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女性こそが最も政治に近い存在?──選挙を前に政治学者の岡野先生が教える投票ハウツー

  • 2025.7.10

女性は最も政治に近い存在? 女性の生活は法律でがんじがらめになっている

1920年代、婦人参政権運動家たちが国会に請願書を持ち込む様子。女性参政権法案の国会提出を求め、2万人以上の署名を集めた請願書を持参し帝国議会を訪れた。
Japanese Suffragists with Petitions1920年代、婦人参政権運動家たちが国会に請願書を持ち込む様子。女性参政権法案の国会提出を求め、2万人以上の署名を集めた請願書を持参し帝国議会を訪れた。

──岡野先生は政治哲学の研究者として、これまで男性視点で語られてきた政治を、女性やレズビアンの立場から捉え直しています。どうして今に至るまでずっと、政治は“男性のもの”なのでしょうか。

根深い問題ですね……。例えば日本では卑弥呼のように、文書が残る前の時代には女性が政治を動かしていた可能性はあって、それがどうして男性中心になったのか、あるいは社会が男性を重んじるようになったかというと、戦争が一番大きな理由かなと思っています。私の専門である西洋政治哲学から古代ギリシャ・アテネを例にあげると、他国に攻め入って戦争に勝つと敗戦国の人々を連れ帰り、奴隷にしていました。民主主義で有名なアテネは明らかに軍事国家なんですね。そういう社会のなかで体育という名の軍事訓練をさせられるのですが、古代ギリシャの絵とかを見ると、当時はオリンピック含め基本運動の際は上半身裸です。女性が男性と一緒に上半身裸で体育をするなんてけしからんという時代ですから、訓練そして軍事から女性が排除されます。そして、兵士になれない女性たちは政治からも遠ざけられるというわけです。

今でもそう言えるかもしれないですが、国家が存在する第一の理由は、安全保障、つまり軍事のためであり、歴史的にも軍事は政治にとってすごく大きな役割を果たしてきています。最近は、女性も男性同様に徴兵される国がいくつかありますが、やはり多くの国では軍人=男性国民です。個人的には21世紀にはそういう軍事中心の国家から、“ケア中心”の国家に変わってほしいと願っていました。けれども、現実社会では、軍事中心=男中心の政治を未だにやっているだけでなく、むしろその傾向が世界的にすごく強まっていると感じています。

それは、今回の参議院選挙の顔ぶれでもよくわかります。戦争の話になると饒舌になる男性政治家たちの姿を見ると、「日本は経済的に衰退しているのに、さらに軍事中心つまり男性中心の国になるのか」と不安を覚えます。戦争になったら、どんなに女性が頑張っても、女性の意見は二の次にされますからね。軍事の視点で見ると、“日本人ファースト”という言葉がいかに恐ろしいか。それ以外の人は敵視するわけですから、本当に戦争準備国家ですよね。

──政治から遠い存在であればあるほど、「わからない」状態に陥り、選挙に行くのも億劫になる、という負のループがあるように思います。

最も大事なのは「文句を言うこと」です。例として、子どもに障害があって働きにいけないお母さんたちは、働けないから貧しくなって、学校まで送迎や放課後の面倒を外部に委託したり預けられる先も選べなくなって、ますます働けない。そういった出口がない状態っていうのは、“自分の問題”ではありません。なぜなら自分で解決できない問題の原因となる制度は、政治が決めているからです。婚姻の平等トランスジェンダーの人たちが抱える問題、子育てや家事、介護などのケア労働で手一杯で社会に参加する機会がない女性たちも同じです。マイノリティは社会にアクセスしたい、でも入り口が塞がっている。その現実に対して、きちんと「嫌だ」と意思表示することで、確実に状況は変わっていきます。

