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映画『白鳥とコウモリ』松村北斗の“ギャップ”も大きな魅力になる理由。タイトルの意味、原作小説との違いは?

  • 2026.9.8
故・東野圭吾の小説を原作とした映画『白鳥とコウモリ』は、主演の松村北斗の“ギャップ”も大きな魅力になっていました。タイトルの意味や劇中の映画の意図も含めて解説しましょう。(画像出典:(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会)
故・東野圭吾の小説を原作とした映画『白鳥とコウモリ』は、主演の松村北斗の“ギャップ”も大きな魅力になっていました。タイトルの意味や劇中の映画の意図も含めて解説しましょう。(画像出典:(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会)

映画『白鳥とコウモリ』が9月4日より劇場公開中。SixTONESの松村北斗と今田美桜のW主演でも注目される本作は、2026年7月23日に亡くなった東野圭吾の同名小説を原作としています。

東野圭吾入門にもおすすめ、『映画ちいかわ』にも通ずる「業と罪」の物語

結論から申し上げれば、素晴らしい映画でした。「業と罪」を真正面から描く、でも同時に深い慈愛も感じられる東野圭吾の作家性がはっきりと表れており、今に観ると『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』との共通点も見出せるでしょう。

加えて、後述する通りメインプロットはキャッチーですし、登場人物が多めで関係もやや複雑ながら語り口は理路整然としていて分かりやすいため、“東野圭吾入門作”としても大推薦できます。事前に人物相関図に目を通しておくと、より理解がスムーズになるでしょう。 さらに、豪華なキャスティングそれぞれが、原作小説の人物造形に照らし合わせても、これ以上は考えられないほどにハマっています。

上映時間は145分とやや長めで、それでも原作からの取捨選択がされつつも、エッセンスは大きく失っていないため、(後述するように原作から削られた部分を不満に思う方もいるかもしれませんが)ほぼ“最適解”と言える映画化ではないでしょうか。さらなる魅力や、「タイトルの意味」「劇中で観る映画の意図」なども含めて、内容に触れつつ解説しましょう。

※以下、映画『白鳥とコウモリ』の決定的なネタバレを避けつつ一部内容を記しています。また、原作小説との違いについても一部触れていますのでご注意ください。

容疑者の息子と被害者の娘がバディを組む物語

本作で何しろ奇妙かつキャッチーなのは、「殺人事件の容疑者の息子と被害者の娘がバディを組む」ということでしょう。

誰もが認めるほどに善良な弁護士・白石健介が車内で刺殺される事件が起こるも、倉木達郎という男性が犯行を自供してあっさりと事件は解決……と思われた矢先、その倉木の息子・和真は「父がしたこととは思えないんです」と強い違和感を告白し、さらに白石の娘・美令もまた「父はそんな人ではありません」などと真っ向から否定するのです。本来は互いに拒絶しあうのも当然と思える間柄の2人が、それぞれが信頼する「父親像」を根拠に、「本当のことを知りたい」という共通の意志のもとで結託する流れは切実そのもので、心から感情移入できる人は多いでしょう。

ちなみに、原作小説では事件にまつわる心理や推理をじっくりとつづっていることもあり、和真と美令が自分たちの気持ちを打ち明けるのは、文庫版では上巻のラストに至ってのことでした。

一方、映画ではそれまでの過程をタイトに(それでも十分を時間をかけて)仕上げて、早めに「バディもの」だとはっきり示している、もっと言えば「和真と美令が物語の中心」の構成にしているのも良い工夫だと思えました。

(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会
(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会

その後は、原作小説で言うところの「パズルが解ける時ってのは、こういうものなんだな。次から次へとカードが裏返る」というような、「全ての要素がつながっていくミステリー」の面白さを堪能できるはずです。

松村北斗の「しごでき」エリートとのギャップも魅力的だった

そして、和真役の松村北斗役が適役という言葉でも足りないほどのハマりっぷりでした。

原作小説から和真は「鼻筋の通った、整った顔立ち」とはっきり記されており、その通りのルックスを持つ松村北斗はもう「大正解」なのですが、個人的には「デキる男」なのに「迂闊さ」があることも、とても愛おしく映ったのです。

(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会
(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会

原作小説から和真が「広告代理店のエリート」であることは記されているのですが、映画では序盤に「ジョークも交えた説得力のあるプレゼン」をしていて、絵に描いたような「しごでき」ぶりに惚れ惚れしてしまいます。

一方で、雑誌記者から父が殺人容疑で逮捕されたことを追及された時に、彼は「そういう言い方をしちゃだめだよ!」な対応をしてしまうのですが、「こんな感じの人だったら言っちゃいそうだな」とも思える説得力も備えていました。

松村北斗は『夜明けのすべて』では無気力で不遜ながらもパニック障害の悩みを抱えた青年、『ファーストキス 1ST KISS』ではやや「陰キャ」寄りの理系男子、実写版『秒速5センチメートル』ではどこか冷めていながらも実は過去に囚われている会社員など、おおむねで「平気なふりをしているけど繊細さも見えてくる」役柄を好演していました。

