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【訃報】写真家のマーティン・パーが死去。享年73歳

  • 2025.12.9
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ありふれた日常のシーンを色鮮やかに切り取った作品で知られるイギリスの写真家、マーティン・パーがこの世を去った。73歳だった。

マーティン・パー財団は、彼が12月6日(現地時間)にイングランド南西部のブリストルにある自宅で息を引き取ったと伝え、「マーティン・パー財団とマグナム・フォトは、マーティンが遺したレガシーを保存し、共有するために協働していきます。詳細は追ってお知らせいたします」とコメントしている。

パーは鮮やかな色彩をドキュメンタリー写真に取り入れた最初のひとりで、その作風は当時さまざまな反響を呼んだ。彼が最初に注目を浴びるきっかけとなった1986年の作品『The Last Resort』は、ニューブライトンで休日を過ごす労働者階級の人々を捉えたものだが、後にシグネチャーとなるカラーとフラッシュを駆使し、ユーモアを交えながらサッチャー政権下のイギリスを映した本作は賛否両論を巻き起こした。

パーの影響は大きく、ドキュメンタリー写真をモノクロで陰鬱なものから、よりプレイフルで生き生きとしたスタイルへと変化させた人物だと言える。しかし、彼の作品を啓発的だと評する者がいる一方で、それを窃視的だとみなす者もいた。パー自身は、マグナム・フォトで『The Last Resort』を振り返り、「論争なんていうものは、何の害にもならないと(キャリアの)かなり早い段階で気づいた」「いろいろと落ち着いたように思える今、人々は(私の作品を)80年代のころよりもずっと高く評価している」と語っており、2020年の『The Architectural Review』誌とのインタビューでは、「私はエンターテイメントに見せかけたシリアスな写真を撮っている」と表現している。

パーは1952年、ロンドン郊外のエプソム生まれ。熱心なアマチュア写真家だった祖父ジョージ・パーの影響を受け、14歳のころから写真家になることを夢見るようになったという。1970年代初頭にマンチェスター・ポリテクニック(現在のマンチェスター・メトロポリタン大学)で学び、ブライアン・グリフィンやダニエル・メドウズといった同世代の写真家たちと出会った。メドウズとともにリゾート地のバトリンズでカメラマンとして働いていたパーは、そこで初めてカラー写真のパイオニアとして知られるジョン・ヒンデのポストカード作品に触れたそうで、これは彼のスタイルに大きな影響を与えている。パーとメンドウズの作品はやがて、コミュニティや伝統、そしてより広い文脈でイギリス文化を捉えた新世代の気鋭イギリス人アーティストの精神を体現するようになった。「写真家になるには、恐れ知らずでないといけない」「怖気づいている暇はない」と、パーは『The Gardian』誌に語っている。

1970年代半ばから80年代にかけて、パーはウェスト・ヨークシャーを拠点とし、田舎の風景や宗教団体の写真を撮り始めた。この時期に制作したモノクロのシリーズ『The Non-Conformists』では、より繊細で観察的なアプローチを見せている。1980年にスーザン・ミッチェルと結婚し、アイルランドの西海岸へ移住。アイルランド滞在中には、35mmレンズを装着したライカ(LEICA)の「M3」をメインに、『Bad Weather』(1982年、水中カメラで撮影)、『Calderdale Photographs』(1984年)、『A Fair Day: Photographs from the West Coast of Ireland』(1984年)など、いくつかのモノクロ作品を発表している。

パーがカラー写真へと転向したのは1982年。イングランドへと戻り、北部の港町ワラシーに居を構えたころで、ピーター・フレイザーやピーター・ミッチェルといったイギリスの写真家たちのほか、ジョエル・マイヤーウィッツ(同じくカラー写真の可能性を信じたひとり)、ウィリアム・エグルストン、スティーブン・ショアといったアメリカの写真家に影響を受けた。なかでも、ジョン・ヒンデによるポストカードは『The Last Resort』(1986年)のインスピレーションとなっている。

1987年、パーはミッチェルとともにブリストルに移り住み、トーリー政権下のイギリスで台頭する中流階級を記録した『The Cost of Living』(1987-1989)、観光業をテーマにした『Small World』(1987-1994)、世界的な消費主義をテーマにした『Common Sense』(1995-1999)などのプロジェクトに取り組んだ。

パーがマグナム・フォトの正会員(フルメンバー)として加わったのは1994年。会員による投票では意見が分かれ、結果はわずか1票差だったという。(マグナムの共同設立者であるアンリ・カルティエ=ブレッソンが彼のことを「別の太陽系から来た異星人」と評したとき、パーは「言いたいことはわかりますが、なぜ(別の星からやってきた)メッセンジャーを撃ち落とすのでしょう?」と答えている)。パーは2013年から2017年まで、マグナム・フォトの会長を務めた。

2014年にはマーティン・パー財団をブリストルに設立。彼自身の個人的なアーカイブのほか、イギリスやアイルランドで活躍する写真家たちによる作品にフォーカスしたギャラリーをオープンさせた。彼はまた、新進写真家たちの支援に努め、大学で写真の講師や教授を務めていた。

昨今はルイ・ヴィトンLOUIS VUITTON)やジャックムスJACQUEMUS)などのブランドとコラボレーションをし、グッチGUCCI)では当時クリエイティブ・ディレクターだったアレッサンドロ・ミケーレとともに一連のキャンペーンや写真集を手がけるなど、ファッションやエディトリアル写真の分野でも活躍。2020年にはUK版『VOGUE』の表紙を、今年は同誌11月号で俳優のキャシー・バークを撮りおろしたほか、京都で開催された「KYOTOGRAPHIE」にも参加。キャリアを通じて100冊を超えるソロ写真集を出版し、巡回展の「ParrWorld」を含む90以上の展覧会を世界中で開催した。

Text: Anna Cafolla Adaptation: Motoko Fujita

From VOGUE.COM

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