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大卒なのにハローワークで門前払い…「虚弱体質」の20代女性に次々と襲いかかった壮絶な"カラダの不調"

  • 2025.12.1

特定の病気ではないのに心身の不調が続く、虚弱体質の人たちがいる。ある女性は「20代なのに身体はまるで老人のような身体」と表現する。日常生活に一体どんな支障があるのか。30歳女性の「虚弱エッセイ」をお届けする――。(第1回/全2回)

※本稿は、絶対に終電を逃さない女『虚弱に生きる』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

意気消沈した女性
※写真はイメージです
「硬すぎて、もはや人間の首じゃない」

巷でよく言われる「中年になるとガクッと体力が落ちる」というやつが、21歳で来てしまった。

それ以前も人と比べれば体力がなく疲れやすいほうだったとはいえ、身体の不調はまだ少なかったし、最低限の日常生活に支障をきたすほどではなかった。

大学3年の秋頃から、一日12時間くらい眠ってしまうようになったのが始まりだったと思う。

やがて入眠困難と過眠が併発するようになり、もともとは規則正しかった生活リズムが崩壊した。思春期から続いていた倦怠感や抑鬱も悪化し、何をするにも動作が重く、動き始めるまでに信じられないほど時間がかかるようになった。睡眠中の食いしばりと歯ぎしりも酷くなり、顎が痛んだ。

全身の筋肉が凝りすぎて、毎日背中の痛みとともに起床するようになった。うがいをしようとすると、首と肩が凝り固まりすぎて肩を一緒に上げないと顎を上に向けることができず、背中が悲鳴を上げていた。

毎日湯船に浸かるようにしたところ、上を向いた時の背中の痛みは消えたものの、整骨院に行ってみたら「筋肉が硬すぎる。ちゃんと毎日お風呂に浸かって」と言われ、「浸かってるんですけど……」と返すと「浸かってこれ⁉」と驚かれた。首に至っては、「硬すぎて木みたい。もはや人間の首じゃない」とまで言われた。

謎の発熱、頭痛、腰痛、関節痛、不眠…

ほぼ毎日毎食後腹痛があり、お腹がギュルギュル鳴って、下痢を繰り返し、痔になった。食事中に吐き気を催すこともしょっちゅうだった。謎の微熱、発熱も多かった。2時間以上パソコンの画面を見ると頭痛や腰痛がするようになった。

注意力や集中力が下がって物忘れなども酷くなり、日常でのケアレスミスが頻発してますます体力を消耗する悪循環に陥っていた。

友達とお茶をしたり飲み会に参加したりすると、2時間くらいで首や腰が痛くなった。そんな日の夜は決まって眠れなかった。疲れれば疲れるほど眠れなかった。翌日も食事と睡眠以外何もできないくらい疲れが残るようになった。

以上のような慢性的な不調に加えて、あらゆる不調が次から次へと襲いかかってきた。

手首や股関節などの軽い関節痛は子供の頃からよくあったが、ある時猛烈に手首が痛くて整形外科に行ったら、軽度の頸椎椎間板ヘルニアと診断された。

20代なのに高齢者の世間話に共感できる

病名のつかない、原因のわからない不調も絶えなかった。

眠れなくなった時期からなぜか耳垢が異常に増え、突然耳が聞こえにくくなって耳鼻科に駆け込んだところ、耳垢が詰まっていただけだったことがある。ほぼ毎日耳から少量の出血があったので、ついでにそのことを相談したが原因はわからなかった。耳鳴りが止まらなくなって受診した時も原因不明だった。

突然蕁麻疹と熱が出て何か恐ろしい感染症なのではないかと慌てて病院に行ったら、熱はただのインフルエンザで蕁麻疹は原因不明だったこともある。

20代前半にして高齢者さながらの頻度で病院にかかっていた。中年どころか老人のような身体だった。喫茶店などで聞こえてくる高齢者同士の、身体のあちこちが悪くなって大変、というような会話に、深く共感した。

職業適性検査で「全項目適性なし」

勝ち目のない土俵から降りる早さだけは自信がある。

大学3年の秋、新卒就活サイトからのメール通知を見るだけで動悸がするようになった。それで私の就活は終わった。やったことといえばサイトに登録して、たった1社の会社説明会の予約をしただけだった。

