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小学校6年分の算数は24時間で終わる!? “不登校“のわが子の学習にあせる親へ[教育ジャーナリストが解説]

  • 2026.10.30
cocrecoイメージ写真:Paylessimages/イメージマート

子どもが不登校になったとき、保護者が強く不安になるのは「勉強が遅れてしまうこと」ではないでしょうか。同級生が学校で授業を受けている間に、わが子だけが取り残されていく焦燥感。

しかし、学びの現場を約20年取材してきた教育ジャーナリスト・おおたとしまさ氏は、新著『フリースクールという選択』(講談社+α新書)5月11日刊行の中で、その不安の多くは「幻想」であると説いています。

「本人がその気になれば、いくらでも追いつける」――そう語る根拠と、私たちが知っておくべき「勉強の本質」について、本書より一部再構成してご紹介します。

「不登校だと勉強が大変」は思い込み

「七五三教育って知ってますか? 小学校で7割、中学校で5割、高校で3割しか身につかない日本の学校教育を揶揄(やゆ)する、昔からある表現です。

つまり、一般的な学校に行っていたって平均すれば、小学校は4.2年分、中学校は1.5年分、高校は1年分しか身についていないということです。

その代わりツクルスクール(市民立小中高一貫校「瀬戸ツクルスクール」)の高等部では、思い切り負荷をかけます。普通の高校の5倍速くらいで学んでもらいます。

15歳を超えて発達が安定してきてから本人がやる気になればそれは可能なんです」と瀬戸ツクルスクール代表の一尾茂疋(いちおしげひこ)さん。

私はこれまでたくさんの教育現場で「本人がやる気になれば勉強に関してはいくらでも追いつくことが可能」と語られるのを耳にしました。私は教育者ではありませんが、本当にそうなんだろうなと思っています。

サドベリー教育の創始者のダニエル・グリーンバーグ氏は、著書『世界一素敵な学校』(緑風出版、訳:大沼安史)で、「読み書きができないまま卒業する子どもは一人もいない」「小学校の算数は24時間で終わらせることができる」という主旨を述べています。

和光大学現代人間学部教授で心理学者の髙坂康雅さんも著書にこう書いています。

「多くの人が思い込んでいることとして三年間不登校で勉強していなかったら、取り戻すまでに三年かかるというものがあります。ですが、そんなことはありません。

中学三年生の子どもがこれまでの勉強をやり直すとしたら、はっきり言って、小学校六年間の学習は三ヵ月から半年で学べますし、中学校三年間の学習も一年程度で学べます。

実際には、学校で学ぶ期間よりもはるかに短い期間で同じ知識を身につけることができるのです」

本書の取材とはまったく別のところで知り合った高校3年生は「学校って何だろう?」という問いを抱いていると私に訴えます。彼女は自らの経験を私に語ってくれました。

学校に行かなくても中学受験できた

「小1の1学期で学校には行かなくなりました。でも、楽しみながら勉強する方法を教えてくれるちょっと変わった塾を親が見つけてくれて、週1回4時間だけ、そこに通いました。

それだけで、小学校の勉強に遅れは感じませんでした。実際、中学受験もできました。

弟も、まったく小学校には通っていません。塾にも行かなかったので、小6でもかけ算九九ができませんでした。

でも彼も中学受験を決意してからは目の色を変えて勉強しはじめ、なんと1ヵ月で6年間の国語・算数を終えてしまいました」

彼女との議論を通して、「学校って何だろう?」という問いの真意は「学校は本当に子どもをしあわせにしているのだろうか?」であると感じました。

もはやこれは問いというよりも、多くの不登校当事者の叫びではないでしょうか。

学校に行ったってどうせ勉強はしない

私も保護者から「学校に行かなくて、勉強は大丈夫なんでしょうか?」という不安の声をよく聞きます。正直に言うと、それは私にはわかりません。

ただし、学校に行っていれば勉強が自動的にできるようになるなんてことも幻想であることは、わが身をふりかえってみれば誰でも気づくのではないでしょうか。多くのひとは、学校で、勉強なんて、ほとんどしていないのです。でしたよね?

その意味では、不登校の子たちと変わりません。逆に学校に行っていないあいだにたくさんの本を読んで、学校では教えてくれない膨大な知識や教養を身につけたひとだってたくさんいます。

それに、こういうときに念頭に置かれている「勉強」はたいてい、入試を突破するための受験勉強にすぎません。しかも日本社会においてそこは、学習塾に牛耳(ぎゅうじ)られているのが実態です。

だとしたら、学校に行かないことの何をそんなに焦る必要があるのでしょうか。

学校に意味がないと言いたいのではありません。学校での勉強は本来、受験勉強のための知識の詰め込みではありません。

煎じ詰めれば学校とは、数学、外国語、国語、理科、社会科、音楽、芸術、体育など、さまざまな学問の入口に立ち、そこから中をのぞき込み、垣間見(かいまみ)られる世界に感動する経験をしに行くところだと私は思います。

その感動を得るために、教科書を端から端まですべて網羅する必要なんてありません。大人になって生きていくために必要な知識や技能だって、教科書の中のごくごく一部にすぎません。

実際大人になった私たちは、小中高のテストのために覚えた知識をいまどれだけ覚えているでしょうか。因数分解も化学式も古文法も、少なくとも私は、ほとんど覚えていません。

でも、そういう世界を覗いたクオリア(体験質。体験にともなって得られた言葉にならない感覚)だけは心のどこかに残っています。

そのクオリアを心に刻むことが教科学習だとするならば、むしろおしなべて教科書をやろうとしないほうがいい。それならば、フリースクールでも十分できる。いや、フリースクールのほうがやりやすい面すらある。

【編集部より】

「いま勉強をしないと、将来取り返しのつかないことになるのではないか」という不安は、親であれば抱いて当然ともいえます。

しかし、著者のいうとおり、私たち大人はかつて必死で暗記した数式や文法の多くを忘れても日々生きのびています。

勉強の「遅れ」という目先にとらわれすぎず、子どもが自身のペースで、自分らしさを取り戻し、何かに夢中になったりイキイキできること。それこそが、フリースクールという選択が親子にもたらしてくれるものなのかもしれません 。

新刊『フリースクールという選択』(講談社+α新書)では、フリースクールその後の進路についてもくわしく紹介しています。

おおたとしまさPROFILE

教育ジャーナリスト。1973年東京生まれ。リクルートから独立後、教育に関してさまざまな観点から取材を行い、著書は90冊以上。どこの組織にも属さない在野の視点で現代の教育への考察・提言を続けている。メディアへの出演や講演も多数。

cocreco“フリースクール探し”で最初に読む本、登場! 『フリースクールという選択』(著:おおたとしまさ/講談社+α新書)
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