでは模倣しにくい特殊なハードであり、たとえ「意識のプログラム(意識ソフト)」が特定できても、意識のハードになれるのは生きている自然な脳に限られると考えます。

しかし既存の2つの理論のどちらも、「生物の計算とは何か?」をきちんと言葉にできているとは言いがたい状況でした。

「意識をソフト、脳をハード」という部分に着目するあまり、最もベースとなる計算の基本的な解釈や認識が十分になされていない可能性があったのです。

そこで今回研究者たちは、生きた脳ならではの計算原理が何なのかを洗い出し、それがなぜ意識に関わるのかを理論的に示そうとしました。

意識はアルゴリズムより「計算する物質」に近いのかもしれない

意識はアルゴリズムより「計算する物質」に近いのかもしれない
意識はアルゴリズムより「計算する物質」に近いのかもしれない / 図は、「脳の中では、計算が“層ごとの箱”ではなく、“一枚のゆらめく場”として起きている」というイメージを描いています。いちばん細かい分子やイオンの動きが、少し大きいシナプスや樹状突起の状態をゆっくり押し流し、それがさらにニューロンの発火パターンや局所回路のリズムを形づくり、最終的には脳全体のダイナミックな活動へとつながっていきます。その一方で、上の大きなスケールで生まれたリズムや電場の“波”が、こんどは下の細かいスケールに戻ってきて、分子のふるまいやニューロンの応答しやすさをそっと調整している、という双方向の関係も描かれています。つまり脳はミクロからマクロまでの階層をまたぎながら一体となって動いており、その“つながった揺れ”そのものが計算になっているとも言えます。Credit:On biological and artificial consciousness: A case for biological computationalism

脳の本当の計算原理は何なのか?

答えを得るため著者らはまず膨大な先行研究を調査し、脳の計算がデジタル計算と何が違うのかを理論的に整理しました。その結果、脳の計算には二つの鍵となる特徴が浮かび上がりました。

一つ目は、デジタルとアナログの二重性です。

脳内ではニューロンの電気信号がパルス(デジタル的な発火現象)としてやり取りされますが、その裏側ではイオンの流れや電場のような連続的(アナログ的)変化が常に絡み合っています。

例えば、生物のニューロンの枝(樹状突起)にわずかな電流を流す実験では、電流が弱すぎても強すぎても反応が起きにくく、中くらいの強さのときだけ応答を起こすという結果が得られています。

「0」と「1」の違いを利用するのがデジタルだとすれば、脳は「0」と「1」だけでなく、「0.5」みたいな中間値も使っている、と言い換えられます。

脳はデジタルでもありアナログでもあるわけです。

二つ目の特徴は、境界の引きにくさです。

コンピューターであれば「ソフトウェア」と「ハードウェア」を分けて考えられますが、脳にはそのような境界をきれいに引きにくいのです。

脳はソフトでもあると同時にハードでもあり、ミクロな分子レベルから大きなニューロンネットワークまでの動きが切り分けられることなく繋がっています。

例えば脳で何かの信号を発しようとすると、必ずミクロの分子の動きやイオンの流れを伴います。

一方で、デジタルな計算機では、電気信号は流れても、分子レベルの複雑な動きは同じ形では伴いません。

つまり脳で何かをしようとするとミクロレベルの分子からマクロレベルのネットワークまで多層の動きが起こるのです。

このように生物の脳は「デジタルでもありアナログでもある(連続×離散)」「多層スケールの物理プロセス」という独特な計算原理で動いている訳です。

これはエネルギー効率を極限まで高めるために進化した戦略である可能性もあります。脳は限られたエネルギーで活動する必要があるため、無駄のない計算のためには階層をまたいだ緊密な連携が不可欠だったのかもしれません。

そして研究者たちはこうした特徴こそが意識を生み出す計算に深く関与している可能性があると考えています。

実際、著者らは、今のAIをいくら高性能化しても、計算の“あり方”そのものが脳とは異なるままでは意識の発生という肝心な部分が抜け落ちてしまう恐れがあると述べています。

