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小児外科医の父親も戸惑った“わが子の性別違和” 「スカートは無理」「乳房はいらない」「学校へ行けない」…子どもの叫びをどう受けとめた?

  • 2026.11.4
cocreco写真:アフロ

自分の子が出生時の性別と異なる素振りや発言をしたら、親はどう見守ればよいのか。

小児外科医で作家の松永正訓(ただし)さんは、「性別違和」に苦しむわが子と伴走し続けた23年間を1冊の本にまとめました。

不登校、男女別の制服、パニック症の発症、乳房の切除……子どもと親が幾度となくぶつかり乗り越えてきた壁とは。(聞き手・石原壮一郎)

●松永 正訓(まつなが・ただし)

医師・ノンフィクション作家。1961年、東京都生まれ。1987年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)にて第20回小学館ノンフィクション大賞(2013年)を受賞。著書多数。

困難を抱える子の親に読んでほしい

光(ひかり/仮名)さんは、現在(2026年夏)23歳。小学生のころから自分が女性の身体を持つことに反発を覚えていました。一時期は学校にも行けなくなりました。

『性別違和に生まれて 父と子で綴った23年』(中央公論新社)は、挫折と再チャレンジを繰り返してきた光さんと、苦しむわが子を支え続けた父親で医師・作家の松永正訓(ただし)さんとの「共著」です。

光さんの成長過程ごとに10の章で構成され、父親から見た光さんと、光さんが振り返った自分自身について、それぞれていねいかつリアルに綴られています。

松永正訓さん(以下松永/敬称略):最初は出版社から「往復書簡を書きませんか」と言われたんです。親子で手紙っていうのも恥ずかしいので、共著という形になりました。

光が文章が得意なのは知っていましたが、自分としっかり向き合って内面を深く掘り下げていたのはビックリです。ぼくも読むまで知らなかったことがたくさんありました。

自分の子どもの性別違和について書くのは、正直言って怖かったです。LGBTQ+について理解が広がってきてはいるものの、偏見や差別もまだまだある。光は本が出てからも、どんな反応があるのかを気にして「怖いよ、怖いよ」とおびえてます。

小児外科のクリニックを開業して20年(2026年時点)になりますが、これまで延べ30万人の子どもを診てきました。不登校だったりイジメに遭ったり、家庭が崩壊していたりなど、生きづらさを抱えている子どもがたくさんいる。親御さんも苦しんでいる。

この本をいちばん読んでもらいたいのは、生き方に困難を抱えた子どもを持ったご家族ですね。人生は何度でも再チャレンジできる。投げやりにならずにがんばって歩き続けていればきっといいことがある。そう感じてもらえたら嬉しいです。

自分らしく生きろと教えたのに周囲の目が気になった

──わが子が「性別違和」を持っていると知ったときは、どう感じたのでしょうか。本書には、光さんの苦しみだけでなく、親である松永さん夫妻の苦悩や戸惑いも描かれています。

松永:妻は光が小学校4~5年生のころから、性別違和に気づいていたようです。ぼくは「男まさりな子だな」ぐらいに思っていただけでした。光は自分でも気持ちを整理できない状態だったのか、5年生のときに不登校になります。

妻は「学校、行けなかったら行かなくていいよ」と言って、「でも家にいたら、心の栄養が瘦せ細っちゃうから」と、美術館や博物館、遊びのイベントなどに連れ出していました。

小学校を卒業する少し前、妻と光がぼくの書斎に来て「中学校に学ランで行きたい」と話したんです。そのとき妻に「光は性同一性障害なの。あなた、気づかなかった?」と言われました。何の知識もなかった私は、本を買い込んで勉強を始めました。

驚きはしましたが、「困ったことになった」とか「何かの間違いだ」といった気持ちは、当時も今もまったくありません。光は光です。夫婦のあいだで、光をしっかりサポートしていこう、全力で守っていこうということで気持ちは一致しています。

とはいえ、今思い出しても情けなくなる出来事もありました。光は小学校の卒業式に学ランを着て出席しました。よく似合っていたし、光も嬉しそうでした。ただ、式場を歩く光を見て、ぼくは同級生や保護者からどう見られているかを考えて緊張していたんです。

幼いころから「人からどう見られるかは関係ない。自分の生き方を生きなさい」と光に言ってきたのに、私自身が人の目を気にしている。ダメな親だなあと自分を責めました。

「こんな子でもいい?」涙するわが子にかけた言葉

──光さんはLGBTQ+に理解がある中高一貫校に進学しました。しかし、中学3年生のときにパニック障害を発症。どうにか高校に進学してからも、さまざまな理由で学校に行けなくなり、1年生の終わりごろに退学しました。

松永:不登校になったり高校を辞めたりした15、16、17歳のころは、光にとってひじょうに苦しい時期でした。毎晩、ぼくの書斎に来て「こんな子でもいい?」「嫌いにならない?」と、泣きながら不安な気持ちを漏らしました。

そのたびに「いいに決まってるじゃないか」「嫌いになんて絶対にならない。親は子どもの面倒を見られるのが幸せなんだよ」と慰めました。本人は、かなりギリギリの状態だったと思います。

