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高級料理店に足繁く通う、50代男性と20代美女カップル。ふたりを繋ぐのは、金銭でもときめきでもなく…

  • 2025.6.23

男という生き物は、一体いつから大人になるのだろうか?

32歳、45歳、52歳──。

いくつになっても少年のように人生を楽しみ尽くせるようになったときこそ、男は本当の意味で“大人”になるのかもしれない。

これは、人生の悲しみや喜び、様々な気づきを得るターニングポイントになる年齢…

32歳、45歳、52歳の男たちを主人公にした、人生を味わうための物語。

▶前回:「記念日には妻とデート」理想の夫で父でもある、45歳経営者の裏事情とは

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Vol.9 赤坂の高級鮨店で、味わう孤独 クリニック院長の52歳、磯部寿志の場合


灘の銘酒・櫻正宗を舐めていると、付け台の上に新子の握りが乗せられた。

「新子です。最近は6月には新子が入るようになったんですよ」

「へえ、昔は7月過ぎたら…って感じだったけどね」

赤坂の鮨店。大将と適当な会話を交わしながら、付け台の上の鮨をすぐに口の中へ放り込む。

爽やかな酸味と旨みが舌の上いっぱいに広がり、櫻正宗とえも言われぬ相性の良さだった。

「院長。新子、美味しいですね」

隣の席の結城さんが、僕に向かって微笑む。

もともと女優をしていてもおかしくない美貌の持ち主である結城さんだけれど、彼女が柔らかく微笑んだ時は、その魅力は何倍にも増す。色気…というより妖艶な雰囲気は、とても20代前半とは思えない。

だからといって、僕が彼女を気に入っているのは美貌だけが理由ではない。

僕と同じタイミングで、出された鮨はすぐに食べるのだ。

普通の20代の女の子みたいに料理の写真をパシャパシャとやかましく撮ったりしないところが、なんといっても結城さんのいいところだ。

その時だった。ふと、L字型のカウンターの端にいる他の客と目が合った。

男女の二人連れ。52歳の僕より少し若く見える。おそらく40代半ばの男性と、20代の女性…。

どうやら2人の関係性は、夫婦や恋人同士ではなさそうだ。

僕と結城さんも、そうではないように。

すぐに目は逸らしたものの、男性の方からは一瞬の間に奇妙な目配せがあったように思う。

まるで、「あなたもですか。お互いに楽しみましょう」というような…。

だけど僕は、そんな彼からのメッセージを非常に不快に感じた。

きっと彼は、仕事や妻や家庭の合間に、美女と美食でほんの少しの大人の火遊びを楽しんでいるつもりなのだろう。

そんなことと一緒にされては心外だ。

僕のこれは、全く彼が思うような目的とは違うのだから──。

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「院長、どうされました?新子、お嫌いでしたっけ?」

結城さんの言葉に、僕ははっと現実に引き戻される。

「いや、そんなことないよ」と答えると、結城さんはちょっとイタズラっぽい表情を口の端に浮かべて冗談を飛ばすのだった。

「院長はもう、出世し尽くしたコノシロですもんね」

彼女は、新子が出世魚で、コハダ、ナカズミ、コノシロと出世していくことを知っているのだ。

そして、クリニックを開業して院長となった僕のことを、おだてるふりをして…からかっている。

「なんだよ。52歳なんて、もうオジサンだって言いたいんだろ」

結城さんのくすぐるような冗談を鼻で笑うと、僕はまた櫻正宗の猪口を傾けた。

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結城さんが僕のことを「院長」と呼ぶのは、その名の通り、僕が院長だからだ。

大手町に頭痛外来のクリニックを開業して、今年で4年になる。

おかげさまで経営も順調だし、大学病院で脳神経外科医をしていた時とは比べものにならないほど自由な時間も増えた。こうしてゆっくり外食する時間も持てるようになったのがいい証拠だ。

