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22年前、バラエティタレントを脱ぎ捨てた“ど根性シンガー” 華やかな舞台裏で響いた“切なすぎる隠れた名曲”

  • 2026.2.23

2004年2月。誰もが小さな液晶画面を見つめ、限られた文字数で想いを伝えていた時代。多くの言葉は送信ボックスの中か、あるいは心の奥底に沈殿していた。そんな寒空の下、テレビの中の「元気なキャラクター」という仮面を脱ぎ捨て、生身の感情を叩きつけるような一曲がリリースされた。

ソニン『ほんとはね。』(作詞・作曲:より子。)――2004年2月11日発売

その曲は一度聴いた者の胸に深く爪痕を残す、鋭利な刃物のようなバラードだった。

「バラエティのソニン」が脱ぎ捨てた鎧

当時、ソニンという存在は、ある種の「ド根性」の象徴だった。ユニットの解散、単独での活動、そして過酷すぎるテレビ企画への挑戦。だが、そこには常に「頑張るアイドル」「不憫だが健気なタレント」というフィルターがかかっていたことは否めない。

しかし、この5枚目のシングル『ほんとはね。』において、彼女はそうしたパブリックイメージを一切合切かなぐり捨てた。そこにいたのは、テレビ向けに作られた笑顔の少女ではなく、行き場のない孤独と愛への渇望を抱えた一人の等身大の女性だった。

ジャケット写真やMVで見せた、飾り気のない、どこか虚ろでさえある表情。それは、彼女が「演じる」ことをやめ、ただ「歌う」ことに命を懸けようとした決意の表れだったのかもしれない。

シンガーソングライター・より子。との共鳴

この楽曲の特異性を語る上で欠かせないのが、作詞・作曲を手がけたシンガーソングライター・より子。の存在だ。より子。の楽曲をカバーする形で制作されたこの一曲には、彼女が持つ「生」と「存在の証明」という重いテーマが色濃く反映されている。

『ほんとはね。』は、一見すると切ないラブソングの形をとっているが、その深層に流れているのは、相手に拒絶されることを恐れ、本音を飲み込んでしまう人間の「どうしようもない弱さ」と「叫び」だ。

当時、芸能界という巨大なシステムの中で、たった一人で戦い続けていたソニンの境遇と、より子。が描くヒリヒリするような歌詞世界。この二つが重なったとき、単なる楽曲提供という枠を超えた、魂の共鳴とも呼べる化学反応が起きた。この歌は、器用な歌手がテクニックで歌い上げるような代物ではない。傷ついたことのある人間が、傷ついたことのある人間へ向けて、血を流しながら差し出す手紙のような歌なのだ。

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ソニン-2005年撮影(C)SANKEI

「上手さ」を超越した「凄み」のあるボーカル

ソニンのボーカルスタイルは、決して教科書通りの歌唱力を誇示するタイプではない。しかし、この曲における彼女の歌声には、聴く者の足を止めさせる圧倒的な「凄み」があった。

ピアノとストリングスを中心とした、シンプルでいてどこか寒々しい旋律。その上で、彼女は言葉の一つ一つを噛みしめるように、時には吐き捨てるように歌う。特にサビで見せる、叫びにも似た高音は、耳心地の良い音楽であることを拒否するかのように生々しい。

「ほんとはね」と繰り返されるフレーズ。言いたくても言えなかった言葉。笑顔の下に隠していた涙。強がりの裏にある脆さ。それらすべてが、その声に乗って溢れ出してくる。

当時の彼女が置かれていた状況を知る者にとっては、その歌声はあまりにも切実で、フィクションの枠を超えたドキュメンタリーを見せられているような感覚に陥ったことだろう。それは、歌が「聴かせるもの」から「刺さるもの」へと変わった瞬間でもあった。

22年経っても色褪せない“弱者の賛歌”

発売から22年が経った今でも、ふとした瞬間にこの曲を思い出す人がいる。深夜の静寂の中で、あるいは人生の壁にぶつかったときに、無性に聴きたくなる曲として心に残っている人がいる。

それはこの曲が、時代や流行に左右されない普遍的な「人の弱さ」を肯定しているからだろう。強がらなくていい。泣いてもいい。誰かに愛されたいと願ってもいい。

そんな当たり前の感情さえも押し殺さなければならない現代社会において、ソニンが22年前に残したこの「叫び」は、今もなお、誰かの孤独に寄り添う灯火として機能している。もし今、あなたが心の奥に「ほんとはね」と呟きたい言葉を隠し持っているのなら、この曲を聴いてみてほしい。不器用なまでに真っ直ぐなその歌声が、あなたの凍りついた心を、きっと溶かしてくれるはずだ。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。