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山崎夕貴アナが振り返る“出産”「これは本当に陣痛なのか…?」確信できず、一人で痛みに耐えた十数時間

  • 2025.12.12

2018年にお笑い芸人・おばたのお兄さんと結婚、現在2歳になる男の子のママのフジテレビアナウンサー・山崎夕貴さん。連載「ポップな日々」今回は、出産時のエピソードをまとめてお届けします!

「産休中はとにかく不安で仕方がなかった」それまでとは180度違う生活に戸惑いも……

みなさん、こんにちは。フジテレビアナウンサーの山崎夕貴です。産休に入ると、それまでとは180度違う生活に。フジテレビに入社してから13年間“当たり前”だった毎日から変わることに、正直、最初は気持ちが追いつきませんでした。『めざましテレビ』や『ノンストップ!』、『とくダネ!』などのレギュラー番組をはじめ、特番やナレーション、イベント司会など、忙しくも充実していた社会人生活。自分の“アイデンティティ”を考えたとき、仕事なしでは定義するのが難しいほど、私にとって仕事はなくてはならないものでした。仕事中心の日々からいざ離れ、とにかく毎日時間を持て余していたからこそ、あれこれと考えてしまって。「産後はいつ仕事復帰できるのか」「でも“戻る場所”はあるのか」「そもそも仕事と育児を両立できるのか」――。世間のみなさんからは、「明るい」「ポジティブ」と思われていることが多い私ですが、実は基本的にネガティブな性格。自己肯定感が低くて、自信もない。そんな根底にあるネガティブさがむくむくと膨らんで、不安や焦りを感じていた日々でした。そんなとき、元宇宙飛行士の野口聡一さんがバラエティ番組に出演されているのを、偶然見かけて。船外活動をされた後に、“燃え尽き症候群”のようになってしまったそうなんです。「船外活動というすごい功績を残したけれど、どんどん新たな宇宙飛行士が活躍している。自分が必要とされてないような、自分のやってきたことってなんだったんだろう?と感じた」と話されているのを見て、あの野口さんでもそう感じてしまうのかと、衝撃を受けて。そして、続けておっしゃった言葉にハッとさせられました。「まだ若いとき、先輩から『新しい部屋に入るためには、今いる部屋を出なきゃいけないよ』と言われて。なんとなく人生あれもこれもと言いたくなるけど、実は人生ってアナログで、今いる部屋を出てからじゃないと、外には行けない」「フジテレビのアナウンサー」から離れて、自分の存在意義について思い悩んでいた私に、この言葉がずしんと響いて。気がつけば、テレビの前で泣いていました。私は子どもが欲しくて不妊治療を頑張って、その夢が叶った。だから、今は仕事を手放して、次の部屋に入るんだ、って。シンプルなことなのに、当時の私はあれもこれも、そして先々のことまで考えすぎていたんだと思います。

早速ワンオペになる産後……サポートをどうするか問題

一方で、産後の準備は着々と進めていました。ベビーグッズは、ありがたいことに先輩や義理の妹がたくさん譲ってくれて。ベビーベッドや授乳クッション、ベビーバスなどすべてお古なんです。義理の妹は、「その子によって合う・合わないがあるから、まず使ってみて、もし合わなかったら新しいのを見つければいいよ」とアドバイスもしてくれて。結局、自分で揃えたものは肌着くらいでした。アイテムは周りの人たちのご厚意に甘えつつ、私自身はどちらかと言えば、「産後のサポートをしてくれる人たちをどう確保するか問題」に注力していました。親が遠方で仕事もしているのでなかなか長い期間サポートに来るのは難しく、そもそも夫も仕事柄、家を空けることがほとんど……。でも、新生児を抱えての生活をワンオペでこなすのは、絶対に無理。誰かに頼らないと私が潰れてしまうと思って、いかに人に助けてもらうかスケジュールを組んで、なるべく負担を減らそうとしていました。身近な人たちだけでなく、自治体のさまざまなサポートにも助けられましたが、その中でも特に感謝しているのが料理のシッターさん。生まれてから週2回、3ヵ月間お願いして、この期間はほとんど自分では料理せずにいられました。自治体の補助を活用したので、金銭的にも負担がなかったのはとてもありがたかったです。もともと料理が苦手なほうである私にとって、毎日のごはん作りから解放されるだけで大助かりでした!このサポートを知ったきっかけは、自治体の面談。「1万円のギフト券をプレゼントするので、ぜひ面談を活用してください!」といった案内が届いて、ギフト券がもらえるなんてラッキー! 時間もあるし……と行ってみたら、とても親身になって話を聞いてくれて。どれだけサポートが必要か伝えると、細かく教えてくださったので、活用できるものはありがたく利用させてもらいました。こういう自治体それぞれのサポートって、育児書などには載っていない情報。最近ではSNSで積極的に発信している自治体も多いそうなので、チェックしてみるといいと思います! ちなみに私はSNSに疎いので、今ではよくママ友から「こういうのがあるらしいよ!」と教えてもらっています(笑)。

“出産”に関して無知すぎて、臨月のタイミングでパニック!

