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「べらぼう」の主人公は歌麿にすればよかった…横浜流星が演じているのに蔦重が視聴者から全く愛されないワケ

  • 2025.11.30

NHK大河ドラマ「べらぼう」が最終版に入った。序盤こそ盛り上がったが、話が進むにつれ話題になることは減っていった。歴史評論家の香原斗志さんは「大河ドラマの主人公として蔦重は決定的な弱点を持っている。歌麿を主役に据えた方が、作品としては盛り上がっただろう」という――。

ディオール ジャパン アンバサダーを務める横浜流星が、2024年9月24日にフランス・パリで開催されたパリ・ファッションウィークの一環として行われたクリスチャン・ディオール ウィメンズウェア 2025年春夏コレクションのショーに出席した。
ディオール ジャパン アンバサダーを務める横浜流星が、2024年9月24日にフランス・パリで開催されたパリ・ファッションウィークの一環として行われたクリスチャン・ディオール ウィメンズウェア 2025年春夏コレクションのショーに出席した。
蔦重は大河ドラマの主人公にふさわしかったのか

NHK大河ドラマ「べらぼう」の視聴率が8~9%台で低迷し、年間を通しての平均が大河史上ワースト3に入るのは確実だという。もっとも、リアルタイムでテレビを視聴する人が以前にくらべて減少したいま、視聴率だけで番組の人気を測るべきではないが、ドラマの出来を考えれば、もう少し高い数字が上がってもいいように思う。

視聴率が低い原因としては、大河ドラマの視聴者が求める戦闘場面がないこと、あまりポピュラーではない時代が描かれていることなどが指摘されている。吉原が主な舞台だった前半に、男女の営みなど子供に見せにくい場面が描かれ、視聴者が引いてしまったのではないか、という声もある。

だが、最大の原因は、主人公の蔦重こと蔦屋重三郎という人物に、視聴者がいまひとつ惹かれないことにあるのではないだろうか。念のために断っておけば、蔦重を演じている横浜流星が悪いのではない。あくまでも、歴史上の人物である蔦重に感情移入しにくい、という意味である。

一般視聴者にとっては無名に等しかった蔦重が、大河ドラマの主人公として相応しかったのだろうか。無名であっても、知れば知るほど魅力が感じられる人物なら、主人公は務まるだろう。しかし、後述するように、蔦重は立場的にも応援団がつきにくい。

だったらいっそのこと、喜多川歌麿(染谷将太)を主人公にしたほうがよかったのではないだろうか。ドラマの内容はほとんど変えずに、「べらぼう~歌麿栄華乃夢噺~」としたほうが、視聴者の共感は得られたのではないか、とさえ思えてくる。

主人公にしては度が過ぎる発言

ことに蔦重と歌麿の関係においては、歌麿の側に感情移入した視聴者が多かったと思う。第45回「その名は写楽」(11月23日放送)では、蔦重から離れた歌麿のもとを、蔦重の妻のてい(橋本愛)が訪ね、「戻ってやってはいただけませんか?」といって頭を下げた。

その際、歌麿が残した下絵を蔦重が錦絵に仕立てた『歌撰恋之部』を持参し、歌麿の意図を汲んだ出来栄えを強調し、歌麿のことをこれほど理解できる出版業者はほかにいないはずで、蔦重にとっても歌麿ほどわかり合える絵師はいない、と説き伏せた。その結果、歌麿は蔦重のもと戻るのだが、そもそも歌麿が蔦重から遠ざかった原因は、「べらぼう」で描かれたところでは、蔦重の度がすぎるKYにあった。

たとえば第42回「招かれざる客」(11月2日放送)。江戸で評判の3人の美人を1枚の絵に描いた『当時三美人(寛政三美人)』が大ヒットし、彼女たちが働く店に多くの人が押し寄せるようになると、自分の店の女性も歌麿に描いてほしいと考える商人たちが、蔦重の耕書堂に列をなした。

喜多川歌麿筆・寛政三美人:富本豊ひな(上)、難波屋おきた(右)、高島屋おひさ(左)
喜多川歌麿筆・寛政三美人:富本豊ひな(上)、難波屋おきた(右)、高島屋おひさ(左)〔写真=トレド美術館所蔵/PD-Art(PD-Japan)/Wikimedia Commons〕

しかし、大量の注文を歌麿ひとりでこなすのは難しい。歌麿は悲鳴を上げたが、蔦重の応答は次の通りだった。「この際、弟子に描かせたらどうだ?」「弟子にあらかた描いてもらって、お前が名だけ入れりゃあいいじゃねえか?」。

蔦重の要求に視聴者もうんざり

歌麿は1枚1枚の絵をていねいに描きたいのだが、それを伝えても蔦重は聞く耳をもたない。「お前の絵はお江戸の不景気をひっくり返しはじめてんだよ。ちょいとした方便くれえ、お前、許されんだろ?」といって、歌麿に有無をいわせない。

同じ42回には、次のような場面もあった。蔦重は吉原を訪ね、女郎屋や引手茶屋の主人たちに、女郎の大首絵の揃いものを出さないかと持ちかけた。結果として、歌麿が50枚の女郎絵を描けば、蔦重が吉原に100両の借金を返済したとみなす、という約束をとりつけた。だが、蔦重はこの話を事前に歌麿へ打診しておらず、勝手に吉原と取引したのだ。