言い換えるなら、意識とはアルゴリズムの問題ではなく、アルゴリズムを支える素材レベルの動き(物理プロセス)そのものが問題だ、と著者らは述べています。

要するに、意識をコードに変換するより先に、「意識が宿る計算とは何か」を素材レベルから定義し直せ、という提案です。

そして最後に、もし人工のシステムで意識に近い状態を目指すなら、こうした性質を満たすような新しい計算基盤――

①基盤となる物質が連続的な変化を豊かに表現できること、
②デジタルとアナログの場がきちんと結びついていること、
③ミクロからマクロまでの階層が互いに影響し合っていること、
④エネルギー制約が計算の形を実際に縛っていること、

などを満たすことが重要になる可能性があると述べています。

合成意識を目指すなら、どこから作り替えるべきか

合成意識を目指すなら、どこから作り替えるべきか
合成意識を目指すなら、どこから作り替えるべきか / 図は、「もし人工的に“意識っぽい計算”をやらせるなら、どんなふうにシステムを組めばいいか」を描いた設計図の地図です。いちばん下の層には、水やゲル、イオン(電気を運ぶ粒)などが実際に動くような、“生き物っぽい”基盤があります。ここでは電気や濃度がなめらかに変化し、その動きが「代謝」や「エネルギーの制約」を受けながら、現実の時間スケールで進んでいきます。つまり、スタート地点は「コード」ではなく、「どういう物質が、どういうルールでゆらめき動いているか」です。 そこから少し上の階層に行くと、その連続的なゆらぎの中から、「スパイク」や「オン/オフ」などの離散的な出来事が顔を出します。たとえば、ある強さ以上の刺激が入ったときだけニューロンが一気に発火する、といった“カチッと切り替わる反応”です。この中間層では、そうした離散的な反応と、周囲に広がる連続的な電場や濃度の場がセットになって、一つのハイブリッドな計算が行われているイメージが描かれています。場のなめらかな動きが「どこでスパイクが出やすいか」を決め、そのスパイクの集まりがまた場を作り直す、という相互作用です。 さらに上の巨視的なレベルでは、脳全体に相当するような大きな領域同士の相互作用が描かれています。ここでは、離れた領域がリズムをそろえたり、ゆっくりした波のような活動が全体に広がったりして、「ネットワークとしてのまとまり」が立ち上がります。図では、この一番上に「情報理論的な指標」など、マルチスケールの活動をまとめて評価する“意識の指標候補”が置かれていて、下から上までの多層の動きがうまく閉じているかどうかを見るメーターのような役割を果たします。Credit:On biological and artificial consciousness: A case for biological computationalism

今回の総説により、意識をめぐる議論は「正しいプログラム探し」だけではすれ違いが起きやすく、「計算の素材と作法」まで含めて考える必要がある可能性が示されました。

著者たちは、「意識が成立しうる計算の土台には、デジタル計算とは違う“素材の条件”があるのではないか」という直感を丁寧に描き出しています。

この視点の社会的インパクトは小さくありません。もし意識にとって「素材」が重要なら、AIの安全性や権利についての議論は、「どれだけ自然に会話できるか」や「テストでどれだけ高得点を取るか」だけでは決めにくくなるかもしれません。

合成意識を本気でめざす研究も、アルゴリズムをさらに巨大化するだけではなく、液体やイオンを使うデバイス、ニューロモルフィックな回路、培養した神経細胞やオルガノイド(ミニ脳のような組織)など、「計算する物質そのもの」を設計する方向に重心を移していく必要が出てくるでしょう。

論文でも、液体やイオンを使う仕組み、ニューロモルフィックな回路、培養した神経細胞やオルガノイドといった方向性が例として挙げられています。

もちろん、だからといって今すぐ「意識=素材」と決めつけることはできません。

研究者たちの考えは証明済みのものではなく、「これまでの知見から見て有力そうな候補」として提案されています。

それでも、この研究には重要な価値があります。

AIと意識の議論が、しばしば感情的な「賛成/反対」や、「テストで人間に勝てたかどうか」といったわかりやすい指標に頼りがちだったところから、一歩引いて、「脳という物質がどんな計算をしているのか」「その計算の作法を別の素材で再現できるのか」という、ゆっくり検証できるレベルに話を引き下ろしてくれるからです。

元論文

On biological and artificial consciousness: A case for biological computationalism
https://doi.org/10.1016/j.neubiorev.2025.106524

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

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