その頃から不眠症を患い、抑鬱も悪化していたため、精神科とカウンセリングに通い始め、障害者枠での就職を目指すことにした。障害者手帳の取得には半年以上かかるため新卒一括採用の時期には間に合わなかったが、障害者雇用においてはいわゆる新卒ブランドの効力が弱いようだったので、そのまま4年で大学を卒業した。

ところが障害者枠という土俵ですら私には勝ち目がないことを、早々に思い知らされることになる。

既卒1年目の春にハローワークに行ったところ、門前払いに近い対応を受けた。障害者枠でもフルタイム勤務ができる体力と生活リズムが最低ラインだからとの理由だった。

当時は睡眠障害により生活リズムが崩壊しており、フルタイム勤務なんて想像しただけでぞっとするほど体力がないのも正直なところだったが、どうしても就職はしたかった。子供の頃からネガティブ思考で不安症な私にとっては、正規雇用と固定給が精神安定剤だと思っていたのだ。

おまけに東京障害者職業センターで受けた厚生労働省編一般職業適性検査(各種検査を通して各職業の適性を測るテスト)では、13種類の職業カテゴリのうち全項目適性なしという結果を、職員から気まずそうに告げられた。つまり私は、体力も能力もないということだった。

調子が良かったのに「不合格」の衝撃

それでも、騙し騙し就職活動を続けた。

とあるIT企業の障害者枠を受けて落ちた後、就労継続支援A型事業所(一般企業での就職が難しい障害者が、雇用契約を結んで働くことができる福祉サービスを提供する事業所。その多くが最低賃金)での就労を目指すことにした。A型事業所も倍率が高く、1週間の実習を行なって合否を判断するところが多いとのことだった。

ある事業所の実習が始まる直前、銭湯で温冷交代浴をしてみたところ急に早寝早起きができるようになったおかげで、奇跡的に毎朝遅刻せずに通って各軽作業をそつなくこなすことに成功した。にもかかわらず、結果は不合格だった。理由は「コミュニケーション能力の低さと作業スピードの遅さ」とのことだった。

受かるのではないかと期待していたぶんショックが大きく、泣きながら帰っていたら、うっかり赤信号を渡ってしまい、通りすがりの男子小学生グループに「え? 信号無視じゃん! 赤だよ馬鹿!」と罵られ、余計に泣いた。

歩行者のための信号
※写真はイメージです

他に実習を受け入れてくれるA型事業所は探せばあったが、また同じように一日4時間×5日間の実習という名の無賃労働をさせられるだけになるのではないかと思うと、気が進まなかった。

月数万円の原稿料が救いだった

同時に、なぜか2度目の温冷交代浴がまるで効かず、すぐに元通りの生活になったこともあり、障害年金を申請した。数カ月後に不支給通知が届いた時、もう生きていけないと思った。

働けないから障害年金を申請したのに、支給するほどではないと判断されている。

じゃあ死ねってこと?

この間まったく働いていなかったかというと、そうではない。大学時代からネット上でエッセイの執筆を始め、本格的にプロを目指していたわけではないものの、ちょうど大学を卒業したタイミングで商業媒体からも依頼が来るようになり、月に数万円程度の原稿料を得ていた。

そこから現在まで、細々とではあるものの、ありがたいことに仕事依頼が途切れたことはない。一応いわゆる専業作家ということになるため、「すごいですね」とよく言われる。出版不況の昨今においては多くの作家が兼業であり、その中でもエッセイのような市場規模の小さいジャンルであればなおさらである。専業になるのはよほどの売れっ子であり、かつ不安定な人気商売一本に絞るだけの熱意や覚悟がある、という認識なのだろう。

とにかく体力がないから働いていない

いや、すごくないです、と私は内心本気で思う。

仕事の依頼は少しずつ増えているとはいえまだまだ数は少なく、8〜9割を引き受けてなお、体力のある人なら兼業でもこなせるであろう仕事量である。知名度、収入、地位、影響力、どの観点から見ても一般的には専業に踏み切るほどのレベルには未だに達していない。人並みに安定志向だし、専業にこだわる理由もない。

それなのにアルバイトすら一切していないのは、とにかく体力がないからである。

確かに私は職業適性検査で向いている職業がないと言われただけあって、何をやっても要領が悪く、いわゆる「仕事ができない人」だという自覚はあるし、大学時代にはいくつかバイトをしたものの、いずれも上手くいかなかった。集団に馴染めたことがないので、どんな職場でも浮くタイプだとも思う。