産後のサポートも計画立てて、準備万全!と思いきや……肝心の“出産”に関してはまったく調べていなかったんです! むしろ、定期検診に行っていれば自然と情報が入ってくるだろうし、先生も教えてくれるものだろうと思い込んでいたんですよね。自分でネットや本で調べることもせず、完全に受け身の状態。そのため病院に行っても、エコーをみて「大丈夫ですね、じゃあ次の診察日は……」と言われるだけなので、問題ないんだなと、呑気に思っていたんです。しかし臨月が近づいてきたころ、「子宮口が1cmぐらいしか開いていませんね。このままだと……」と言われてパニックに! 「すみません、子宮口ってなんですか? この時期にそれくらいしか開いてないのはよくないんですか?」と、先生に矢継ぎ早に質問して。そのときに初めて自分の“無知さ”に気づいて、「これはマズい」と焦り始めました。家に帰ってからいろいろと調べて、そこでようやく「前駆陣痛っていうのがあるらしい」とか知って。それからはネガティブモード突入です。夫も舞台のため長期間地方にいて、基本的に家で一人。SNSで「どれだけ痛いのか」「出産までに3日かかった人の話」など、大変なケースばかり調べては、「大丈夫だろうか」「私は耐えられるのか」と不安が増す一方でした。昔から痛みに弱いタイプなこともあり、過剰な心配をしてしまって……。今思い返しても、自分で自分のことを追いつめて、ネガティブになりすぎていたな、と思います。夫がいない分、義理の妹家族が全面的にサポートしてくれる体制ではあったのですが、ずっと我が家にいてもらうわけにはいかず。「陣痛が来たら、はたして連絡できるのか」「タクシーに一人で乗れるのか」など、とにかく最悪の場合を想像して一人で落ち込んでいました。

「まだ産まれないの?」の言葉がストレスに

妊娠中はつわりも少なくて、体調面は特に問題なかったのですが……。予定日を過ぎても、一向に産まれる気配がなく。友人たちに「もしかしたら産まれているかもしれないから、この日は行けないかも」と伝えていた予定がたくさんあったのに、結局すべて行けてしまったんです。自分でも「……あれ? なかなか産まれないな。大丈夫かな?」と心配になっていたので、親や周りの人たちからの「え、まだ産まれないの?」という言葉に敏感に反応してしまって。こればかりは、私が頑張ってどうにかなることではないし、「むしろ私が知りたいよ!」と、正直かなりストレスに感じていました。それと、それまでは「とにかく安静に」だったのに、予定日を過ぎてから急に「どんどん動いて!」「もっと歩いた方がいいよ」と、今までとは真逆のことを病院の先生や周りから言われるのにも戸惑ってしまって。お腹がパンパンで一番しんどい状態なのに(息子は大きかったので余計に……)、こんなに動いて大丈夫!?と思いつつ、家で一人、夜な夜なスクワットなどをしていました。夫は舞台中で長期間名古屋にいて、家では基本一人。友人や義理の妹と予定が合うときは、外出して歩くようにしていましたが、さすがに一人では怖くて出かけられませんでした。前回もお話しした通り、だいぶネガティブ思考が強くなっていたので、「もし一人で出かけたときに破水したら、陣痛が来たら……」と最悪の場合を考えてしまって。家での“誰とも話せない一人の時間”が孤独で堪らなくて、本当につらかったですね。今振り返ってみても、臨月をほとんど一人で過ごしていたなんて、本当に自分頑張ったな、よく乗り越えられたな、と思います。

「心配だから」舞台中の夫の“行動”に救われた

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ただ、私が無事に乗り越えられたのは、夫の精神的支えがとても大きくて。毎日は一緒にいられないけれど、休演日のたびに私に会うためだけに、わざわざ名古屋から帰ってきてくれたんです。悪天候で新幹線の運行がどうなるか分からない日でも、「今日は行くのやめるね」なんて言わず、駆けつけてくれて。私が不安でいっぱいいっぱいなのを察するだけでなく、こうやって行動に移せるなんて、なかなかできないことですよね。次の日も舞台があるし、本当だったらゆっくり休んで、溜まった疲れを取りたいはず。でも夫は、「心配だから」「少しでも安心してほしいから」と、自分よりも私のことを優先してくれて。本当に心の底から嬉しかったし、夫にどれだけ救われたことか。よほど気持ちが張り詰めていたのか、夫の顔を見た瞬間に泣いてしまったときもありました。メッセージや電話をたくさんしてくれたのも感謝していますが、やっぱり“そばにいてくれる”安心感に勝るものはなくて。予定日過ぎたあたりから、「なにかあったらどうしよう」と、夜一人でいるのが怖くて、眠りも浅かったんです。でも、夫がいてくれる夜だけはリラックスできて。「大丈夫、横にいるから」と言ってくれるのも心強くて、その日だけはゆっくり眠れましたね。つくづく「夫と結婚してよかったな」と思った瞬間でした。

