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シニフィエ・小野晃太朗、新作では“現代の悪”を再考 舞台『百合鴎』インタビュー

  • 2026.9.14
小野晃太朗 クランクイン! 写真:丘田ミイ子 width=
小野晃太朗 クランクイン! 写真:丘田ミイ子

9月18日、19日の2日間、東京・すみだパークシアター倉にてシニフィエ『百合鴎』が上演される。シニフィエにとって2年ぶりとなる長編の上演。開幕を前にこれまでの歩み、劇作家としての思い、本作への意気込みについて、作・演出の小野晃太朗に話を聞いた。

【写真】劇作家として試行錯誤を続ける小野晃太朗 インタビューショット

■上演活動休止中にも戯曲を書き続けて

本作は、新たに始まった「すみだ五彩の芸術祭」の参加作品で、第69回岸田國士戯曲賞最終候補作にもノミネートされた小野晃太朗による新作戯曲でもある。「拐かし」「盗み」「殺し」の絡んだ物語である能の『隅田川』、歌舞伎の『隅田川続俤』、『都鳥廓白浪』の隅田川物の古典3作品を下敷きに、現代の「悪」をテーマに新たに立ち上げる群像劇。トクリュウや移民問題などの喫緊の社会問題も織り込みつつ、親子・友人・恋慕の情などの古典劇の要素を活かして、都市生活者の日常を切々と描く。

――シニフィエとしても、そして小野さんにとっても初のインタビューとのことなので、まずはこれまでの歩みからお聞かせいただけたらと思います。

小野:個人活動の屋号として「シニフィエ」を使い始めたのは、大学(日本大学芸術学部)卒業後の2015年頃からでした。自分は演出には向いてない、そんな大変なことはできないと思っていたのですが、在学中から劇作コースを専攻し、戯曲を書いていたので、卒業後も書き続けようとは思っていました。

元々文章を書きたくて、小説や映像脚本など他のジャンルもあったのですが、大学受験を前に母に野田地図の映像を見せてもらって劇作という選択肢を意識し始めたんです。母はまさに小劇場ブームの真っ只中を経験した人で、会社でも社員間でチラシの束が回ってきて観たい芝居に付箋つけてまとめてチケットを取る、みたいなことがあったみたいで。そんな背景もあり、「映画や小説も好きみたいだけど、演劇もいいんじゃない?」と。そんなこんなで大学時代は劇作を学びながら、授業の実習で演出部に参加したり、同期や先輩の劇団に俳優として少し出演したりしていました。

――卒業後には公演を打ったりもしていたのでしょうか?

小野:後輩の劇団と合同公演をギャラリーで行って、劇作のプロセスも展示したりしていたのですが、働きながらという状況もあり、なかなか継続は難しく……。そんな折に打とうとしていた公演が中止になっちゃったんです。結構その時のダメージが大きくて、主宰や演出はやっぱり向いていないんじゃないか、ということを改めて考えさせられ、シニフィエの上演活動としてはお休み期間に入りました。同時に、そんな風に自分から引き算をしていって最後に残るのは戯曲だったりするのかな、とか。そういうことを考えたりもしていました。

――シニフィエのお休み期間中も戯曲の執筆は続けられていたのですね。

小野:大学の頃にある先生が「作家っていうのは職業じゃなくて性格だから、ほっといても何かを書き出すんじゃないか」と言っていて……。だから、「書こう」というモチベーションがなくなったら、自分はもう作家でもないということだ、と思っていたんです。そしたら、やっぱりふと書きたくなる瞬間がおとずれて……。仕事も忙しかったんですけど、話がまとまった状態でAAF戯曲賞に出してみたら、一次選考を通過し、審査員の方からのコメントが載っていたのが本当にうれしくて、もう一度この人たちに読んでほしいなと思ったんですよね。それで、翌年はより集中して、その時に考えていたことや自分自身の内に深く食い込んだものを書いたら、大賞をいただいて。

■AAF戯曲賞大賞受賞後に再始動 小野作品に通底するテーマ性とは?

