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『火の女神ジョンイ』で描かれた陶工たちの運命―「やきもの戦争」が変えた歴史

  • 2026.9.7

日本を代表する磁器の一つである有田焼。その発展の背景には、戦乱によって朝鮮半島から日本へ渡った陶工たちの存在があった。
韓国時代劇『火の女神ジョンイ』の主人公のモチーフとなった百婆仙(ペク・パソン)も、そうした歴史のなかで海を渡った人物の一人である。

彼女の人生をたどるには、まず16世紀末に起きた豊臣秀吉の朝鮮侵攻から見ていかなければならない。

豊臣秀吉の朝鮮侵攻で捕らえられた人々

朝鮮王朝第14代王・宣祖(ソンジョ)が国を治めていた1592年、豊臣秀吉は朝鮮半島への侵攻を開始した。日本で文禄・慶長の役、韓国で壬辰倭乱・丁酉再乱と呼ばれる戦争である。

朝鮮半島へ渡った日本の大名たちは、戦闘を続ける一方、多くの朝鮮人を捕らえて日本へ連れ帰った。

その目的は一つではなかった。農作業などに従事させる労働力の確保、人身売買、各地の産業を支える技術者の獲得など、さまざまな事情があったとされる。

なかでも大名たちが重視したのが、高度な技術を持つ職人だった。

優れた技術者を領地へ連れ帰れば、それまで作ることのできなかった工芸品を自前で生産できる。朝鮮王朝で陶磁器作りの技術を磨いていた陶工たちも、その対象となったのである。

日本で重宝された朝鮮半島の陶磁器

当時の日本では茶の湯文化が盛んになり、朝鮮半島で作られた茶器が珍重されていた。形の整いすぎていない素朴な器や、独特の色合いを持つ焼き物は、茶人や大名たちの間で高く評価された。

そのため、朝鮮半島の技術を持つ陶工を領地へ迎え入れることは、単に職人を一人増やすという話ではなかった。新たな産業を育て、藩の財政や文化的な権威を高めることにもつながったのである。

有田焼の始祖として知られる李参平も、この時期に朝鮮半島から日本へ渡った陶工の一人だ。李参平は肥前国佐賀藩主・鍋島直茂の軍によって連れてこられ、その後、肥前の地で陶磁器作りに携わったと伝えられている。

「やきもの戦争」という皮肉な呼び名

豊臣秀吉の朝鮮侵攻は、後世に「やきもの戦争」と呼ばれることがある。戦争を機に多くの朝鮮人陶工が日本へ渡り、その技術が九州を中心とする陶磁器産業の発展につながったからである。

しかし、この呼び名を単なる文化交流の象徴として受け取るべきではない。

日本の陶磁器技術が大きく進歩した一方で、朝鮮半島は甚大な被害を受け、多くの人々が命や故郷、生活の基盤を奪われた。

陶工たちが海を渡ったのも、自ら望んだ移住とは限らない。戦争の結果として、異国で生きることを余儀なくされた人々が数多くいたのである。

「やきもの戦争」という言葉には、日本の陶磁器文化が発展した裏側に、戦争によって人生を変えられた人々がいたという皮肉が込められている。

百婆仙につながるもう一人の名匠

この戦乱の時代に日本へ渡った陶工のなかに、深海宗伝と呼ばれる人物がいた。李参平と並び、日本の陶磁器文化の発展に関わった名匠の一人として語られている。

そして、その深海宗伝の妻が、『火の女神ジョンイ』の主人公のモチーフとなった百婆仙である。

百婆仙がのちに「有田焼の母」と呼ばれる存在となるまでには、夫とともに海を渡り、異国の地で陶磁器作りを続けた長い歳月があった。

華やかな有田焼の始まりには、戦争によって故郷を離れた朝鮮人陶工たちの苦難が刻まれているのである。

文=森下 薫

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