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子どもの不登校・自殺が過去最多に…「生きるのがしんどい」と感じてきた大人気絵本作家が、今伝えたいこと

  • 2025.12.10

文部科学省が公表した「問題行動・不登校調査」によると、2024年度の小・中学生の不登校は過去最多となる35万人超。また、小中高生の自殺者も、過去最多の529人に(厚生労働省「令和6年版自殺対策白書」)。子どもを取り巻く状況は、非常に深刻なものになっている。そんな悲しい現実に対し、生きにくさを感じている子どもや若者の避難所として2024年に開設されたのが、Web空間『かくれてしまえばいいのです』。自らも長年生きづらさを感じてきた当事者として、このプロジェクトに参画した大人気作家・ヨシタケシンスケさん。追い詰められた人に「何ができるか」を模索し、専門家との連携を経て気づいたこととは? そして、心療内科に通った経験から改めて感じた、「期待しすぎないこと」大切さとは――。※インタビュー内容は2024年9月6日時点のものになります。

つらいときに姿を隠していられる場所があれば……

――ヨシタケさんが全面協力したWEBサイト『かくれてしまえばいいのです』(通称:かくれが)が公開されて一年が経ちます。改めて、ものすごく意義のあるプロジェクトだなと思うのですが、『かくれが』を設定した想いをお聞かせいただけますか?プロジェクトのスタート地点は、子どもや若い人たちが自殺してしまうのを防ぎたい、という想いなのですが、なぜ彼らがみずから死を選んでしまうかというと、「この世」にいられないくらい生きるのがしんどいから。選べる道が「あの世」しかないからですよね。だったら、この世とあの世のあいだに「その世」みたいな場所があるといいな、と思ったんです。――その世?この世からはいったん消えて、姿を隠していられる場所。だけどあの世と違って、ほとぼりが冷めたらまたこの世に戻ってこられる場所。目的が死そのものではなく、この世からいなくなることなのであれば、まずはかくれがに身を潜めてみませんかと、選択肢の一つを提案できたらなと。――プロジェクト参加のお話が来たころ、ヨシタケさんも心が沈みこむことが多く、落ち込みから立ち直ることができずにいたんですよね。そうなんです。だから、いろんなところでお話していますけど、NPO団体から声がかかったときは「やった、専門家と知り合いになれる! いい病院を紹介してもらおう」というのが正直な気持ちで(笑)。打ち合わせでも、自分も生きてきてずっとしんどさを抱えてきた当事者で、けっこう追い詰められた状態であることをお話ししました。死にたい、と思ってしまう人の気持ちもわかるから、できることがあるんじゃないかと思ったんです。――絵本を通じて「伝える」「届ける」ということを試行錯誤してきたヨシタケさんだから、できることもたくさんありますよね。ただ、やっぱり難しかったです。文字を読む、ってけっこう体力と気力がいることで、ある程度の余裕がないとできない。それすらできないところまで追い詰められているかもしれない人たちに、いったいなにができるだろうって。自分の当事者感覚だけでつくっていいわけじゃないことはもちろんわかっていましたし。

ハッとさせられた、高校生からの言葉

――自分の励まされた言葉が、相手にとってもそうとは限らないですしね。些細な言葉が、相手を死にいざなう後押しになってしまうこともありますし……。そう、グラデーションなんです。だから、NPOのみなさんが当事者の方々にしっかりリサーチしたうえで伴走してくれたことが、とてもありがたかったです。たとえば、『かくれが』に入るとまずおばあさんが「あなたは、いまどんなかんじ?」って聞くんですよ。でも最初に僕が考えたのは、「あなたは今この世界が好きですか?」。「好き」って答えた人は「よかったわね。嫌いになったらまた来てね」と追い返される。「嫌い」って答えた人だけが「隠れて、隠れて」と招き入れてもらえると。それが、当事者へのヒアリングの結果、たいそう評判が悪くって。――なぜだったのでしょう。高校生の子だったかな、「僕はこの世界が好きだけど、好きなこの世界に自分が存在していいとはどうしても思えないから、生きていたくない」と答えてくれた人がいて。ああ、と目が開かれた思いでした。そうだった。僕も、そっち側だったはずなのに、どうして忘れていたんだろう、って。この世からいなくなってしまいたいというのは、決して未練がないというわけではないんですよね。好きだからこそ、自分が存在していることを許せなくなる、そういう気持ちを置いてきぼりにしていたことに気がつきました。――確かに、自分自身に絶望するときって、必ずしも周囲のことを憎んでいるわけではないですよね。むしろ、その逆のことも多い。そもそも本当にしんどいときって、好きとか嫌いとかっていう感情が発動しなくなるんですよね。それは、元気な人の発想なんです。本当にだめなときは、すべてがどうでもよくなる。「おいしい」も「楽しい」もわからないし、自分が何を好きだったのかさえ忘れてしまう。生きるエネルギーに変えるものが何もないから、生きていることすら面倒くさくなってしまうんです。その答えをいただいたのが公開2日前。ギリギリで気づかせてもらえて、ほっとしました。自分の想像力の限界も、改めて思い知りましたね。――それで「あなたは、いまどんなかんじ?」に。そう。理由を説明できなくても、ただしんどいと感じている人が、隠れられるように。ギリギリにもかかわらず修正を反映してくれたエンジニアの方も含めて、いろんな人の力を借りてオープンにたどり着くことができました。オープン後もしばらくは、予期せぬ事故が起きるのではないかとか、悪意のある誰かによって場所を貶められてしまうのではないかと怖かったけど、今のところは攻撃されることもなくて、それもほっとしています。ただ、いつまでも安心はできず、見守り続けるしかないですけどね。――『しばらくあかちゃんになりますので』も、ある意味では、かくれがを提唱するようなお話かなと思うんです。追い詰められすぎてしまう前に、心を逃がす場をつくったほうがいい。でも、朝日新聞のインタビューでおっしゃっていたように、「逃げる」では自責感をともなうから「赤ちゃんになる」。赤ちゃんになるのはこの世にとどまった状態なので、「その世」とはちがうけれど、大人であるということを一回休むという意味では、確かに通じるところがあるかもしれませんね。逃げ出したい、ここにいたくない、という現実から隠れてしまう、ということは、もしかしたら僕のなかに横たわっているテーマなのかもしれない。