「これは本当に陣痛なのか?」確信できず、痛みに耐えた十数時間

昔から痛みに弱い私は、無痛分娩にしていたのですが、「自然無痛分娩」だったんです。陣痛が来ていなくても入院して出産する計画無痛とは違って、陣痛が来たら病院に向かうものでした。そして結局、一人で家にいるときに陣痛が来てしまったんです。おしるしがあったのは、8月26日の深夜0時すぎ。その瞬間から痛みが8分間隔で来るようになり、不安ですぐ病院に電話しました。「本陣痛かは分からないんですが、ずっと8分間隔で来ています」と、自信なげに伝えて。すると「誰かに話しかけられたらイラッとする痛みですか?」と聞かれて、「どうでしょう……」と言いつつ、そんなの分からないよ!というのが本音。「8分間隔から短くならないのであれば、前駆陣痛です」と言われ、それからが大変でした。ずっと痛みが8分間隔で、ほとんど寝られず。お昼ごろに再度病院に電話をかけてみましたが、「8分から短くならないと……」と言われてしまって。結局、26日の18時頃まで我慢しました。その頃には「これ以上痛くなったら、一人でタクシーに乗って、病院へ向かうなんて無理かもしれない」と思い始めてきて。何度も何度も申し訳ないなと思いつつ、もう一度電話すると、「もしかしたら帰ってもらうことになるかもしれませんが、不安だったら一度いらっしゃってください」と言ってくれて。「一人で不安なので行きます!」と伝えて向かうと、病院に着いた頃には、痛みが4分間隔に。もう少し遅れていたら、一人でタクシーに乗ることができず、救急車を呼んでいたかもしれません……。病院に着くと、「よくここまで一人で頑張りましたね。子宮口もだいぶ開いてきていますよ」と。そう言われてようやく、「この痛みは本陣痛だったんだ」と分かりました。“痛みに弱い”と思い込みすぎていて、「これは私が(痛みに)弱いからであって、陣痛はもっと痛いんじゃないか」と考えてしまったんですよね。実は、この日は夫の舞台の千秋楽でした。ただ、27日も夫は地方で仕事があったため、名古屋から大急ぎで帰ってきても、病院にいられるのは27日の朝方まで。その事情を知っている先生が、「麻酔を入れずにもう少し頑張れば、お産に乗りやすいですよ。そしたら、旦那さんが立ち会える間に産まれるかもしれません」と言ってくれて。でもその頃には震えも冷や汗も止まらず、尋常じゃないくらいの痛みで。「そんなの絶対に無理です! あと数時間もこの痛みに耐えるなんてできません。すぐに麻酔入れてください!」とお願いして、すぐに麻酔をしてもらいました。すると、「今までの痛みはどこへ?」と思うほど、嘘みたいに楽になって。ただ、麻酔が効きにくい体質みたいで、定期的に麻酔を追加してもらったり、何度か嘔吐したりと、その後も大変だったのですが……。

“奇跡的なタイミング”で産まれてきてくれた息子

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もともとの出産予定日は8月17日。夫は10日から26日まで名古屋で舞台だったので、「こればかりは仕方ない」と、立ち会いは諦めていました。しかし、息子がなかなか産まれてこず、次第に「あれ……? 日によっては立ち会える可能性もあるかも……」と思い始めて。そして実際に産まれたのは、27日の朝4時すぎ。深夜1時半頃に夫が病院に着いて、朝方には仕事のために出なきゃいけないという状況で、まさにその数時間の間に産まれたんです。不妊治療を経て、ようやく授かることができた第一子。無理だと諦めていた立ち会いも叶って、夫とは「もうこれだけで一生分の親孝行が済んだね」と話しています。それほど奇跡的なタイミングで、息子は産まれてきてくれました。お産自体はとてもスムーズに進んで、夫もそばで見守ってくれていました。ただ、急に嘔吐する妻の姿は、もしかしたら衝撃的だったかもしれませんね。もちろん夫はうろたえることなく、懸命にサポートしてくれましたが……。そしていよいよ息子が産まれると、夫の目には涙が。泣きながら大喜びする姿が印象的でした。