経営がうまくいっているのは、別に僕の腕がいいからというわけじゃない。

手術が必要な患者さんはもっと大きな病院に紹介してしまうのだから、脳神経外科医としての手腕が生かされるタイミングはそうない。

繁盛の決め手は、大手町という立地を確保できたことが大きい。それから、充実した設備。

スタッフの質も大切にした。特に、患者さんとやりとりすることの多いスタッフは、綺麗どころを集めたつもりだ。結城さんもそのうちの1人だ。

きっと患者さんの中には、結城さん目当てで通う方もいるだろう。こうして2人で食事に行けるのは、雇用主である院長ならではの特権だと思う。

それでも結城さんとは“潮時”だと思うのは、僕の目的にそぐわないから。

はたからどうみられているかは分からないけれど、僕と結城さんの間にやましいことは何もない。

手を繋いだこともなければ、もちろんそれ以上のことなんて起こりうるわけもない。雇用主が従業員に手なんて出そうものなら、今のご時世大問題になってしまう。

結城さんは僕にとってはただ、「美味しいご飯を食べさせたい若い人」というだけ。

50歳を越えたころから、嘘みたいに色々な欲がなくなってきた。

金銭的には十分に潤っているし、仕事もある程度までは上り詰めたとも思う。

物欲もすぐに満たされてしまうし、睡眠も若い頃のようにそう長くは眠っていられない。性欲はもうとっくに枯れてしまったようなものだ。

唯一残っているのが、食欲。

ただし、形を変えて──。

量はそれほど食べられないし、大衆的でハイカロリーなものも受け付けなくなってきたのは事実。

けれども食は、大食漢でなくなっても、極上のものを少しずつ楽しむことができる。

今の時代、安くて美味いものもたくさんあるけれど、高くて美味いものには、味覚以外で味わうような…店ごとの魂のようなものがあるのだ。

高級レストランの数々は、僕のような年齢層の人々のためにあるんじゃないかと改めて思う。

多少持て余している小遣いは52歳にして、食への欲求を満たすことに費やされるばかりになってきた。

そして、そんな食への欲求を満たすのに必要なスパイスが、結城さんのような人なのだ。

― 若い人に、美味しいものを食べさせてあげたい。

これが、52歳にして新たにたどり着いた「食」へのスパイスだ。

高級店で1人で美食を味わうのは、意外に肩身が狭いものだ。

美味しいものは「美味しい」と口に出して、だれかと喜びを分かち合いたい。それが、人間の根源的欲求というものだろう。

かといって同格の人間と食事に行くのでは、つまらない仕事の話や、どちらが会計を持つかなんていう雑味が加わってしまう。

そこでたどり着いたのが、若い人たちに美味しいものを食べさせてあげることだった。

相手は別に女性じゃなくたっていい。それこそ、まだ何も知らない新子のような初々しさがあればいい。

大学病院に勤めていた頃は多忙の合間を縫って、可愛がっていた後輩の男の子…そう、皆川くんを、よく食事に連れて行ったものだ。

だけど、男子はやっぱりどうしても、家庭を持ったりしてしまうと誘うのに躊躇してしまう。

皆川くんとも彼の結婚を機に疎遠になってしまったけど、それは仕方がない。僕の二の舞を踏ませるわけにはいかないのだから。

というわけで結局52歳のオジサンは、こうした20代の美女を食事に連れて行くしかなくなるわけだ。

女性は若いうちからとにかくグルメへの関心が高いし、気持ちよく奢られてくれる。

美味しいものを食べたらいいリアクションで感動してくれるし、出世魚についてとかの食に関するちょっとした豆知識なんかに感心してくれると、やっぱり男として気分がいいものだ。

だからこそ、思うのだった。

― あーあ。結城さんも、もうそろそろ潮時か…。育ちすぎてしまった。

どんなに素晴らしい美貌を持っていても、我が物顔でグルメ通ぶるようになった女性は勘弁願いたいのだ。目的にそぐわない。

僕が稼いだ金で我が物顔で食通ぶり、感謝もしない。

それじゃあまるで、妻と娘と同じじゃないか。

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大学生の娘と妻は、今は韓国だかどこかに2人して旅行に行っている。僕は、金だけを出す係だ。

大学病院で働いていた頃には、そりゃあ確かに家庭は顧みなかった。そんな余裕はなかった。

― いつか仕事が暇になったら…。

そう考えていたのにやっと時間に余裕ができてみれば、家族のなかに居場所を感じられないのは、一体何の罰だというのだろうか。

左手に結婚指輪をしていないのは、外科医の生活には不便だったからだ。

少なくとも──妻と娘には、うまくそう信じさせていたはずなのに。

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「磯部さん。お酒次も同じもので?」

大将からの呼びかけに、僕は微笑みを取り繕って「頼むよ」と頷く。

この店が一流店たる理由は、大将の物覚えがいいことだ。一度話したことは、ずっと覚えていてくれている。

今日僕が飲んでいる櫻正宗も、数ヶ月前に僕が神戸の──灘の出身だということを覚えていてくれたのだろう。次来た時から、いいのがありますよ、と出してくれるようになった。

― 灘高にいた時は、まさか自分がこんなにバカになるなんて思わなかったな。

結城さんは、コノシロよりも新子のほうがずっと価値が高いということは知っているのだろうか?

まあ、どうでもいい。これ以上何かを教えても、期待するような感動は見せてくれないだろう。

僕はふと、先ほどの男性客に強い嫌悪感を抱いた理由が分かった気がした。

彼の姿が、過去の自分を見ているようだったこと。

そして、彼の目が──僕のようになりたいという、憧れに満ちていたからだ。

― あの目…。皆川くんは、僕のようになってはいないだろうか。

遠い記憶をたぐりながら、僕は新しく注がれた酒を飲み干す。

52歳にもなって心の中にこんな歪んだ孤独を抱えていることは、誰にも知られたくない。

だからこそ僕は、また新しい何も知らない若い子を、これからも美食の世界へと連れていくのだろう。


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成功者でありながら孤独を抱える医師・磯部。その後輩、皆川の日常

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