まずは、困っているのは自分のせいじゃないと知ること。そして、自治体や国が支援できるはずだからこそ、当事者にしかわからない「こういう助けが必要」や「こんな制度が足りない」を訴えることが大切です。自分でなんとかなれば困らないわけですから、解決できなくて困っているということは、「私たちが本当にやりたいことを、社会ができなくさせている」と思考を転換してみてください。無理難題を言っているようだったり、わがままだと思われようと文句を言ってみると、それが少しずつ広がっていくし、今だったらソーシャルメディアがあるので、そこで繋がって同じように悩んでいる人たちと一緒に声を上げることもできます。フェミニストも、最初はわがままだと言われていたのが、声に出してみたらお隣さんも同じ困り事を抱えていたところから運動が始まっています。「個人的なことは政治的なこと」をモットーに、政治を遠いと感じる人もまずは不平不満を明らかにして文句を言ってみてください。突破口は意外と身近にありますから。

──近年では、「自己責任」や「自助」など、何事に対しても“個人での問題解決”を促すトレンドも顕著です。文句を言う人への風当たりも強いですが、どんな問題を政治のせいにして、助けを求めたらいいのでしょう。

政治のせいにしちゃいけないなら、政治家は何のためにいるのでしょうか? 政治学を長く学んできた私の定義のひとつは、「声を上げられない人のために政治がある」ということです。声の大きい人は自己責任でなんとかできますが、声を上げられない人のために政治があり、政治家はその声を国会で伝えるためにいます。普段困っている人、政治と縁遠い人ほどやっぱり自分の生活で精一杯なので、政治家は一歩前に出て、その人たちのもとへ足を運んで「困ったことはありませんか?」と声にならない人の声を聞きに行くべきなのです。経済活動の中心を担えない高齢者、障害者や子どもを含め、すべての人が日本で安心して生きられるように、政治が責任を担うべきです。それが今は完全に逆転してしまっています。“自己責任論”というのは、本来政治が果たすべき責任を不可視化するためのマジックワードなんだと感じます。

働き方や保育、介護もすべて「政治のせい」にしていいことです。日本は国際的に見ても長時間労働が許されていて、その基準を決めているのも政治です。最低賃金も、子ども一人当たりの保育士の数も、保育士や介護士の給料も、同性婚ができない婚姻制度も──、すべて政治が決めています。そして興味深いのは、“すべて政治で決められているところ”に女性たちはいるんですよね。育児、介護、非正規雇用、夫婦別姓、103万の壁、女性の生活は法律でがんじがらめになっている。女性の発言は政治の場で封じられてきましたが、私からすれば彼女たちは最も政治に近い存在。どんなに頑張っても自力では開けられない出口を法律で塞がれている人たちです。制度に排除され、国に差別をされているとも言えます。

「日本を変える」よりも、まずは生活の困りごとに目を向けて投票して

1928年、第55回帝国議会が行われる前で参政権を求めて抗議のために立つ女性活動家たち。
Japanese Suffragists Protesting1928年、第55回帝国議会が行われる前で参政権を求めて抗議のために立つ女性活動家たち。

──政治のせいにして文句を言った経験がない人からすると、どうしても最初は「周りの人も頑張ってるし……」などと考えてしまいハードルが高い気もします。それはどのように乗り越えられますか。

友だちや身近な人、心を許せる仲間に相談してみること。さまざまな人に会いに行って、話してみるのも大事です。国際的な統計も出ているのですが、日本は家庭、職場、学校以外に所属する場所を持っていない人が多いという特徴があります、私含め(笑)。地域の集まりや、大人になってからのクラブ、ボランティア活動などに消極的です。その理由は明らかで、長時間労働と家事・育児でとくに女性は圧倒的に時間がない。これも政治のせいですね。令和2年版男女共同参画白書を見ればわかるように、無償労働も含めると男女ともに“異常”な働き方をしていて、平均睡眠時間も短いし、人と出会う機会もない。忙しくて家と仕事の往復のみで、ほかの活動が何もできないんです。政治っていうよりも社会からどんどん遠ざけられていますよね。