――第19回AAF戯曲賞大賞作品『ねー』ですね。これはどんなテーマで書かれた作品だったのでしょうか?

小野:どの作品にも通底しているのですが、加害や被害がテーマでした。幼少期の記憶やジェンダーについて考えていることなど、問題についての意識や無意識を手繰り寄せるように書いた作品で、「あれは気のせいではなかろうか、いや、そんなはずはなかったぞ」と確かめるように自分のこれまでを振り返りました。あと、当時は割とオーバーワーク気味で外界との接点がシャットアウトされ、世界と切り離されてしまっている気がしていたので、その繋がりを取り戻す意味でも、世の中で起きていることを自分なりにキャッチして言語化してみようと。そういう思いも根っこにありました。

――なるほど。幼少期からのご自身の経験を振り返りつつ、今の社会で起きていることを描こうとされたのですね。

小野:例えば、自分の身を守るために愛想よく返事をしたりすることが、相手にとっては好意と取られてしまうこと。そういう自分にも心当たりのある理不尽が世の中に数多存在していることをかなりやばいことだなと思ったりして……。そこからあらゆる被害が透明化されてきたことに気づき、糸が繋がった瞬間があったんです。

そして、こうした感覚は他のフィクションでは書けない、戯曲にこそ託せる実感だと感じたんです。幼少期に自分が負ったダメージや、今まで言語化できてなかったことや身の回りの人に起きていることを繋げていくことで見えるものがあるんじゃないか、と。そうした現在起きている出来事を劇の中に立ち上げ、登場人物に動いてもらうことによって未来をシミュレートすることはできないだろうか、と。そんな風に考えるようになりました。

――小野さんの戯曲は言葉の力で推進するところも大きな魅力で、私も何気なく使われている言葉を再考するきっかけにさせてもらったりしているのですが、そのあたりはどのように考えて執筆されているのでしょう?

小野:執筆中は政治や日本人の国民性みたいなものを考えることにもなるのですが、それは、日本語そのものについて考えることだとも思うんですよね。例えば、日本語には複雑なことを大味で曖昧なものにくるんじゃうところがあると思っていて、「いじめ」や「いたずら」「かわいがり」とかも言葉以上のやばいものを含んでいるのに、言葉によって起きていることが矮小化してしまっている、と思ったり……。そういう理不尽さへの気づきを1回取り出し、自分から排出したい気持ちもあります。

執筆の中では、自分の中の腹立たしいことリストを考えたりもするのですが、その上位に来るのが、被害を訴えた時に詳細やその証明をセットに要求されてしまうんだけど、そのことによって見た目や属性などのバイアスが外部から加わる、ということです。被害や加害をそれそのものとして受け取るにはどうしたらいいか。そういうことも考えつつ、言葉を選びながら執筆を進めています。

■演出への苦手意識や中止のトラウマを乗り越え、岸田國士戯曲賞ノミネートへ

――AAF戯曲賞を受賞後、シニフィエとしての上演活動も再始動されることになりましたが、これはどういう経緯やきっかけがあったのでしょうか?

小野:シニフィエが再始動する前から継続的に声をかけてくれていたプロデューサーが、受賞後にも上演の企画を持ってきてくれて……。その手を取るなら今だと思って、思い切ってやってみることにしました。上演に対する自信を喪失していたし、自分自身の回復も含めて一か八かのタイミングだったので、2015年にやった短編の『おわれる』をリライトして恐る恐る進めたのですが、結構上手くいったというか、望んでいるクリエーションの在り方に近づけたんです。その時のプロデューサーが、以降もドラマトゥルクとして伴走してくれたり、新作『百合鴎』にも一緒に考える人として参加してくれている豊岡演劇祭のプロデューサーでもある松岡大貴さんなのですが、本格的に一緒にやるようになったのは、この『おわれる』が最初でした。

――演出への苦手意識を乗り越えた公演だったのですね。具体的には、小野さんにとってどんなクリエーションの在り方が理想なのでしょうか?

