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カサンドラ・ウィルソンが死去、グラミー賞2度受賞の歌姫

  • 2026.9.4

グラミー賞を2度受賞したジャズシンガー、カサンドラ・ウィルソンが2026年9月2日、故郷の米ミシシッピ州ジャクソンで死去した。70歳だった。(フロントロウ編集部)

唯一無二のコントラルト

カサンドラ・ウィルソンを何より際立たせていたのは、深みのある独特のコントラルトだった。ジャズを軸に、ブルース、フォーク、R&B、カントリーなど幅広いジャンルを取り入れながら、唯一無二のスタイルを築き上げた。

APによると、ジャクソンを含むハインズ郡の検死官ジェレマイア・ハワードが死去を確認。死因は明らかにされていない。

また、約20年間にわたってマネージャーを務めたロバート・トーレは米ジャズラジオ局WBGOを通じ、「カサンドラ・ウィルソンは家族や親しい友人、マネージャーに囲まれ、自宅で穏やかに旅立った」と発表した。

2001年には米TIME誌から「America’s Best Singer」と称されるなど、その評価はジャズの枠を超えて広がっていた。

ジャクソンからニューヨークへ

1955年、ミシシッピ州ジャクソンに生まれたカサンドラ。父はジャズギタリスト、母は教師で、幼いころから音楽に親しんだ。6歳でピアノを始め、12歳でギターを手にし、学生時代にはクラリネットも演奏していた。

ミルサップス・カレッジで学んだ後、ジャクソン州立大学でマスコミュニケーションの学位を取得。学生時代からコーヒーハウスや地元のバンドで歌い、音楽活動を続けていた。

1981年にニューオーリンズへ移り、地元テレビ局WDSUで働く傍ら、エリス・マルサリスやアール・タービントンらからジャズを学んだ。翌1982年にニューヨークへ移住し、サックス奏者スティーヴ・コールマンと出会うと、実験的な音楽集団M-Base Collectiveの創設メンバーのひとりとなった。

1992年にBlue Note Recordsと契約し、翌1993年にアルバム『Blue Light ‘Til Dawn』を発表。ジャズにブルースやフォーク、カントリーなどの要素を取り入れた同作は高い評価を受け、その後のキャリアを代表する作品のひとつとなった。

グラミー賞を2度受賞

1997年にはアルバム『New Moon Daughter』でグラミー賞を受賞。2009年には『Loverly』で再び栄冠に輝き、キャリアを通じて4度のグラミー賞ノミネートのうち2度受賞した。

2015年には、ビリー・ホリデイの生誕100周年を記念したアルバム『Coming Forth by Day』を発表。同年4月にはニューヨークのアポロ・シアターで、ホリデイをたたえる特別コンサートを開催した。同作がカサンドラにとって最後のスタジオアルバムとなった。

2022年には、全米芸術基金(NEA)から「NEA Jazz Masters Fellowship」を授与された。これは米国のジャズ界における最高峰の栄誉のひとつとされている。

音楽界から追悼の声

訃報を受け、ジョン・バティステをはじめ、多くのアーティストや関係者がカサンドラを追悼した。

バティステはSNSで、彼女の独特な声やフレージング、フォークロアやR&B、ディアスポラの音楽をさまざまなジャンルと融合させるアプローチから大きな影響を受けたと振り返った。また、キャリア初期に世界ツアーへ連れて行ってくれたアーティストのひとりだったことも明かしている。

ジャクソン市長のジョン・ホーンも、地元出身の偉大なアーティストの死を悼み、「ジャクソンはかけがえのない娘を失い、世界は唯一無二の音楽的な声を失った」と追悼した。

ジャズを基盤にしながらジャンルの境界を越え、故郷ミシシッピのルーツを音楽に刻み続けたカサンドラ・ウィルソン。その独創的な歌声と表現は、後世のミュージシャンにも大きな影響を残している。

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