数年前から男性の家事参加を呼びかける動きもありますが、正直なところ労働時間的には不可能に近いです。女性たちも疲れ切っている男性に「家事をしろ」なんて言えないですし、手伝いを求めることもできない。なので、日本の女性は過重に家事を担っているのにもかかわらず、不平も言えないわけです。なぜかというと、最も身近な文句を言える存在の男性も疲弊しきっているから。そんな状況だからこそ、日本の政治への期待を問うアンケートで、若者世代は労働も教育も期待の薄い結果が出る。裏を返せば、政治の恩恵を受けていないからこそ、何を政治に期待していいのかわからないんですよね。

──前回(令和4年)の参議院選挙で全体の投票率は52%。年代が下がるごとに投票率も下がり、20代に至っては34%でした。先ほどあったように、政治に期待できないことも原因かと思うのですが、選挙の結果によって実際に市民の生活が変化した具体的な事例はあるのでしょうか。

私たちの目にはあまりはっきりと見えてないけれど、昨年の衆議院選挙で与党が少数になったことで、明らかな変化が起きています。2025年8月から予定されていた高額療養費制度の自己負担上限額の引き上げについても、現状は「引き上げ見送り」が決定されています。当事者団体を中心に強い反対の声が上がっていた本案ですが、2024年11月には審議会で了承され予算も通ってしまいました。しかし、2025年3月に首相の判断で改正案が見送られているんです。予算が決まっているのに法改正が凍結される事例はほとんどないため、異例の決定でした。夫婦別姓も28年ぶりに国会で審議されましたね。選挙によって国会の与野党比率が変わることで、少しずつ変化が起きるんですよね。

投票率が低い10〜20代に関係する学費の問題だと、私立大学の学費は国公立の値上げに合わせて上がっています。そして、国公立の学費を決めているのが政治です。私の働く同志社大学でも物価高を理由に、10年で年間約20万円も学費が上がりました。もし10代〜20代が投票に行って、学費の問題を政治に投げかければ変わるでしょう。あるいは働き方、長時間労働が嫌だとかでもいいのです。自分の生活を見つめ、何に困っていて変えてほしいか考える。そしてそれを変えると言っている政党に投票をする、という態度を示せば政治はこちらを向いてくれます。

「日本を変える」といった大きな主語より、まずは自分の足もとの生活を見つめてください。困っていることや関心のあることだけでいいんです。政治に投げかける困り事に優劣はないですから、学費が高い、労働時間が長い、子どもを産んで安心して働けるか、男性も育児に関われるか──、自分にとって最も大事なことに焦点を当てて投票してみてください。

女性のほうが男性よりも戦争や軍事的な政策に反対する傾向にある

参政権の拡大を求め、坂本公園で行われたデモに参加し声を上げる女性たちの様子。
Japan, Tokyo: japanese suffragettes demonstrations for the right to vote in the Park Sakamoto - Photographer: Sennecke- Published by: 'Zeitbilder' 18/1923Vintage property of ullstein bild参政権の拡大を求め、坂本公園で行われたデモに参加し声を上げる女性たちの様子。

──“政治的でない存在”とされてきた女性が参政権を得たのは、日本では1945年。今年で80年を迎えます。女性の政治参加が可能になったことで起きた社会変化の事例などがあれば教えてください。

女性が政治に参加できるようになったことで社会での発言力を得て、法律上での男女差別が次々に廃止されています。一例として、昔は女性と男性の定年年齢が異なり、女性は55歳だったんですよ。それが1985年に女性差別撤廃条約に批准したことでなくなりました。制度に塞がれていたドアがひとつずつ開いていく。働ける職種も変わりましたし、育休産休の取得可能期間も伸びてきました。女性の政治参加が可能になったこと、さらに政界での人数が増えていくことでその存在感が増して、女性が日常生活を送る上での制度が確実に整ってきています。

それは家庭や社会のなかでの女性の発言力にも繋がっていて、各業界で女性たちが自分たちの存在感を強めていく契機にもなっています。常識にだんだんと「ハテナ」が浮かぶようになり、それを言えるようになっていくんです。女性に限らず多様な属性や意見を持つ人、より市民の生活に近い人々が政治家になっていくことが重要ですね。