小野:長らく演出が苦手だと思っていた理由の1つに、「リーダーシップを発揮するにあたって意識的に権威性を使わなければならない局面があるんじゃないか」と思っていた節があって……。というのも、当時は演出家へのそうした印象が根強かったですし、そうではないモデルがまだまだ少なかったんですよね。でも、自分はトップダウンではなく、ボトムアップで作りたい。一方で、指示やリクエストを明確に出さないと、俳優を困らせてしまうことにもなるから、ある程度の強さを持っていなくてはならないという葛藤もありました。

作・演出はそもそも分離していた方が健全なんじゃないかと思ったり、2人分の仕事を1人でやるのは良くないんじゃないか、といろいろ考えていたのですが、『おわれる』では座組とフラットに言葉を交わしたり、全員で考えながら動いたり試したりすることができ、このスタイルなら演出もできるかもと思ったんです。その後、中止のトラウマとなった『口火』を再構築して上演できたことをきっかけに、シニフィエを再始動させることになり、2024年に『ひとえに』をこまばアゴラ劇場で上演しました。

――そして、同作で岸田國士戯曲賞ノミネートへ。これまで以上に注目も集まったのではないかと思うのですが、当時の心境はどんなものでしたか?

小野:松岡さんには当初から「これで岸田を!」と言われていたんですが、上演活動に復帰して最初の新作だったので、まさかノミネートされるとは思っておらず、本当にびっくりしました。でも、紛れもなく渾身ではあったんです。自分の問題意識に向き合うところから始めて、正直に全力を尽くすしかない、という思いで執筆した作品でした。

執筆中は、あらゆる社会的なトピックスも追いかけていたのですが、情報の多さに心が追いつかなくなっていく瞬間もありました。感情が足元で横たわっているのだけど、それが息絶えて冷たくなってしまっているのか、それとも、ただ眠っているだけなのか。そういうことを確かめる気持ちで書き進め、立ち上げた作品でした。世の中に起きている「分断」、その中でもとりわけを同じ考え方同士の人たちの間に起きる争いを取り上げたい、という気持ちがありました。

――観客としても、その手触りはものすごく生々しく感じました。例えば、フェミニストを名乗る人を、同じくフェミニストを名乗る人が「あなたはフェミニストではない」と批判したりすること。そういう時の分断の果てしなさを痛感しながら、それでも他者と生きるままならなさと切実を感じる作品でした。

小野:そうなんですよね。結構そっちの方が深刻かも、と思っていて……。集まらなきゃいけない時に言い争いになる時の心の引き裂かれる感じとか、小さいことには目をつぶって大きいところでまとまろうってしてしまうこととかを考えるんですけど、歴史を振り返って考えると、小さいところに目をつぶり、「それはまたあとでね」と交わした約束を破ってきたから起きている分断もたくさんあって……。あと、自分と同じ思想や思考の仲間が大きな過ちを犯した時にどうしたらいいのかとかも考えましたね。

■3つの古典作品を原案に、現代の悪を再考する新作『百合鴎』

――ご自身の実感と対峙しながら、社会や世界で起きていることを見つめる。新作『百合鴎』を拝読し、改めて小野さんの作品にはそうした眼差しが通底していると感じました。シニフィエにとっては2年ぶりの長編新作であり、新たに始まる「すみだ五彩の芸術祭」の参加作品でもありますが、どんなところから着想を得たのでしょう?

小野:「墨田区の文化資源に関連した内容」という規定に則すとなった時に、松岡さんから「隅田川ものの古典の翻案はどうか」と聞かれたのが最初のきっかけでした。もともと川が好きで、建築と土木と言語表現の関連プログラムを受けたり、映像作品を作ったりもしていたので、「川」というモチーフはしっくりくるところがあったんです。

東北で育った幼少期から身近に川があったし、今住んでいる場所の近くの石神井川も隅田川につながっていたりするんですけど、能動的に調べないと分からないこともたくさんあって……。町を歩き、土地を身体で測ったり、体験してきた実感を言葉と上演で結びつける。そうしたことを試せるタイミングがあったらいいなと思っていましたし、翻案もいつかやりたいと思っていたので、今までやろうと思っていたけど実現しなかったことが詰まった作品になった気がしています。

最初は、筋があるからアダプテーションがいいかなと思ったのですが、結果的には能の『隅田川』、歌舞伎の『隅田川続俤』と『都鳥廓白浪』の3本を原案に束ねて、新作を書くことになりました。

――原案をもとに新作を執筆するうえではどんなことを意識されたのでしょう?