今回の『白鳥とコウモリ』の松村北斗は初めこそ「しごできエリート」だったものの、「父が殺人犯として逮捕されたために仕事と生活にも大いに影響が出て憔悴していく」という「陽と隠のギャップ」が際立つ役を体現していたのです。

白眉となる、映画オリジナルの今田美桜との会話シーン

さらに、もう1人の主人公である美令を演じた今田美桜も、原作小説で「顔の造作は派手」と失礼な分析をされるほどのルックスに一致していますし、「話すうちに気持ちが昂る」ほどに“感情を抑えられない役”にピッタリです。

(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会
(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会

さらには、原作小説で「金縁眼鏡をかけた四角い顔」と書かれている堀部弁護士も、これまたルックスから「宇野祥平しかないな」と思えるほどのハマりぶりだったりします。

そして、原作にはない、映画オリジナルの喫茶店で和真と美令が父親について語るシーンは、本作の白眉ではないでしょうか。

美令の「父親と最後にした会話で、自分が何と答えたのか思い出せない」という告白に対しての和真の返答と、その時の切なく、複雑でもある松村北斗の表情が忘れられません。この2人のW主演で良かった、と心から思えました。

30年以上前の事件も絡む、「父の真意が分からない」心理

さらに物語で重要なのは、三浦友和演じる倉木達郎が「"すべての事件"の犯人は私です」と言っていることです。

というのも、彼は30年以上も前に金融業者を殺したのも自分だと告白しており、そちらは時効を迎えているのですが……詳細は伏せておきますが、その事件もまた深淵で複雑な「業と罪」の物語へと転換していくのです。

(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会
(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会

また、原作から省かれた要素の中で、特に倉木達郎が息子の和真に宛てた「手紙」が映画では読まれていない(面会を「会わせる顔がない」とただ拒絶される)ことを不満に思う原作ファンもいるでしょう。

ただ、筆者個人としては、手紙の内容を映画でそのまま語るとやや冗長になってしまうでしょうし、和真の「父の真意がわからない」心理がより強調されているので、英断だったと肯定したいです。

柄本佑本人は刑事・五代をどう分析したか

先ほどは「和真と美令が物語の中心」と記しましたが、原作小説でも映画でも「第3の主人公」と言える刑事・五代も重要です。

(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会
(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会

五代役の柄本佑は「満場一致で即決」のキャスティングだったそうで、柄本佑本人が自身の役を「この人は刑事の仕事が嫌いかもしれませんね」「五代は事件に出合うたびに被害者・容疑者と向き合い、自身も傷ついてきたんじゃないか」と分析していたことも、役柄に深みを与えていたと思います。

映画『麦秋』の意図は?

そんな五代が、小津安二郎監督の映画『麦秋』を映画館で観るシーンがあります。

SCREEN ONLINEのインタビュー記事に掲載されている岸善幸監督の弁によると、ここには「五代の人柄を見せるために大切な場面」「泣ける映画を観ている五代」「映画館で何を見るのかということも、その人物を表す要素になる」と想定した上で、「映画の中では、周囲のお客さんが涙を流している。でも五代は、刑事として見てきたものがあるから、簡単には泣けない。そこに彼の抱えているものが表れるのではないかと思いました」という意図があったのだとか。

その『麦秋』で描かれるのは「娘の結婚をきっかけとした」物語で、殺人事件を中心に据えた今回の『白鳥とコウモリ』とは似ていないように思えるかもしれません。

しかし、筆者個人としては「家族の関係が以前とは決定的に変わってしまう」様、もっと言えば「変わらないものは何ひとつとしてない」と突きつけるような”無常さ”は、両者で一致しているように思えました。

(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会
(C)2026「白鳥とコウモリ」製作委員会

余談ですが、原作小説では映画『ショーシャンクの空に』について語る場面もあり、それが映画では省かれた、終盤のとある分析に対しての皮肉にもなっていました。映画とは違う後味が確実に残るので、比べてみるのもいいでしょう。

『白鳥とコウモリ』のタイトルの意味は?

最後に、『白鳥とコウモリ』というタイトルの意味について記しておきましょう。

今回の映画でははっきりと語られませんでしたが、原作小説では文庫版の下巻で、和真と美令の関係が「加害者側と被害者側、立場上は敵同士だが、目的は同じ」であること前提に、「光と影、昼と夜、まるで白鳥とコウモリが一緒に空を飛ぼうって話だ」と皮肉めいた分析をされる記述があります。

その通り、本来であれば出会うことすらなかったはずの、正反対の2人が同じ目的で先を見据えるからこそのタイトルなのですが……原作小説の終盤では「白鳥とコウモリ」の関係について、「奇跡みたいな」「夢」とさえ例えられる、さらなる解釈もあるので、ぜひ読んでいただきたいです。さらに、前述した『麦秋』のような残酷なまでの無常さ、はたまた殺人という罪がどれほど重く、拭い去れないものかと容赦無く突き付けられている一方で、ラストでは確かな希望も提示されています。その時の「表情」からも、「白鳥とコウモリ」というタイトルに、思いをめぐらせてみてください。

この記事の執筆者: ヒナタカ
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。

文:ヒナタカ

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