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西田敏行が紅白で2度歌った曲は? 45年経っても胸を締めつける“不器用な告白”

  • 2026.9.16
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1981年12月、第23回日本レコード大賞で金賞を受賞した西田敏行(C)SANKEI

ピアノを弾けない男の歌が、どうしてこんなにもピアノの前で歌われてきたのだろう。

学校の音楽室で、発表会の舞台で、駅に置かれた誰でも触れる鍵盤の前で。伴奏をつけて口ずさむ人の姿が、この歌にはよく似合う。歌ったのは俳優の西田敏行。自分が主演するテレビドラマのために用意された主題歌を、画面の中の役と地続きの声で歌った。

西田敏行『もしもピアノが弾けたなら』(作詞:阿久悠/作曲:坂田晃一)ーー1981年4月1日発売

伝えたいことをうまく言えない人ほど、この歌の前で足を止める。その理由を、曲の生まれた場所から順にたどってみたい。

役の続きのように歌い出した主題歌

日本テレビ系のドラマ『池中玄太80キロ』の第2シリーズが、この曲の生まれた場所だ。1981年4月から放送され、西田敏行が主人公の池中玄太を演じた。無骨なカメラマンの玄太は、丘みつ子が演じる未亡人と結婚し、妻を突然に亡くしたあと、血のつながらない3人の娘と向き合っていく。その物語とともに流れたのが、この主題歌だった。

作詞は阿久悠、作曲は坂田晃一。歌謡曲の最前線にいた2人が、俳優のために書いた曲だ。玄太の泣き笑いを見ていた人にとって、この歌は俳優の余技ではなく、役の続きとして耳に入ってきた。画面の中で娘たちに不器用にしか向き合えない男と、歌の中でピアノを持たない男が、西田の体の中で一つに重なる。視聴者は役と歌を分けずに受け取り、ドラマが終わったあとも、歌だけが暮らしの中に残った。

その年の暮れには第23回日本レコード大賞で金賞を受け、阿久悠は本曲で1981年の日本作詩大賞を受賞している。俳優の歌が、賞の舞台で正面から評価された。

詞を待ち声を確かめてから書かれた

坂田晃一はこの主題歌を、詞を先に受け取ってから曲をつける順序で作ると決めていた。日本テレビのスタッフとともに阿久悠のもとを訪ね、申し出は快く受け入れられ、詞はほどなく仕上がった。

もう一つ、坂田は作曲の前に西田の舞台を観に行っている。歌がうまく、即興でも歌ってしまうという評判を自分の耳で確かめるためで、実際に観て音域の広さを知り、その声に合わせて旋律と編曲を組んだ。先に歌う人の声を測ってから書かれた曲だから、この歌は西田の声がいちばん豊かに鳴る場所を、迷わず通っていく。

低いところで語るように始まり、思いを打ち明ける場面で声が大きく開く。張るときに苦しさがなく、こぼすときに湿り気がある。役者として声を体ごと使ってきた人の歌だと、聴いていて感じる。旋律が声を引っ張るのではなく、声のほうが旋律より先にいる。歌う人ありきで生まれた曲の幸福を、ここに感じる。

弾けないと明かす一節で恋の歌になる

「もしもピアノが弾けたなら」

歌い出しの仮定は、聴く側にひとりの男の願いを想像させる。弾けたなら思いのすべてを歌にして届けるのに、と男は続ける。ところがサビで打ち明ける。「ぼくにはピアノがない」。聴かせる腕もない、と。

この詞は、旗色の悪い不器用な男への応援歌を、主人公の玄太に託したものと読める。歌の中のピアノは、玄太が持っていない、ほんの少しの器用さの象徴に映る。器用に伝えられないと知りながら、それでも相手を喜ばせたいと願う。その二つが同じ一節に同居しているから、この歌は恋の歌として泣かせる。

弾けないことを恥じる歌ではない。弾けないまま、それでも君のそばで何かをしたいという歌だ。だから言葉に詰まった経験のある人は、玄太でなくても、自分のこととして聴いてしまう。

西田の声は、その打ち明けをおどけて逃げない。真顔で、少し照れながら、最後まで言い切る。だから笑いより先に、胸が詰まる。

年の瀬の晴れ舞台に戻ってきた歌

1981年の暮れ、西田敏行は第32回NHK紅白歌合戦に初めて出場し、1990年の第41回、3度目の出場で再びマイクの前に立ったとき、選んだのはやはり『もしもピアノが弾けたなら』だった。

9年の間隔を置いて、同じ歌を同じ大舞台で歌い直す。その事実だけで、この曲が西田敏行という人の名刺のように定着していった道筋が見える。初出場の年は、ドラマの熱をそのまま持ち込んだ主題歌だった。9年後には、ドラマを見ていない人の耳にも、西田の歌といえばこれ、という一曲になっていた。最初の年は役が歌を支えていたのに、9年後には歌のほうが役を思い出させる側に回っている。支える側と支えられる側が、いつのまにか入れ替わっていた。

俳優が歌手の並ぶ舞台に立つ。その姿に、西田の場合は無理がなかった。役を演じるときと歌うときの声に段差がなく、大舞台の上でも、玄太が娘たちに話しかけるときの声のまま、聴いている人に話しかける。歌の上手さより先に、その距離の近さが残る。

ドラマの父と娘が別々の歌をもらった

同じ『池中玄太80キロ』で、玄太の長女を演じた杉田かおるにも歌があった。1981年6月に出た『鳥の詩』は、このドラマの入歌で、作詞は阿久悠、作曲は坂田晃一。玄太の主題歌と同じ組み合わせから生まれている。

義理の父と娘、それぞれの代表曲が同じ作家の手から同じ年に出たということは、ドラマの家族が画面の外でも歌でつながっていたということだ。父の歌が地上で鍵盤を持たない男の打ち明け話なら、娘の歌は題名に鳥を掲げて空を向く。役に合わせて書き分けられた2曲を並べると、西田の歌のほうがいっそう地に足のついた、生活の匂いのする歌に聞こえてくる。

鍵盤の前で誰かがまた歌い出す

この曲を歌ったのは、西田だけではない。フランク永井、岩崎宏美、五木ひろし、そして2023年には優里と、歌い手を替えながら歌い継がれてきた。歌い方が変わっても、ピアノを持たない男が打ち明ける場面の切なさは変わらない。だから最初の問いに戻れば、答えはこうなる。この歌は、弾ける人が弾きたくなる歌ではなく、言えない人が歌いたくなる歌なのだ。鍵盤は、そのための口実にすぎない。

西田敏行がもうこの歌を歌えなくなったあとも、歌は残っている。どこかの部屋で、伴奏を覚えたばかりの誰かが、照れながら最初の一節を歌い出す。持っていないはずのピアノが、そのときだけ、確かにそこにある。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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