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「さすがNHK」「ハズレなし」NHK夜10時枠が名作ぞろいすぎる…! “物語の本質”を誠実に描く良作たち

  • 2025.6.10

NHKのドラマ枠「ドラマ10」には、なぜか“ハズレがない”と感じる人も多いのではないだろうか。SNSでも「ドラマ10にハズレなし」「名作ぞろい」「さすがNHK良作だらけ」と話題にのぼることがたびたびある。2024年『燕は戻ってこない』『宙わたる教室』、2025年『東京サラダボウル』『しあわせは食べて寝て待て』など、ここ数年だけでも骨太なテーマと生活に根ざしたリアリティを両立させた作品が次々と放送された。

『半径5メートル』:誰かの“普通”に潜むモヤモヤをすくい上げる

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(C)SANKEI

2021年春に放送された『半径5メートル』は、その象徴的な一作である。主人公は、女性週刊誌で芸能ゴシップを扱う「一折(いちおり)」班から、生活情報を取り上げる「二折(におり)」班に異動となった若手編集者・風未香(芳根京子)。スクープを逃した“失態”がきっかけの異動だったが、そこで出会ったのが「さすらいのオバハンライター」と呼ばれる名物記者・宝子(永作博美)だった。

第1話のテーマは、スーパーでレトルトおでんを買おうとした母親に「子どもには手づくりを」と声をかけた“おでんおじさん”。他人の善意と押しつけのあいだで生まれるモヤモヤを追いながら、風未香は記事の輪郭を探っていく。

話を聞くだけでなく、原材料からこんにゃくをつくってみるなど、宝子のやり方は徹底的で独特だ。だがその過程をともにするうちに、風未香は気づく。「あなたは何を、どう見るの?」という宝子の問いが、記者としてだけでなく、人としての目線を鍛えていくことに。

物語が見つめるのは、誰かの正しさが、別の誰かにとっての苦しさになるという現実だ。

社会に染みついた“母親像”や“女性像”、そして“男らしさ”や“父性”といった枠組み。それらに息苦しさを覚えながらも言葉にできなかった声を、ていねいにすくい上げていく。まさに“半径5メートル”の距離感で向き合うドラマである。

風未香と宝子の関係も、いわゆる“師弟”や“友人”といった単語で表現しきれない、もっとやわらかくて絶妙な距離感がある。ぶつかりながらもどこか似ているふたりが、対話を重ねることで見えてくる社会の“ほころび”と“希望”。ドラマを観終わるころには「自分の半径5メートルには、どんな問いがあるだろう」と、少しだけ目線を変えて世界を見てみたくなる。

『燕は戻ってこない』:産むこと、産まれること、生きることの交差点で

『燕は戻ってこない』は、石橋静河演じる主人公・理紀(リキ)を軸に、“代理母出産”というセンシティブなテーマを真正面から描いた作品である。北海道での介護職を辞め、東京で非正規雇用として働きながら困窮する29歳のリキが、ある日、同僚の紹介で卵子提供を持ちかけられたことをきっかけに、やがて「プランテ」という海外系クリニックの仲介で、国内では認められていない代理母出産の当事者となっていく。

リキは“他人の夢”を叶えるために自分の身体を貸し出すことへの葛藤と、出産を通して芽生える感情との間で揺れ動く。本編では「心は母親仕様になどなっていないのに」「夢は、他人に負担を強いてまで叶えるものじゃないと思う」といった、鋭く切実な台詞が重く響く。

産みたいけど産めない女性、産めるけど選べなかった女性、そして産まないことを選ぶ女性。それぞれの視点から「女性」という属性に課された期待や抑圧を浮かび上がらせる。

単なる社会派ドラマにとどまらず、物語後半には子どもを巡るミステリー要素も加わり、展開は息つく暇もなく進む。正義や感情の答えを一つにせず、多層的に問い続けることで、観る者自身に「私はどう生きたいのか」を静かに問いかけてくる作品である。『燕は戻ってこない』は、まさにドラマ10の真骨頂ともいえる一作だ。

『宙わたる教室』:火星のクレーターに夢を託す、定時制高校の青春譚

都立東新宿高校定時制を舞台に、窪田正孝演じる理科教師・藤竹叶と生徒たちの挑戦を描いた青春群像劇ともいえる『宙わたる教室』。窪田にとっては、NHKドラマ出演が2020年の連続テレビ小説『エール』以来となる。

