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英国サッカー史上最大の「裏切り移籍」TOP6…宿敵へ渡ったことで「今も許されていない」選手たち

  • 2026.8.27

移籍そのものは、サッカーでは日常の風景だ。しかしクラブ間に深いライバル関係が横たわっていれば話は別だ。

昨日まで英雄だった選手が宿敵のユニフォームに袖を通した瞬間、呼び名は「裏切り者」へと変わる。『GIVEMESPORT』から、「英国サッカー史における最大の裏切り者」をご紹介する。

6位:フランク・ランパード

移籍:ウェストハム → チェルシー

チェルシー史上最高の選手の一人に数えられるフランク・ランパードだが、出発点はウェストハム・ユナイテッドだった。

父ランパード・シニアはウェストハムの名選手で、引退後はアシスタントコーチを務めた人物。さらに当時の監督ハリー・レドナップは叔父にあたる。本人もアカデミーからトップチームへ上がった生え抜きで、血縁も経歴もクラブと分かちがたく結びついていた。

しかし決裂は2001年に訪れる。レドナップが退任し、父もコーチ職を離れた。当時の代理人は『Guardian』に対し、本人が完全に裏切られたと感じており、もうウェストハムでプレーする気はないと語っていたことを明かしている。

そして22歳、移籍金1100万ポンドでチェルシーへ。欧州の舞台で戦える環境も決断を後押しした。その後は説明するまでもない。クラブ史上最多得点者となり、プレミアリーグもチャンピオンズリーグも制した。

5位:ニック・バーンビー

移籍:エヴァートン → リヴァプール

グディソン・パークとアンフィールドの距離は、わずか1キロほど。公園を挟んで歩いて渡れる近さだが、その間にある心理的な壁は途方もなく高く、両クラブのライバル心は強烈なものだ。

2000年、その壁を正面から越えたのがニック・バーンビーだった。トッテナム、ミドルズブラを経て1996年にエヴァートン入り。4シーズンで100試合以上に出場し、イングランド代表にも復帰してEURO2000のメンバーに選ばれた。押しも押されもせぬ主力だった。

そこで彼が選んだのは、契約延長ではなくリヴァプールへの移籍だった。『Guardian』によれば、本人がクラブへ直接その意思を伝えたことで即座に移籍リスト入り。当時のウォルター・スミス監督も失望を隠さなかったという。

エヴァートンからリヴァプールへの直接移籍は、1959年のデイヴ・ヒクソン以来41年ぶり。リヴァプール公式も、彼にとってキャリア最大の決断だったと表現している。しかも彼は、その年10月のマージーサイド・ダービーで古巣から先制点を奪った。アンフィールドのKOPは一夜にして彼を受け入れ、グディソンは永久に彼を許さなくなった。

4位:マイケル・オーウェン

移籍:リヴァプール → (中略)→マンチェスター・ユナイテッド

リヴァプールのアカデミーで育ち、17歳でトップチームデビュー。爆発的なスピードと決定力で得点を量産し、2001年にはバロンドールまで手にした。公式戦297試合158得点。マイケル・オーウェンは、間違いなくクラブが生んだスーパースターだった。

2004年にレアル・マドリーへ去った時点では、まだ裏切り者ではない。問題は2009年である。ニューカッスルとの契約が満了し、フリーになった29歳。落ち目と言われても仕方のない状況で、電話をかけてきたのがアレックス・ファーガソンだった。

リヴァプールの英雄がマンチェスター・ユナイテッドの赤を着る。しかも背番号は、クリスティアーノ・ロナウドが去って空いた7番。マージーサイドで愛された少年が、宿敵のもとでリーグタイトルを掴む。リヴァプールのファンにとっては、その事実こそが一番苦しいものだったはずだ。

3位:モー・ジョンストン

移籍:セルティック → ナント → レンジャーズ

英国サッカーの禁断移籍を語るなら、モー・ジョンストンを避けて通ることはできない。しかもこのケース、セルティックからレンジャーズへ直接移ったわけではない。

1984年にセルティック入りしたジョンストンは3年間でゴールを量産し、フランスのナントへ渡った。そして1989年、古巣復帰がほぼ固まる。セルティックのユニフォームを着て記者会見にまで登場し、離れたくなかった、英国でプレーするならセルティック以外にない、という趣旨のことまで口にした。

ところが2カ月後。実際に彼が加入したのは、最大の宿敵レンジャーズだった。当時のレンジャーズにはプロテスタント系クラブとしての伝統があり、彼のようなカトリック選手を積極的に獲得しない慣習が長く続いていた。

セルティック側は当然、激怒する。一方でレンジャーズの一部サポーターも宗教的背景から強く反発し、両陣営から敵視されるという異常事態に陥った。

2位:アシュリー・コール

移籍:アーセナル → チェルシー

アーセナルのアカデミーで育ち、世界最高の左サイドバック候補にまで成長したアシュリー・コール。2003-04シーズンには「インヴィンシブルズ」の一員として無敗優勝も味わった。ただ、彼はアーセナルとの契約期間中にチェルシーと秘密裏に接触したとされ、両クラブと選手を巻き込む大問題へ発展した。

コールは週給6万ポンドでアーセナルとの新契約を期待していたが、最終的な提示額は5万5000ポンド。彼はのちに自伝で「その額を聞いて怒りのあまり車が道路から外れそうになった」と書き、猛烈な批判を浴びた。

そして2006年、チェルシーへ完全移籍。その後は結果で自らの決断を正当化していく。プレミアリーグ、FAカップ、そして悲願のチャンピオンズリーグ。イングランド史上最高級の左SBという評価を確立した。

金のために移籍した「キャッシュリー・コール」と揶揄したアーセナルファンの側からすれば、その傷が癒える機会は最後まで訪れなかったことになる。

1位:ソル・キャンベル

画像: (C)Getty Images
(C)Getty Images

移籍:トッテナム → アーセナル

トッテナムのアカデミーで育ち、トップチームで10年以上プレー。イングランド代表のセンターバックとなり、スパーズではキャプテンも務めた。

しかし2001年夏、契約満了に伴いフリーで退団する。バルセロナ、インテル、バイエルン・ミュンヘンといった欧州の強豪が関心を示しており、国外へ出るというのが大方の見方だった。

7月3日、アーセナルが記者会見を開く。報道陣の多くは、GKリチャード・ライトの加入発表だと思って会場に入ったという。そこへ現れたのがキャンベルだった。

最大の宿敵から、移籍金ゼロで。英国サッカー史でも屈指のサプライズである。【Guardian』によれば、国外クラブからはアーセナル以上の条件も提示されていたが、本人はプレミアリーグに残ること、そしてチャンピオンズリーグを戦える環境を重視したという。

スパーズにとって残酷だったのは、宿敵へ移ったこと自体より、そこで夢見たはずのタイトルを次々に獲り、クラブ史に残る黄金時代の一員になったことだ。20年以上が過ぎても、この一件が風化する気配はない。

※選出基準は、各選手の実績に基づきながら筆者またはメディアの主観的判断も含んでおります。

筆者:石井彰(編集部)
画像提供:Getty Images

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