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【MLB】「日本野球の魂を体現していた」専門メディアが振り返る「長嶋茂雄氏とドジャースの関係」 “国際移籍の扉を開いた”と功績紹介

  • 2025.6.4
長嶋茂雄氏、大谷翔平(C)Getty Images
SPREAD : 長嶋茂雄氏、大谷翔平(C)Getty Images

巨人の長嶋茂雄終身名誉監督が3日午前6時過ぎ、肺炎のため都内の病院で死去した。“ミスタープロ野球”の訃報は海外でも大きく報道され、ドジャース専門メディアも生前の功績を称えつつ、ドジャースと長嶋氏の関係を振り返った。

■ラソーダ元監督を通じて関係深化

ドジャースの情報を扱う米メディア『dodgers beat』は3日(日本時間4日)、「日本の象徴・長嶋茂雄さん、89歳で死去 ドジャースと築いた長年の関係」と題する記事を公開した。
同メディアは長嶋氏について「卓越した華やかさを持つ三塁手であり、先見の明を持つ監督でもあった」と称えた上で、「しかし、ドジャースのファンや球団にとって、ナガシマという名前は、単なる記録やニュースの枠を超えて心に残るものだ。というのも、彼のキャリアはドジャースの国際的な進化とたびたび交差しており、特に巨人との絆を築いたトミー・ラソーダ氏を通じて、その関係はより深まった」と紹介した。
2021年に93歳で死去したラソーダ氏は現役時代、投手としてドジャースなどでプレー。引退後は約20年間ドジャースの監督を務め、米野球殿堂入りも果たした。野茂英雄がドジャースに入団した際の監督でもあり、親日家としても有名だった。
そんなラソーダ氏は1965年(当時はドジャースのスカウト)、打撃担当コーチのケニー・マイヤーズとともに初来日し、投手担当コーチとして巨人の宮崎キャンプに参加、指導に携わった。

■「レガシーよ、永遠なれ」と願う

そこで若き日の長嶋氏や王貞治、金田正一らと交流するのだが、同メディアは当時について「ラソーダは、ナガシマが持つカリスマ性とリーダーシップに率いられたスター選手たちのことをよく覚えていた。そして、ナガシマは才能があるというだけではなく、日本野球の魂を体現していたことは明らかだった」と振り返った。
その後、ドジャースは66、93年と日本遠征を実施し、88年には日本事務所を開設。同メディアは「ドジャースと巨人は単に太平洋を越えて試合をするだけでなく、リーグ間の架け橋を築いていった。61年から81年にかけて、巨人はドジャースのベロビーチ施設で複数回キャンプを実施し、選手やスタッフ同士が交流し、互いに学び合った。そんな他に類を見ない2国間の『野球外交』を実現したのだが、こうした絆の深化においてナガシマさんの名声と人間的魅力が、自然と両者をつなぐ存在となっていた」と紹介した。
そして「ヒデオ・ノモ、ケンタ・マエダ、ユウ・ダルビッシュ、そして現在のショウヘイ・オオタニがドジャースタジアムでプレーする姿を見ているファンは、ナガシマが率いた世代に感謝している。様々な意味で、彼は今日では当たり前になった国際的な才能の流れの扉を開いた人物だった」と続け、最後は「彼のレガシーが、すべてのスイング、すべての投球、そして野球を愛する2つの国の間にあるリスペクトのすべての瞬間に、これからも生き続けますように」と記した。

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