家庭や経済的事情、さまざまな理由で昼間に学校へ通えない生徒たちが集まる定時制。その環境のなかで、藤竹は「科学部」を創設し、生徒たちとともに「火星のクレーターを再現する」という一見突拍子もないプロジェクトに取り組む。学会発表を目標に、ときに衝突しながらも支え合う実験を重ねる姿は、まさに“希望”と“再挑戦”の物語である。

「夢に優劣なんかありませんよ」。そんな藤竹の言葉が象徴するように、本作は科学というツールを通じて、それぞれの生徒が自らの可能性を見出していく過程を丁寧に描く。失敗を恐れず、一歩踏み出す勇気を与えてくれる作品である。

『東京サラダボウル』:交差する人生と異文化、その“かけら”に光を当てて

国際捜査係の警察官・鴻田麻里(奈緒)と、中国語通訳の有木野了(松田龍平)がバディを組み、多文化が共存する現代東京の“今”を描いた社会派ヒューマンドラマ『東京サラダボウル』。

外国人による事件や差別の構造、その背後にある制度の壁や無意識の偏見――物語はそれらに真正面から向き合い、一人ひとりの人生に丁寧に寄り添う。ときに刑事ドラマ的な緊迫感を見せつつも、核にあるのは“他者の痛みを想像すること”だ。

本作では、日本に住む外国人だけでなく、性的マイノリティや社会的弱者の視点までもが重層的に描かれていく。有木野自身も人生の展望を抱けず、それでも「警察のなかでだけは上手くやりたい」と願っていた。そんな彼の弱さと誠実さに触れた麻里は、大きめの部屋着を用意し、茶を淹れて迎えるなど、静かな優しさを見せる。

二人はベタな恋愛関係に陥ることなく、互いを対等に尊重し、ともに在日外国人の苦境をすくい取ろうとする。麻里の「人は目の前からいなくなっても、残された人のなかで“かけら”として生き続ける」という言葉が示すように、本作は“誰かの人生に触れる”ことの意味を問い続ける。

『しあわせは食べて寝て待て』:「無理しない幸せ」を見つける団地暮らしの処方箋

『しあわせは食べて寝て待て』は、難病・膠原病を患った女性が、自らのペースで暮らしを立て直していく過程を描いた全9話のヒューマンドラマである。タイトルの通り、本作が伝えるのは“がんばらなくても、しあわせはやってくる”という優しいメッセージだ。

主人公・麦巻さとこ(桜井ユキ)は、病を機にフルタイム勤務を辞し、家賃5万円の団地へ引っ越すことを決意する。彼女は団地の住人たちとの出会いを通じて、薬膳の考え方に触れ、身体と心を少しずつ整えていく。加賀まりこ演じる大家の鈴や、料理番の司(宮沢氷魚)との関わりは、彼女の人生を少しずつ変えていく大きな要素だ。

年齢による労働機会の不平等、病気による孤立感、将来への不安といった社会問題が丁寧に描かれながらも、物語は決して重くなりすぎない。レンタルスペース設立の夢が頓挫した場面では、理想と現実のギャップにぶつかりながらも、それを糧にして前を向こうとする主人公の姿が描かれる。

生きづらさを抱えるすべての人へ、“頑張りすぎなくていい”と語りかけるこのドラマは、現代の処方箋のような一作である。

物語の本質を、誠実に描く

NHK「ドラマ10」枠は、社会の片隅で見過ごされがちな声や、複雑な生きづらさに静かに寄り添ってきた。

『半径5メートル』の女性週刊誌記者たちが見つめた身近な「モヤモヤ」、『燕は戻ってこない』で描かれた生殖をめぐる葛藤、『宙わたる教室』での希望ある実験、『東京サラダボウル』が照らした異文化共生のリアル、そして『しあわせは食べて寝て待て』の“無理しない生き方”。

そのどれもが、現代を生きる私たちに深い問いを投げかけてくれる。名作が続く理由は、派手な演出ではなく、心に静かに届く“物語の本質”を誠実に描いているからに他ならない。


ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X(旧Twitter):@yuu_uu_