歌麿は蔦重がなんら相談もないまま、自分の仕事を勝手に決めたことが許せない。だが、反発する歌麿に蔦重がいったのは、「頼む、ガキも生まれんだ」。妻のていが妊娠したというのだが、歌麿には関係ない。しかし、蔦重は「正直なとこ、あらたな売れ筋がほしい。頼む、身重のおていさんに苦労をかけたくねえんだよ」と、重ねて頼み込んだ。

歌麿はやむなく蔦重の求めを受け入れたが、蔦重の要求はあまりに自分本位で、歌麿の立場や心情を無視していた。これにはうんざりした視聴者も多かったのではないか。歌麿自身、蔦重が自分のことを商売道具としてしか見ていないと感じ、複雑な思いを抱いていたところに、西村屋の二代目の万次郎(中村莟玉)が訪ねてきた。そこで歌麿は、蔦重から離れる決断をした。「この揃いものを描き終わったら、もう蔦重とは終わりにします」。

あくまで役割はプロデューサー

しかし、蔦重がKYで、自分本位の要求を押しつけるのにはわけがある。以前にも書いたが、それは「江戸のメディア王」という蔦重の立場に起因する。つまり出版社の社長兼編集者であり、プロデューサーと言い換えてもいい。表で活躍するプレーヤーを育て、その力が最大限引き出されるように導き、社会に向けてPRするのが蔦重の役割である。

蔦重を芸能プロダクション、歌麿を俳優やタレントに置き換えればわかりやすい。芸能プロはタレントの才能を見出し、育て、売り出す。それにあたっては、ある路線を定めてイメージ戦略を重ねていく。駆け出しのころのタレントは、大抵はその方針に素直に従うが、売れっ子になって自負心が育つと、芸能プロのお仕着せをうるさく感じるようになることがある。

そうした舞台裏は、通常は表の世界からはうかがい知れない。だが、たまにもめごとが起きたり、独立騒動が生じたりして、表沙汰になることもある。そんなときは「タレントの意思を無視して型にはめる」として、芸能プロが悪者あつかいされがちである。

一方、芸能プロにいわせれば、お金と時間を投じ、手塩にかけて育ててきたタレントが、いまやっと稼ぐようになったのである。しっかり利益が上がるように、タレントの仕事を方向づけるのは当然なのに、タレントからはKYのようにいわれてしまう。手のひらを返されて困惑している、というのが芸能プロの言い分になる。

歌麿を主人公にしていたら

だが、表に露出しているのはタレントだから、一般の人はどうしてもタレントの側からものを見る。芸能プロという裏方の視点から眺めるのは、一般の人には難しい。だから、歌麿との関係において、あるいは、ほかの戯作者や絵師、あるいは吉原の女郎との関係においても、蔦重はいつも無理な要求をぶつける理不尽な男に見えてしまう。そのことは、大河ドラマの主人公にとっては、決定的な弱点なのではないだろうか。

では、仮に蔦重ではなく歌麿を主人公にしていたらどうだっただろうか。歌麿については、生まれもわからず、売れっ子になってからの私生活も判然としない。蔦重のほうが吉原で生まれたことや、7歳で実の父母と別れたことなど、わかっていることがある。とはいえ、謎が多いことでは歌麿とどっこいどっこいだともいえる。

喜多川歌麿の肖像画(鳥文斎栄之筆・大英博物館所蔵)
喜多川歌麿の肖像画(鳥文斎栄之筆・大英博物館所蔵)(写真=PD-old-100-expired/Wikimedia Commons)

「べらぼう」では、歌麿の少年時代を謎の少年「唐丸」とし、じつは夜鷹の息子で、母親やその愛人からひどい虐待を受けていた、という設定にしていた。それは歌麿の少年時代が謎であるがゆえのフィクションだが、この時代ならあってもおかしくない状況で、視聴者の時代への理解にも寄与したと思う。つまり、放送されたのと同じ設定で、歌麿を主人公にできたのではないかと思う。

歌麿は当初、蔦重のもとで黄表紙や洒落本の挿絵を描いていた。当然、吉原にもよく出入りしていたはずだから、歌麿を主人公にしても、吉原のこともしっかり描けたに違いない。

最期も歌麿のほうが劇的だった

要するに、蔦重と同じ時代を生きた歌麿を主人公に据え、蔦重を第2の主人公にし、当時の社会全体を見渡す際には蔦重を通すようにすれば、少なくとも視聴者は主人公に感情移入をしやすく、視聴率はもっと上がったのではないだろうか。

平賀源内のような武士や、田沼意次ら為政者との接点は蔦重に任さればいいのだ。そうすれば筋立てや展開は、現に放送されたものとあまり変わらないまま、「べらぼう~歌麿栄華乃夢噺~」として十分に成り立ったと思う。

その最期も、脚気にかかって急逝する蔦重より、蔦重以上に御上に逆らい、入牢3日および手鎖50日の刑を受けた挙句、病死してしまう歌麿のほうが劇的だといえる。

とはいえ、これはあくまでも視聴率を考えての話。筆者にとっては、KYや自分本位の押しつけも含めて、江戸のメディア王の姿を眺められて満足だったのだが。

香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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