ローズマリーは、昔から「記憶のハーブ」として知られてきました。
実際、シェークスピアの『ハムレット』でも、その香りが記憶力を呼び覚ますかのように語られています。
アメリカのスクリプス研究所(TSRI)で行われた研究により、ローズマリーに含まれる抗炎症成分「カルノシン酸(CA)」を安定的な「diAcCA(ダイアセチル化カルノシン酸)」と呼ばれる安定的な物質に変換し、アルツハイマー病モデルのマウスに投与したところ、記憶力向上や神経のシナプスを増加させる効果があることが示されました。
このdiAcCAは、胃の酸性環境でカルノシン酸(CA)に変換された後に吸収されるため、酸化されやすいCAを十分に活かせる仕組みが特徴です。
炎症や酸化ストレスを抑え、有害なタンパク質凝集体まで減少させるこの物質は、既存の治療薬とも併用できる可能性を秘めているといいます。
果たして、私たちの脳を守る鍵は“ハーブ”に隠されているのでしょうか?
研究内容の詳細は『Antioxidants』にて公開されました。
目次
- 古来の伝承×現代科学:ローズマリーが担う“記憶”の鍵
- “記憶のハーブ”は本物か? 最新科学が示すローズマリーの潜在力
- 次なる一手は臨床試験! ‘記憶のハーブ’がもたらす革命
古来の伝承×現代科学:ローズマリーが担う“記憶”の鍵
ローズマリーは古くから「記憶を呼び覚ますハーブ」として伝承され、これにはいくつかの歴史的・文化的背景があります。
たとえば中世ヨーロッパでは、ローズマリーの枝を結婚式や葬儀の際に用いる風習があり、当時の人々が“思い出”や“記憶”と深く結びついた象徴として扱っていたことが知られています。
また、シェークスピアの戯曲『ハムレット』に登場するオフィーリアの台詞(「ローズマリー、それは想い出のためのもの」)が有名で、これがさらに「ローズマリー=記憶」というイメージを広く印象づけたとも言われます。
こうした伝承には、ローズマリーの爽やかな芳香が精神を活性化させたり、集中力を高めたりする経験的な知見が含まれていた可能性があります。
実際、近年の研究では、ローズマリー精油に含まれる1,8-シネオールなどの香り成分が、一時的に脳の覚醒度を高めるだけでなく、ストレス軽減や作業記憶パフォーマンスを改善する可能性があると報告されました。
小規模ながらも、これらの成分を含むローズマリー精油を吸引することで、短期記憶や注意力が向上したという実験結果も存在します。
一方で、こうした効果はあくまで一時的・補助的なものであり、慢性的な記憶障害や神経変性に直接対処するほどの強力な作用ではない点も指摘されています。
それでも、民間伝承から得られた知見と、現代の研究で示唆されるローズマリーの認知機能サポート効果が相まって、ローズマリーやセージに含まれるカルノシン酸(CA)は科学的にも炎症や酸化ストレスを抑える物質として注目を浴びるようになりました。
しかしながら、カルノシン酸は極めて酸化されやすく、そのままの形では保存や投与が難しいという課題がありました。
そこで、スクリプス研究所の研究者たちは、カルノシン酸を安定化させた形「diAcCA(ダイアセチル化カルノシン酸)」を新たに合成し、体内で十分に抗酸化や抗炎症の働きを発揮させる方法を開発しました。
炎症そのものによって活性化される性質を持ち、必要とされる場所で効率よく作用すると期待されています。
さらに、カルノシン酸そのものは米国食品医薬品局(FDA)から「一般的に安全とみなされる(GRAS)」として認められており、臨床応用へのスピード感も期待できます。
では、この安定型のカルノシン酸を実際にアルツハイマー病の治療に活かすことはできるのでしょうか。
そこで研究者たちは、この diAcCA をアルツハイマー病モデルマウスに投与し、記憶機能や神経組織への影響を詳細に調べることにしました。
“記憶のハーブ”は本物か? 最新科学が示すローズマリーの潜在力
この研究では、アルツハイマー病を引き起こす遺伝子を持つ「5xFADマウス」と呼ばれる特別なマウスが使われました。
これらのマウスは、ヒトのアルツハイマー病に似た症状として脳内にアミロイドβやリン酸化タウ(pTau)が溜まり、記憶力や学習能力に問題を抱えるようになります。
研究チームは、このマウスに合成した「diAcCA(ダイアセチル化カルノシン酸)」を3か月間にわたって経口投与し、行動や脳の状態がどのように変化するかを詳しく調べました。
まずユニークだったのは、単に薬を飲ませるだけでなく、「モリス水迷路」と呼ばれるテストを使って記憶と学習能力を客観的に測定した点です。
これは水の張った円形のプールで、マウスが隠された足場を探し当てるまでにかかる時間を調べる実験で、記憶機能が低下している場合は足場の位置を覚えられず何度も迷ってしまいます。
さらに別の「恐怖条件付けテスト」なども組み合わせ、どのくらい覚えていられるかを多角的に観察しました。
これらの行動テストに加えて、脳組織を顕微鏡で詳しく調べ、アミロイドβやリン酸化タウなどの有害なタンパク質の蓄積や、ニューロン同士の結びつきを示す「シナプス」の密度を測定しました。