息子を「かわいい」と思える余裕がなかった

一方、私自身はというと、「よし、終わった!!! 息子も泣いているし、見た感じ健康そうでよかった」と、出産から解放された喜びと、何より疲労困憊でした。かわいいとか嬉しいと感じる余裕なんてなく、泣いている夫とは対照的に、私は涙が出てこなかったんです。そして、そんな自分自身が嫌になってしまって。というのも、出産前にSNSなどでたくさん見ていたのは、「産んだ直後は涙が溢れてきて、この子は私の命に代えてでも守るって思った」といった話。でも、私はそうは思えなかった。「自分は母親としてどうなんだろう」と、考え込んでしまって。産後は基本的に息子と二人きりなこともあって、そのネガティブモードは解消されず……。むしろ、「はたしてちゃんと育児ができるのだろうか」「助産師さんに言われた通りにやるけれど、それ以外のことは分からない」と不安が増すばかりでした。唯一、息子を“かわいい”と感じられたのは、自分の手から離れているとき。夫が面会に来て、息子をあやしている姿を見ると「すごくかわいい」と思えたんです。自分だけで面倒を見ているといっぱいいっぱいになって、そう感じる余裕もなかったのだと思います。ちなみに夫は息子に会いたすぎて、空いている時間があると病院に来ていて。仕事の合間のほんのわずかな時間でも来るほどで、「こんなに面会来ている人いるかな!?」と思うくらい。仕事が休みの日は、面会時間いっぱいの、お昼ごろから夜まで長時間いてくれました。すっかり看護師さんたちとも顔見知りになって、「たくさん来てくれますね」と言われるほど(笑)。もともと子ども好きとは知っていましたが、本物だったな、と。でも今振り返ると、私と息子を離れさせて、私が少しでも楽になるようにしてくれていたのかなと思います。

頼り方が分からずに、身体も心もボロボロに

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その頃の私は、とにかく“頼り方”が分からなくて。助産師さんたちはみんな優しくて、「なんでも頼ってくださいね」と言ってくれるんですが、なにをどう頼ればいいの!?と悩んでしまっていました。初めてのことばかりでなにも分からないので、「じゃあいったん預かってもらっていいですか?」とお願いして、「授乳は大丈夫ですか?」と返されると、「え、今ダメなタイミングだったのかな?」と心配になってしまって。産後ケア施設に入ってからは、「今授乳したので預かってもらって、次の授乳までの3時間お願いします」と、預けるタイミングも、具体的なお願いの仕方も分かってきたのですが……。産後すぐの頃は、授乳した直後にすぐ預けると楽、なんてこと分かりませんでした。むしろ自分で寝かしつけようと頑張ってしまって。なかなか寝なくて1時間半ぐらい粘って、結局預けてもすぐに授乳の時間が来てしまい……。産後で身体はボロボロなのに、全然休めなくて。余計にメンタルも落ち込んでしまい、預けているのが私だけだと、「みんなちゃんと病室で面倒見ているのか。私だけ預けているって思われているかな」と気にしてしまって。助産師さんはそんなこと思わないって冷静に考えれば分かるのですが、その頃はすべてがマイナス思考で捉えていたんですよね。授乳のために3時間おきに起きるのにも慣れていないし、身体も心も限界でした。今となってはもっと頼ればよかったと思いますが、当時はまだ母親の自覚があまりなかったのもあって、「面倒を見ることで実感が湧いてくるかも……」と、ちょっとでもお世話しようとしていたんですよね。実感なんて後から湧いてくるものだから気にしなくていいのに、当時はそうは思えなくて。「ちょっとでも絆を」とか、「自分も育児に慣れたいから」と思って頑張ってしまっていました。でも今考えると、入院中は一回も自分で寝かしつけなんてしなくてよかったな、と。退院すれば毎日するんだから、もっと助産師さんを頼って、自分の身体やメンタル面を優先させてあげればよかったと思っています。山崎夕貴

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www.youtube.com▼連載一覧はこちらフジテレビアナウンサー山崎夕貴の「ポップな日々」【Profile】山崎夕貴1987年生まれ。岡山県出身。フジテレビアナウンサー。2012年より『ノンストップ!』、その後『とくダネ!』のMCを務め、朝の帯の情報番組を約9年続ける。昨年は情報&Lifeエンターテインメント番組『ポップUP!』の進行MCを務めた。2023年2月から『Mr.サンデー』MCを担当。2018年、芸人・おばたのお兄さんと結婚、2023年8月に第一子を出産。※山崎さんの「崎」は正しくは「たつさき」カーキワンピース/WILLFULLY 黒ブーツ/mirem撮影/井上ユリ スタイリスト/奥崎千裕 取材・文・構成/岩崎幸

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