──国内の世論調査では、女性のほうが男性よりも戦争や軍事的な政策に反対する傾向もみられますよね。

それも実際に研究がされていて、女性議員が多い国では軍事予算が減り、福祉予算が増える傾向にあるそうです。何を意識して投票したかを聞く世論調査を見ていると、投票する側も女性のほうが福祉に重きを置いている。これまで社会からケアを担わされてきた女性たちは、子どもや高齢者など、社会で排除されやすく中心にいない人たちに近いですよね。逆に男性はより経済に近く、戦争をやると大企業は儲かるなど、軍事と経済は密接に繋がっているからこそ、この結果が出ているのだと思います。

──現在の国会における女性議員割合は約15%、参議院で26%弱です。徐々に増加傾向にはあると思うのですが、この割合が増えることでどのような変化が生まれるのでしょうか。

実際には、「女性議員だからいい」と言い切るのはすごく難しいんですね。活躍の機会を与えないものの、数を増やすために女性候補を立てているだけの政党や、もちろん軍事的な政策を推し進める女性議員もいます。そこは一概に判断できない部分です。だからこそ、やっぱり素直に自分が関心のあるトピックを選んで投票してみてください。私個人としては、働き方や教育、福祉にもっと政治の力、そして税金が必要だと考えています。そうやって生活に根ざした暮らしをよくするための投票が広がっていくと、自ずと女性議員が増えるのではないでしょうか。

──最後に、7月20日は参議院選挙の投開票日です。3連休の中日で投票率が下がる可能性も一部報道されています。改めて投票に参加することの意義を教えてください。

最初に軍事の話をしたのでそこに戻ると、今日本の軍事費は教育予算の2倍です。そしてそれがさらに増える可能性があります。アメリカの現政権からもわかるように、軍事優先で排他主義的な政治が始まると、多様な人が生きる社会にもかかわらず、政治が決める「〇〇人らしさ」や「正しい家族の形」などで、マイノリティが排除されていきます。その分かれ目が今です。

まずは、自分たちの都合のいいように私たちの税金を使う人たちを、とにかく1人でも少なくすること。日本では貧しい人ほど税金が上がることを拒むのですが、本来税金は貧しい人に使われるべきものなので、正しい仕組みのなかでは税金が上がることは貧しい人にとっていいことなはずなんですよね。けれども、今の日本では税金の多くが企業や富裕層に還元されていて、自分に使われるとは到底思えない。消費税を含め、税金が自分に返ってくる感覚がないからこそ、それを拒むのは当たり前です。今回の選挙は自分の生活をよりよくするため、苦しいことが少しでも減る社会をつくるための選挙だと思ってください。国の在り方や日本の伝統、憲法などは一旦わきに置いて、「税金を自分たちの暮らしのために使ってほしい」ということを伝える選挙にしていただきたいと思います。それがすごく大事なのです。こういったことを小学校くらいで学べるといいんですけど、教育しないように政治が決めていますから。すべてが政治のせいですね(笑)。

今回こそ、若い人の投票率が本当に上がってほしいと切に願っています。私たちの生活の苦しみや悩みはすべて政治が作っていると言っても過言ではないですから、暮らしのすべてが政治的で、政治に参加する一歩目として投票があります。そして、投票した政治家には「投票してあげたのだから、私の声を聞いてね」とお願いしていいんですよ。

岡野八代(Yayo Okano)

同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教員、専門は西洋政治思想史・フェミニズム理論。現在は、歴史的に女性たちが担ってきた無償のケア労働の社会的、政治的意義を分析することを通じて、既存の政治学が理解する政治概念を見なおす研究を行う。主著に『ケアの倫理と平和の構想――戦争に抗する 増補版』(岩波現代文庫 2025)、『ケアの倫理――フェミニズムの政治思想』(岩波新書 2024)、『ケアするのは誰か?――新しい民主主義のかたちへ』(白澤社 共著 2020)、『フェミニズムの政治学――ケアの倫理をグローバル社会へ』(みすず書房 2012)など。

Interview & Text: Nanami Kobayashi

 

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