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「神様って何だろう」幼い日の問いが、人生のどん底で再びよみがえるまで|タントラと私・前編【連載 #60代のリアル】

  • 2026.10.31

「サイババにでもなるつもり?」

十数年前、「ヨガの資格を取るために勉強しなきゃいけないから」と、飲み会の誘いを断り続けた時、学生時代からの友達に言われた言葉だった。

ちまたではホットヨガに通う人もたくさんいたが、一方でまだまだ「ヨガ=インド=サイババ」程度の認識しかなかった同年代もたくさんいた時代だった。

と人のことをいえるほど、私だって、時代の最先端を走っていたわけじゃない。

けれど、なんだかわからないけど惹かれていた。

もっと勉強したいと思っていた。

「イシューヴァラ」「自在神」…私の中で、深く眠っていた何かを呼び覚ます言葉たちだった。

 

母は敬虔なクリスチャンだった。

母自身もキリスト教系の、いわばお嬢様学校の出身で、私も中学で受験して母の母校に通うようになった。

父は母の母校に憧れる慶應ボーイだった。

学歴も家柄も、おそらくちょうどいい組み合わせの二人はお見合い結婚で結ばれた。

父は母を大事にした。

毎週日曜日には、母を、六本木にある鳥居坂教会まで車で送り届けた。

その様子はおそらく教会でも有名だったのだろう。

母は嬉しそうに「教会のみんなから、ご主人様ももうすぐここにおいでになるようになるわねって言われるのよ」とよく話していた。

おそらく母は死ぬまで知らなかっただろう、父が、私と二人だけの時にいつも「宗教なんてなくなればいい。宗教なんてあるから争いが起こるんだ」と言っていたことを。

夫婦なんてそれでいいのかもしれないが、間にいる子供の私はとても複雑な思いだった。

私自身、まず最初に近所の仏教系の幼稚園に通わさせられ、そこで「神様」と呼ばれていた、毬栗頭で細い目をした銅像のこともよく覚えていた。

だから、最初に学校の礼拝堂で「キリスト」と呼ばれる像を見た時は、違和感しかなかった。

ルックスが違いすぎる。

「神の子イエス」でしょ?つまり「神=この人(キリスト)のお父さん」も、見た目こういう感じってことでしょ?

どういうこと?

しかし、なんという雑な話なんだろう?

今でもそう思う。

「神様」というものに対する扱いの、この雑さは日本ならではかもしれない。

どう考えても、すごく大事なこと、なのに誰からの説明もない。

そんな時に父の、現実的で乾いた「宗教なんてなければいい」という言説を投げつけられ、どんな顔したらいいかわからなかった。

父は正しい…かもしれない。

宗教が争いの原因になることもある。「なくなればいい」は暴論だけど、そう言いたくなる気持ちもわからなくはない。

けれど。

子供ながらに、私は父の言葉にはどこかでうなづけなかった。

「神」という言葉の響き。

寝てばかりいたけど、早朝の礼拝堂のシンと冷たい静けさは嫌いじゃなかった。

都合よく「神頼み」なんてのもあるけど、でもそれも人の可愛げだと思えるし、手を合わせて祈り、神の名を口にしながら人に寛容であろうとする人たちのやさしげなしぐさも好きだ。

私には悪いものには思えなかった。

そんなとき、ふっと思ったのだ。

「神様って外側にいる【誰か】じゃなくて、自分のことなんじゃない?」

なぜそんな言葉が湧いてきたのかわからないけど、そう考えると、自分に似せたり、自分が好きなものをその形にしたりして、多種多様な神様がいたって不思議じゃないと思えた。

けれど、誰ともそんな話をする機会はなかった。

母に言えば怒るだろう…「そんなことより、宿題はしたの?」と。

 

そんなことはとっくに忘れていた30歳の時、調停で元夫との離婚が成立した。

時はWindows95の時代。

人生をリセットし、思い切って生き方を変えたいと思っていた私に、インターネットの世界はとても眩しかった。

「インターネットに関わる仕事がしたい」

けれど、バブルがはじけた日本はいわば就職氷河期。しがない30女に働き口などなく、派遣社員として食い繋いだ。

合間に独学でさまざまな資格をとり、やがて希望していたIT業界への転職を果たした時には40歳になっていた。

40歳の新入社員は歓迎会も開かれず誰からも期待されなかったが、10年派遣で働き臨機応変に色々できたおかげで少しずつ仕事の幅が広がった。

やがて、Web解析ツールを担当することに。

最初は製品セミナーを開いても3名くらいしか来なかった。

ところが、開発元がGoogleに買収された途端、状況は一変した。

セミナーは満席どころか立ち見が出るほどになり、製品は日本を代表する大企業や官公庁に次々と採用された。

おかげで私を含む製品チームは社長賞を受賞。それだけでなく、Googleからも世界的な売り上げを達成したとして、その功績を表彰された。

離婚から15年。

リセットした人生をまた一から積み上げて、「インターネットに関わる仕事を」という夢が叶っただけでなく、あれよあれよとその世界の頂点にまで上り詰めた。

この頃の私は、恋愛や家庭への夢が潰えた分、仕事で評価されること、成果を出すことが自分の価値であり、生きる意味と強く結びついていた。

だから、仕事を失うことなんて、絶対考えられなかった。

だからこそ、予期せぬ事態からその仕事を失った衝撃は相当のものだった。

私たちの製品の販売を終了すると知らされたのは、ネットニュースだった。

Googleは私たちパートナーにではなく、いきなり全世界に発表することで製品の販売を一気に終了させたのだ。

絶望。

海外ベンダーとのやりとりというこれまで経験のない重責を担いつつ、たくさんの業務をこなしていた私は、40代半ばから重い不眠症に悩まされ始めていたが、これを機に病状は一気に深刻なものになった。

幻聴、手の震え、思考が回らない…やがて、休職へ。

離婚後から長い年月をかけて築いてきた「仕事」「夢」「自信」「社会の中での自分の居場所」が一気に失われ、私の人生は完全な「更地」になった。

「神様なんていない」

心からそう思い、自分を呪った時期だった。

松木千枝

1963年生まれ。IT企業で営業職として働く中で、そのストレスから重度の不眠症を発症し、50歳でヨガと出会う。54歳でヨガインストラクターに転身。2025年、東京都大田区長原にスタジオをオープン。日本アーユルヴェーダ協会会員。

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