その結果、diAcCA を投与したマウスでは、アミロイドβとリン酸化タウの蓄積が明らかに減少し、シナプスの数が増え、学習や記憶のテストでも有意な改善が見られたのです。
ローズマリーを直接摂取してもアルツハイマー病には対抗できない
論文などの最新の研究では、ローズマリーに含まれるカルノシン酸が抗酸化や抗炎症作用を持つことが示されていますが、純粋なカルノシン酸は非常に不安定で、体内で容易に酸化されてしまうという課題があります。このため、従来のローズマリーの直接摂取では、十分な量の活性成分が脳に届かず、アルツハイマー病の改善には不十分であることが明らかになっています。ですが今回の研究ではカルノシン酸を安定化したプロドラッグ「diAcCA」を開発し、胃内でCAに変換された後に十分な量が血流を通じて脳に届けられる仕組みを実証しました。この研究結果から、アルツハイマー病の治療においては、単にローズマリーを摂取するのではなく、こうした安定化された化合物を利用するアプローチがより有望であると考えられています。
さらに注目すべきなのは、炎症を引き起こす細胞の活性化が抑えられていたことでした。
脳内の問題を引き起こしている「炎症」の部分だけでdiAcCAが効率よく作用し、正常な組織にはあまり影響を与えないという選択性の高さが確認されたのです。
従来のカルノシン酸をそのまま飲むよりも約20%多くのカルノシン酸が血液中に残ることも示され、「diAcCA は、体内で必要な場所に届く前に酸化されてしまう」という弱点を克服できることがわかりました。
毒性試験では胃や食道の炎症が軽減されるなど、安全性が高いだけでなくむしろ有益な効果も示されたといいます。
この研究の革新的な点は、ローズマリー由来のカルノシン酸を単に安定化しただけでなく、「炎症が強い部位だけで薬が活動を強める」というプロドラッグ設計を実証し、脳内のシナプス回復と炎症抑制を同時に実現したからです。
アルツハイマー病治療薬は、アミロイドβを除去する抗体医薬などが注目を浴びてきましたが、副作用リスクや炎症対応などの課題も依然として残ります。
今回のdiAcCAの成果は、そうした課題を克服しうる新しいアプローチとして、大きなインパクトを与えると考えられます。
次なる一手は臨床試験! ‘記憶のハーブ’がもたらす革命
今回の研究の成果は、ローズマリーに含まれるカルノシン酸を「diAcCA」という形で安定化させることにより、脳内の炎症と酸化ストレスの両面でアプローチできる新たな治療法の可能性を示しています。
カルノシン酸は、Nrf2と呼ばれる転写因子を活性化し、細胞を保護する抗酸化酵素を増やす働きがあると考えられています。
アルツハイマー病には、アミロイドβを狙う抗体医薬やリン酸化タウを標的とする方法など、さまざまな治療薬が開発されてきました。
しかし、これらの治療薬は特定のタンパク質を排除する効果がある反面、脳に浮腫や出血などの炎症リスクを引き起こす「ARIA-E/H(アリア)」と呼ばれる副作用が課題になります。
一方、今回のdiAcCAは、炎症そのものの発生を抑制するメカニズムを備え、さらに脳の「シナプス密度」を改善したり、関連タンパク質の凝集を減少させたりする効果が確認されました。
しかも、カルノシン酸はすでにFDAから「一般的に安全とみなされる(GRAS)」として認められており、その転用によって臨床試験を迅速に始められる可能性があります。
これは医薬品開発の大きなボトルネックの一つである「安全性の検証」をある程度クリアしていることを意味し、既存治療との併用なども含めて多様な研究展開が期待されます。
さらに、アミロイド抗体療法との併用によって、脳浮腫や出血リスクを軽減できる可能性が示唆されている点も注目に値します。
抗体医薬が脳内アミロイドβを除去する一方で、diAcCAが炎症や酸化ストレスを制御することで、双方の弱点を補い合う相乗効果が期待できるわけです。
今後は、実際のヒト患者を対象とした試験で、最適な投与量や長期的な効果を検証する必要があります。
加えて、アルツハイマー病以外にも、炎症が関係する心臓病や2型糖尿病、さらにはパーキンソン病などの神経変性疾患への応用にも道が開けるかもしれません。
とはいえ、まだ前臨床の段階であり、ヒトでの有効性が確立したわけではありません。
ローズマリーの香りが「記憶」を呼び覚ますという古来の言い伝えは、科学的な実証を伴って新しいステージに入りつつあります。
diAcCAを中心とした研究開発がさらに活発化することで、アルツハイマー病の進行を抑えるだけでなく、記憶を取り戻すための治療選択肢が広がっていくことが期待されます。
元論文
diAcCA, a Pro-Drug for Carnosic Acid That Activates the Nrf2 Transcriptional Pathway, Shows Efficacy in the 5xFAD Transgenic Mouse Model of Alzheimer’s Disease
https://doi.org/10.3390/antiox14030293
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部