小学校でも中学校でも、先生たちは光に精いっぱいの配慮をしてくれました。年代的にはLGBTQ+の生徒とどう接するかなんて教育は受けていない方が多いでしょう。でも、深い思いやりを持って光を受け止めてくれた。光も私も、とても感謝しています。

17歳の夏には「自分の胸がどうしてもイヤだ」と、乳房の摘出手術を受けました。光が悩んだ末に決めたことです。思うところはありましたが、理由を詳しくたずねれば責めているように感じるかもしれない。私は何も聞かず、手術を受けられる病院を探しました。

「男女別のスーツ」を強いる教育現場への絶望

──光さんは、高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)と大学入試に合格し、美術教師になることを目指して千葉大学教育学部に入学しました。しかし、またもや挫折を経験することとなります。

松永:入学したころはコロナ禍でほとんどがリモート授業だったこともあり、パニック症に苦しみながらも大学生活を送っていました。でも、教育実習に行くためのスーツをきっかけに「もう無理」となったんです。

授業では学生に、LGBTQ+も含めて多種多様な生きづらさや、障害を抱えた児童・生徒への理解や配慮が必要だと教えている。ところが、教育実習の説明会では、当然のように「男女別のスーツを着用せよ」と言われたんです。

ぼくも理解が甘く、それを聞いてパンツなら大丈夫だろうくらいに思ってました。ですが、光にとってはパンツスーツだろうが、女性用スーツを着用することはとてつもなく苦しいことだったんです。

その指示を聞いて光はあきれました。教育実習に行く何百人の中には、何人もLGBTQ+の学生がいるはずなのに、何の配慮もない。男女に分かれたスーツを強いられることが、当事者にとってどれだけ苦痛なのか、まったく理解しようとしていない。言っていることとやっていることが違う大学や教育の現場に、光は幻滅し反発を覚えたんです。

本の中で光は、女性用スーツを買った日のことをこう書いています。

〈帰宅して、床を拳で叩きながら泣きじゃくった。(中略)とにかく悔しかった。どうしても女性にカテゴライズされる自分が。カテゴライズする社会が。男女別のスーツを押し付ける大学が。〉

教員にはもうなれないと思った光は、リモートだけで卒業できる京都芸術大学通信制のイラストレーションコースに編入します。中学受験、高校卒業認定試験、共通テスト、大学試験、そして編入……何度目の再チャレンジだったでしょうか。

無事に卒業し、今は得意な絵をいかして、在宅で漫画家のアシスタントをしています。仕事があるというのは、とても大きいですね。

人間は自分が何者かわからないと苦しい。光は性に対するアイデンティティがないから、そこだけでもしんどい。でも今は、見違えるようにしっかりして、最近はぼくが相談に乗ってもらったり励まされたりしています。

マイノリティの側に自分を置いてみる

──近年「性別違和」「LGBTQ+」「トランスジェンダー(性自認が出生時の性別と異なる人)」といった言葉の認知度は、急速に高まりました。しかし、必ずしも正しい理解が広がっているとは言えません。

松永:性的マイノリティに対する偏見や差別には、根深いものがあります。マイノリティに光を当てるのがぼくの役割だと思っていて、これまでにも小児がんや発達障害、先天性染色体異常などをテーマにノンフィクションを書いてきました。

だけど同じマイノリティではあっても、性的マイノリティは、より強い偏見や差別にさらされていると感じます。

もしかしたら、一部の政治家が性的マイノリティに敵意を抱いていることが影響しているのかもしれない。性的マイノリティの苦しさやしんどさが、理解されづらいということもあるでしょう。あまりにも苦しくて、自ら命を絶つ原因になるケースも多いのに。

光が自分の乳房を手術で摘出したことや、女性用スーツに強い拒否感を抱いたことにも、「なぜそこまで?」と思う人もいるかもしれません。実感はできなくても、性別違和によってさまざまな苦しみを抱える人がいることは考えてみてほしい。

理解には3つのステップがあると思っています。まずは考えてみる。次は知ろうとする。知るだけで止まってしまうと偏見につながります。「津久井やまゆり園」の事件も、施設の職員が起こしました。中途半端に知ることで偏見を持ってしまった。

3つ目はもう一歩進んで、マイノリティの側に自分を置いて考えてみること。そうしてみないと、マイノリティのしんどさは理解できません。そこまで行かないと偏見は消えないし、差別は解消されないとぼくは思います。難しいし、ぼく自身もどこまでできているのかわかりませんが。

******

光さんと過ごした濃密な23年間を振り返って、松永さんは「やり残したことはない」と言います。親子の時間は、これからも続いていく。

光さんは本書で〈思いもよらぬ不幸があるのならば、(中略)幸福も思いもよらぬところから降ってくる。ならばその時に、幸福を摑める私でいたい〉と書いています。きっとこの先、たくさんの幸福が降ってくるに違いありません。

インタビューの後半では、わが子を「受容」するということ、差別はよくないとどう教えるか、親の役割と責任などについて聞きました。

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