小野:やはり、能の『隅田川』には物語としての強さがあり、すごく引っ張られましたね。我が子の幻影なのか亡霊なのか、そうした正気と狂気の境目で出会う母親像を現代にスライドさせて考えた時に、子どもが行方不明になった時に親に疑いの目向けられることや、そこで遭遇する暴力性みたいなものを考えるに至ったんです。『隅田川』には着地しない別離と喪失の物語が通底していますが、行方不明となると、その人が失われたかどうかもはっきりしない、曖昧な不在の状態が続くので、喪失だけでなく、欲望と罪悪感の物語もあるのかもしれないと考えました。

あとは、もう1つのテーマとして「現代の悪について考える」というのがあり、そのあたりは歌舞伎の『隅田川続俤』と『都鳥廓白浪』から着想を得ています。どちらの作品にも、盗みや殺し、拐かしが出てくるので、そこを現代社会における闇バイトやトクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)の問題と繋げて考えたりしました。

――闇バイトやトクリュウはニュースでも連日報道されている、かなり喫緊のトピックですよね。

小野:そうしたものって、自分の生活に入り込むと危険だから遠ざける心理が働く一方で、「これだったら自分にもできそう」と思いかねない危うさもあると思うんです。巧妙な入口がデザインされているというか……。あと、闇バイトの組織側の手口に業務負担の分散がされていたり、案外普通のオフィスワークみたいな考え方が存在していたりすることも恐ろしいなと思ったんです。一方で、「悪事」と「悪意」が必ずしも重ならない部分もあると思っていて、例えば会計上の処理をミスったら法に触れちゃうとか、悪意はなくても悪事になっちゃうこともある。そういう風に視点を分散させて現在性に近づけながら、「悪」を解体していきました。そして、その結果、「これは人間が人間を使う物語なのかもしれない」というところに行き着いたんです。

人が人を使うって、ネガティブな言葉に聞こえるかもしれないのですが、必ずしも悪いことばかりではないとも思っていて……。例えば、瓶の蓋を開けてもらうとか高いところにあるものを取ってもらうとか、自分ができないことについてSOSを送受信するじゃないですけど、集団での役割っていうものがあるとも思うので、ポジティブ面とネガティブ面の両面から言葉や戯曲、上演を見つめていけたらと思っています。

――翻案ではなく、新作として作品に込めた思いが伝わるお話でした。最後に、稽古場でのクリエーションやキャストの魅力についてお聞かせ下さい。

小野:俳優さんたちには助けられてばかりです。大胆に試して、ざっくりとしたアウトラインを作っていくところから共有して進んでみたら、みなさんがすごいパスを返してくれて、その中で思いもよらぬ風景が積み上がっていって……。一人ひとりのアイデアや提案も非常に鋭いので刺激を受けていますし、応答の往復が豊かに重なっていくクリエーションになっています。

物腰は柔らかな方ばかりなのですが、都度ギアを上げたパフォーマンスをしてくださるので本当にリスペクトが絶えなくて。そういう姿を見ると、つい「かっこいい!」なんて圧倒されちゃうところもあるのですが、みなさんが全力で応答してくださる分、自分も思っていることをしっかり言語化してレスポンスがしたい、と。今朝も墨田川近くの稽古場に向かう電車の中でそんなことを考えていました。

(取材・文・写真:丘田ミイ子)

シニフィエ『百合鴎』は、9月18日・19日に東京・すみだパークシアター倉にて上演。

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