生まれて初めて自分から「助けてボタン」を押せた

――プロジェクトに参加し始めてから、ご自身も、心療内科に通われたんですよね。ちょうど「かくれが」がオープンするころ、生まれて初めて自分で予約をとって話を聞いてもらいました。結論からいうと、実は、そんなに先生との相性はよくなかったんです。処方してもらった薬を飲んでもあんまり状況は変わらなかった。でも同時期に引っ越しがあったり、次男の受験が終わったり、環境が変わってラクになったんですよね。ただ、誤解してほしくないのは、病院に行っても無駄だという意味ではないんです。生まれて初めて自分から「助けてボタン」を押せたことは、人生における大きな変化だったし、一つの自信に繋がった。――目に見える結果はなくとも、その自信は静かに影響していきますよね。そう思います。僕のように、自分から助けを求められない人間って、最後の手段で病院にさえいけば治してもらえるはずだと、医療に対して過剰な期待を抱いてしまうんです。薬さえもらえれば治る、治してくれない医者はだめだ、みたいな。でも、そんな簡単な話じゃないんだということも、わかりました。最初に行った病院で相性のいい医者に巡り合える確率なんて、ものすごく低い。巡り合いたかったら、病院を変えていろんな医者に出会っていくしかない。そういう覚悟が必要なんだな、って。そのことにがっかりする人もいるでしょうが、僕は逆に「だよね、そんなに簡単に助かるわけないよね」って気がラクになった。――ヨシタケさんのスタイルは、基本的に、過度に期待しすぎないことで救われていくところにありますよね。そりゃそうだよ、って思うことってけっこう大事だと思うんですよね。だから僕は、医療機関に過度な期待をしてはいけないと理解できただけでも、早めに行ってよかったと思っています。もしかしたら、相性のいい医者や薬に出会えるかもしれない。僕のように診察を受けるという一歩を踏み出すこと自体が、何かしらの変化を生むかもしれない。でも、けっきょくは何も変わらないかもしれない。それくらいの心持ちでいるほうがいいんじゃないかなと。現に受診したあと、1ヵ月くらい、生きていて何もつらくない時間が続いたんですよ。生まれて初めての経験だったから、うれしかったなあ。「すごい、つらくない! 普通の人ってこういう感覚なのかな?」って。――でも1ヵ月だったんですね。そう、1ヵ月だったんです。そんなわけないよなあと思ったら、ちゃんといつもの自分に戻ってきた(笑)。それもちょっと、ほっとしました。そうそういいことばっかり続くわけがないよね、そりゃそうだ、と。――もしかしたら私たちは、いろんなものに対して過度な期待をしすぎて、息苦しくなっているのかもしれませんね。あると思います。医療がこれだけ進歩すると、「治って当たり前」になってしまうというか。30年前だったら治療法がありませんと言われて諦められていたものも、何かあるはずだとすがってしまう。ケアされることが当然の世の中では、ちょっとしたことでもお客様対応をしてもらえないと憤慨してしまう。「できない」ことを認めることが、すごく難しくなっているのかもしれないなと思います。夫婦間も、そう。意見が対立したとき、話し合うのは大事だけど、着地点を「わかりあう」「100%の合意をとりあう」にすると、解決しなかったときにイライラしてしまうんですよね。お互いにできないこと、わからないことを確認し合う、くらいがちょうどいいんじゃないかなと思います。取材・文/立花もも

【PROFILE】ヨシタケシンスケ

絵本作家、イラストレーター1973年 神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。日常の一コマを切り取ったスケッチ集や、装画、挿絵など、幅広く活動している。MOE絵本屋さん大賞、ボローニャ・ラガッツィ賞特別賞、ニューヨーク・タイムズ最優秀絵本賞など、受賞多数。最新著書に『お悩み相談 そんなこともアラーナ』(白泉社)。

『しばらくあかちゃんになりますので』

 (1661016)

ヨシタケシンスケが描く、これがホントの「あかちゃんえほん」!?「みーちゃんのママは、あかちゃんばかりお世話しています。「おねえちゃんなんてつまんない」と思ったみーちゃんは、おしゃぶりをくわえて、ゆかにゴローン……あかちゃんになってみました。今度は、たくさんの家事をこなして、へとへとにつかれたママが「しばらくあかちゃんになるわ!」と言って……? さあ。あなたも、あかちゃんに!

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