だがそれでも、体力さえあれば、何かしらできる仕事はあるだろう。職場に通う必要のあるバイトでなくても、在宅で完結できる仕事もいろいろあるし、両親の自営業をリモートで手伝うという手段もあるのだから。

ラップトップに入力する女性の手
※写真はイメージです
「書く仕事」に見切りをつけるべきか…

もうこの仕事を辞めようと何度思っただろう。

特に、1冊目の単著の出版がようやく決まった26歳の頃は、これを出したら筆を折って就職しようか本気で悩んでいた。この先も書き手として売れないかもしれないどころか、現状維持すら危うい。就職は若ければ若いほど有利なわけだし、見切りをつけるなら今ではないか。

21歳から24歳まで続いた不眠症が治って生活リズムを持ち直し、26歳は食事や運動によって健康を取り戻し始めた頃でもあった。もしかしたら、このままどんどん健康になって人並みに働けるのではないか。思い切って就職さえしてしまえば、その安心感で調子が良くなったりするかもしれないし、あとは根性とかでなんとかなるのではないか。就職してみてダメならダメで、諦めもつくだろう。燻り続けていた就職への未練を断ち切るためにも、挑戦してみたかった。

私には兼業作家になれる体力も器用さもなければ、専業作家にこだわるほどの熱意も執着もなかったのだ。

そのことをある友人に話してみたところ、彼は反対しつつ持論を展開した。

「大した熱意がなくても、よっぽどの苦痛とかリスクがない限り、求めてもらえる仕事があるなら、それは自分の使命だと思ってやったほうがいい」

就職への未練がスッと消えた

ハッとした。作家――作家性を有した書き手――として求められることは、あなたにしか書けないものがあると言ってもらえていることであり、その人にしかできない仕事があることは、その人にしか救えない誰かがいるということなのだと思った。

絶対に終電を逃さない女『虚弱に生きる』(扶桑社)
絶対に終電を逃さない女『虚弱に生きる』(扶桑社)

だったら、求めてもらえる限りは全うしよう。たとえいつか仕事がなくなったとしても、誰かを救った記憶が、私を支え続けてくれるのではないか。

結局のところ私には、それまで築いたなけなしのキャリアや唯一の才能を捨てるほどの潔さもなかったのだ。私は自分のためだけには書けない。熱意や執着の欠如を補強して専業作家として腹を括るには、他者を救うという使命感が必要だった。

それ以来、辞めようと考えることはなくなった。就職への未練も消えた。結局、人並みに働けるほどの体力が手に入ることもなかった。

「書かなければ生きていけない生き物」

今となっては、プロの作家であることに対して、それなりのこだわりを持っていると思う。

私が専業なのは、売れっ子だからではなく、文才があるからでもなく、それ以外の才能と体力がなさすぎるから。それはこれまで書いた通りだが、長年専業で書き続けたことによって、食い扶持だけでなく自己実現や他者とのコミュニケーション、人間関係の形成や維持の手段までもが、文章を書くこと=仕事に依存してしまい、辞めたくても今さら辞められない状況に追い込まれた結果、熱意や執着が生まれているのだ。

どれだけ売れなかろうが、どれだけ自分の凡才っぷりに打ちのめされようが、他にやることがないので、淡々と書いていくだけ。もう専業とか兼業とかの次元ではない。職業に留まらず、人生そのものになっている。

肩書きを求められた際は、「作家」だと小説家のイメージが強いので現状「文筆家」にしているが、「書かなければ生きていけない生き物」というのが一番しっくり来る。もはや社会的動物としての人間であり続ける自信もない。

私は、体力がなくて、書くことしかしてこなかった結果、書かなければ生きていけない生き物になってしまったのだ。

絶対に終電を逃さない女(ぜったいにしゅうでんをのがさないおんな)
文筆家
1995年生まれ、早稲田大学卒業。体力がないせいで就職できず、専業の文筆家となる。様々なWebメディアや雑誌などで、エッセイ、小説、短歌を執筆。著書に『虚弱に生きる』(扶桑社)、『シティガール未満』(柏書房)、共著に『つくって食べる日々の話』(Pヴァイン)がある。

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